5月18日に行われた「5・15命とくらしを守県民大会」で挨拶した韓国の代表キム・ヨンテック氏が、今日は光州事件があった日です、という発言を行っていた。28前の記憶が一気によみがえった。光州事件があった1980年5月18日、私は大学2年生だった。私が琉球大学に入学した1979年は、世界史の結節点となる事件が連続して起こった年だった。ベトナムとカンボジアの紛争が2月になって中国とベトナムの「社会主義国家観戦争」へと拡大した。同月、イランではホメイニ氏のイスラム革命が起こる。7月には隣国イラクでサダム・フセインが大統領に就任。12月にはアフガニスタンにソ連軍が侵攻する。現在からとらえ返せばこれらの事件は、ソ連邦の崩壊やイスラム復興勢力の台頭の始まりであり、さらに9・11事件、イラクへの米軍の侵略戦争にもつながっていく歴史的事件であった。
その中に、1979年10月に起こった韓国の朴正熙大統領暗殺事件もあった。独裁者の死によって韓国に民主化が訪れるかのように見えたが、全斗煥軍事政権の誕生によって新たな独裁体制が敷かれていく。そして光州市で決起した労働者・学生への血の弾圧が行われていった。この事件は19歳だった私にとって衝撃的なものだった。テレビや新聞で、弾圧され、殺されていく労働者・学生の姿を見たときに、同世代の大学生達が殺されていくことへの怒りと同時に、恐怖心も感じていた。沖縄から見ていて、それは遠い国のこととは思えなかった。
その年の12月に開かれた琉大の学園祭で、光州蜂起と血の弾圧を記録した映像が、学生自治会主催の企画として放映されていた。まだビデオが普及していない時代だったから、16ミリのフィルムだったのではないかと思う。今は首里城になっている首里キャンパスで開かれた最後の琉大祭だった。トラックやバスで道路を封鎖し、民主化を求めてたたかう労働者・学生が、韓国軍によって虐殺され、首に針金を掛けられて連行されていく場面が目に浮かぶ。
言うまでもなく、光州事件の背後には、米ソの対立という世界状況があった。在韓米軍と在沖米軍は、東アジアにおけるアメリカの軍事拠点として、北朝鮮・ベトナム・中国・ソ連ににらみをきかせていた。それから28年が経ち、世界的な米軍再編が進められて韓国の米軍は削減されつつある。とは言っても、アメリカが朝鮮半島に確保した軍事拠点を手放すことはないだろう。韓国と沖縄の反基地闘争の連帯は大きな意味を持つ。
光州事件とは何だったのか。キム氏の話を聞きながら、当時の沖縄、韓国、世界の状況を思い出し、あらためて光州事件について考えたいと思った。
その中に、1979年10月に起こった韓国の朴正熙大統領暗殺事件もあった。独裁者の死によって韓国に民主化が訪れるかのように見えたが、全斗煥軍事政権の誕生によって新たな独裁体制が敷かれていく。そして光州市で決起した労働者・学生への血の弾圧が行われていった。この事件は19歳だった私にとって衝撃的なものだった。テレビや新聞で、弾圧され、殺されていく労働者・学生の姿を見たときに、同世代の大学生達が殺されていくことへの怒りと同時に、恐怖心も感じていた。沖縄から見ていて、それは遠い国のこととは思えなかった。
その年の12月に開かれた琉大の学園祭で、光州蜂起と血の弾圧を記録した映像が、学生自治会主催の企画として放映されていた。まだビデオが普及していない時代だったから、16ミリのフィルムだったのではないかと思う。今は首里城になっている首里キャンパスで開かれた最後の琉大祭だった。トラックやバスで道路を封鎖し、民主化を求めてたたかう労働者・学生が、韓国軍によって虐殺され、首に針金を掛けられて連行されていく場面が目に浮かぶ。
言うまでもなく、光州事件の背後には、米ソの対立という世界状況があった。在韓米軍と在沖米軍は、東アジアにおけるアメリカの軍事拠点として、北朝鮮・ベトナム・中国・ソ連ににらみをきかせていた。それから28年が経ち、世界的な米軍再編が進められて韓国の米軍は削減されつつある。とは言っても、アメリカが朝鮮半島に確保した軍事拠点を手放すことはないだろう。韓国と沖縄の反基地闘争の連帯は大きな意味を持つ。
光州事件とは何だったのか。キム氏の話を聞きながら、当時の沖縄、韓国、世界の状況を思い出し、あらためて光州事件について考えたいと思った。
沖縄にも来ると思います。
昨年9月、ソウルで見てきました。
原題「華麗なる休暇」は全斗煥側の作戦名。
光州の、あの場所、あそこで、こんなことがあったのだと教えられました。当時学生だった人々や市民の
方々ともお会いすることが出来ました。
2009年は沖縄にとって節目の年、
2010年、光州民主化抗争から30年、
沖縄からも出かけたいと思います。
私は沖縄国際大学のすぐとなりに住んでます。今日、外出しようとしたらヘリがいつもより低く飛んでいて、生まれてはじめてヘリの影に覆われました。ヘリの排気ガスを故障の煙なのではないかと神経をすり減らされる思いで見ていました。
沖国ヘリ墜落以来、意識しないようにしていた米軍基地に足をとられてばかりいます。イヤホンで音楽を聞いていてもヘリの音が入り込んできて音楽に没頭することも許されないんだなと感じさせられます。
金網を隔てて米軍基地と隣り合っている大学が、沖国大以外に全国にあるのでしょうか。
学生時代に宜野湾市に二年住んでましたが、普天間基地の状況は何も変わっていない。
沖縄が置かれている異常さに慣らされたくないものです。