海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

横浜事件の無罪認定

2010-02-05 19:14:10 | 生活・文化
 国家権力による言論弾圧事件「横浜事件」の冤罪が雪がれた。

〈戦時下最大の言論弾圧事件とされる「横浜事件」で、治安維持法違反の罪で有罪と判決を受け、再審公判で有罪、無罪に触れずに裁判を打ち切る「免訴」判決が確定した元被告5人の遺族6人に、横浜地裁(大島隆明裁判長)は4日、事件を「冤罪」と判断し、請求通り計4700万円の刑事補償を認める決定を出した〉(2月5日付琉球新報)。

 6、7年前になるか、所要で東京に行った際に、横浜事件に関する集会があることを知った。以前から同事件に関心があったことと、知り合いの編集者が講師を務めていたこともあって、会場に足を運んだ。元被告達はすでに亡くなっていて、生前の発言がビデオ映像で流されていたのだが、特高警察から受けた拷問と国家権力による言論弾圧への怒り、司法の責任を追及する執念が映像からも伝わってきた。
 今回の判決で、遺族や弁護士、支援者の努力によって元被告たちの名誉が回復されたことの意義の大きさは言うまでもないが、ここまで年月を費やした司法の責任が問われなければならない。事件をでっち上げられ、拷問によって肉体的・精神的に苦しみ続けた元被告たちが生きている間に、警察・検察・裁判所の誤りを認め、名誉を回復することがどうしてできなかったのか。警察・司法権力の自己保身と傲慢さ、事件の風化を待つ打算によって、無念の思いを抱いたまま事件の被害者は亡くなってしまった。
 東京での集会に参加したとき、元被告たちの遺族や支援者の熱意に打たれる一方で、会場に出版やメディアに携わる労働者の姿が思ったより少ないのが気になった。言論・表現活動に携わる者は、横浜事件を過去の歴史としてではなく、現在にも通じる問題として考え続ける必要がある。


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