海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

海に消えた幼い命

2022-08-22 21:36:13 | 米軍・自衛隊・基地問題

 ティダの会のビラを作るため、久しぶりにイラストを描いた。

 22日(月)は午後からカヌー7艇と抗議船1隻(不屈)で海上行動を行った。

 K9・N2護岸ともにランプウェイ台船が2隻接岸し、土砂の陸揚げが行われていた。

 K8護岸では被覆ブロックの設置が行われていた。

 カヌーメンバーは不屈に乗ってK9護岸まで行き、ランプウェイ台船の入れ替え時に抗議しようと待機した。

 午後3時半を過ぎても土砂の陸揚げが終わらず、次に来るランプウェイ台船も土砂にネットをかけて動きがなかったので、入れ替えはないと判断して行動を切り上げた。

 今日は疎開船対馬丸が米軍の潜水艦に撃沈されてから78年目で、那覇市の小桜の塔では慰霊祭が行われた。

 一昨日、対馬丸記念館に新たに3人の犠牲者の遺影が加えられた、というニュースを見て私の母が、写真を見て驚いた、と話していた。

 3人のうちのひとり、屋我地国民学校に通っていたという7歳の少年は、母の友達だった同級生の弟で、写真の顔を覚えていた、という。

 沖縄戦当時、私の母は屋我地国民学校の4年生だった。遺影の少年の姉は物静かな人で、弟と一緒に学校に通っていた姿を思い出す、と話していた。

 母によれば、少年は母親と一緒に疎開するため対馬丸に乗り犠牲となった。同級生の姉は島に残ったので、そのあとも母と学校に通ったが、卒業後のことは分からないという。

 78年たって少年の遺影が飾られるまでには、遺族の苦難に満ちた事情があるのだろう。

 沈んでいく対馬丸の船室や海上で、多くの子どもたちが家族と抱き合い、あるいは離れ離れになって、泣き叫びながら死んでいった。

 戦争でどれだけ多くの命が海に消えたか。辺野古の海・大浦湾でカヌーを漕ぎながら、そのことを思った。

 多くの戦没者が眠る海を破壊して、新たな軍事基地が造られようとしている。

 戦争の悲しみを言うなら、いま目の前で進む新基地建設を止めるために、力を尽くさないといけない。

 


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