9日(月)はカヌーは出さず、平和丸に乗って大浦湾の状況を確認した。
先週の土曜日(7日)から大浦湾では、台風対策で作業船が外に避難をしている。
今年はまだ台風が発生していないが、大型船舶が増えたので波が荒くなってからだと移動するのが危険だ、という判断なのだろう。
今日の午前中には6隻のサンドコンパクションパイル船(SCP船)のうち4隻が大浦湾から出ていて、午後1時頃に5隻目が出ていった。
残りの1隻はA護岸の近くに停泊していたが、サルベージ船がアンカーを引き揚げる作業をしていて、移動の準備をしていた。
辺野古崎のK8護岸では、土砂を陸揚げするランプウェイ台船が大浦湾から出ているので閑散としていた。
K6・K7護岸ではL字型擁壁の建設工事を行われていた。
新工事用ゲートから入った生コン車は、L字型擁壁の工事だけでなく、K4護岸近くにも並んでいる。
上の4枚はN2・N8・N1護岸の建設状況を撮ったもの。
長島近くから沖(瀬嵩側)に移動しながら撮ったもので、角度によって見え方が変わる。
上の2枚は長島の近く(航路付近)から撮っているので、手前のN2護岸と奥のN1護岸の両方から採石が投下され、N8護岸がほとんどつながりかけているように見える。
ただ、沖の方に出るとまだ間が開いているのが分かる。4枚目はほぼ正面(汀間沖)から撮ったもので、両方から砕石投下が進む間に陸地の砂浜が見えている。
午後2時15分頃、キャンプ・シュワブ上空をMV22オスプレイが旋回して訓練を行っていた。
その下ではK8護岸上に青いダンプトラックが砕石を下ろし、モッコで海に投下する作業が行われていた。
上の写真はA護岸の様子をキャンプ・シュワブ側から撮ったもの。
鋼管矢板が二重に打ち込まれているが、瀬嵩の森から見たものと同じ本数が壁を作っている。
奥に見える赤白のスパッド2本を持つ台船も、このあと大浦湾から出ていくだろう。
辺野古崎とK9護岸を結ぶ工事用仮設道路の建設も進んでいる。
これが完成すれば、工事車両はキャンプ・シュワブの兵舎付近を通らずに、海側から移動することができる。
辺野古弾薬庫近くに新しく工事用ゲートを作ったのもそうだが、米軍への配慮を優先して工事が進められているのだ。
K9護岸の向かって右側のモクマオウの奥でショベルカーが作業をしていた。
海上保安官が3人立っているあたりに美謝川の切り替え後の河口ができる。
現在キャンプ・シュワブがある所には、沖縄戦の際に米軍が大浦崎収容所を造り、今帰仁・本部・伊江島の住民を収容していた。
マラリアや栄養失調などで死亡した住民を海岸近くで仮埋葬したという話だ。
戦後、遺骨は家族が掘り起こして墓に入れたというが、クバマ(小浜)と言われるこの砂浜周辺にはそういう歴史がある。
沖縄戦から80年が経つのに、米軍による占領が続いているのと同じ状況だ。
本土決戦準備のために沖縄戦を長びかせ、多くの住民を巻き添えにして死なせながら、日本は本土決戦を回避し、昭和天皇は退位すらせずに戦争責任を知らぬふりした。
日本国民の大多数もそれを良しとし、沖縄に米軍基地を押しつけて平和憲法なるものを享受した。
そして、80年経って新たな米軍基地が造られようとしていることに関心すら向けない。
備蓄米騒ぎに興じているメディアを見ているとうんざりさせられる。何が食糧安保だろうか。
農業政策も安全保障もとっくに破綻しているのに、それを直視しない。
帰りに羽地内海を見ると、作業船の一部が避難していた。
台風が来るたびに大掛かりな避難をしなければならず、工事は遅れていく。
主食の米さえまともに生産・流通できず、備蓄米まで放出する。
そんな状態で米軍のために新たな基地を造って予算を浪費する。
日本人というのはどこまで愚かなのだろうか。
米国の属国として、衰亡の道をそれほど歩みたいのか。