小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

日本語の諸問題(40) 小学校の英語教育と国文法

2017年08月07日 | Weblog

 近々、日本の全小学校で英語が正課として導入されるとの報道があった。5年生からは英文法も教えられるとのこと。当然、英語の動詞の活用(語形変化)を憶えなければならない。規則変化として help、 help-ed、 help-ed  不規則変化として   go、 went、 gone などのように、しかし、ちょっと待ってほしい。小学校で毎日のようにある国語の授業では日本語の文法の説明は全くない。母語である日本語より先に外国語である英語の文法は学習するのに、本末転倒ではないのか。日本語にも動詞の活用がちゃんとあることを教えるべきである。「書く」は「か、き、く、く、け、け」、「投げる」は「げ、げ、げる、げる、げれ、げろ」と。国語・国文法の大学の先生方は国文法の授業を小学5年に下げるべきだとなぜ文科省に進言しないのか。たとえ、純粋な子供たちの脳を破壊し、母語である日本語嫌いになっても、そんなことは問題ではない。国文法は文部科学省認定の唯一の日本語文法なのだから・・。

 -「アテが外れた」の語源ー

 日常よく使う「アテ外れ」とか「アテにならない」の語源について、すべての「国語辞典」や「語源辞典」は動詞「あてる」から来たと書かれている。これ自体正しい。中には「あてる」の連用形「あて」が名詞化したものと国文法の法則どおり説明しているものもある。この場合、語幹  stem  は「あ」で、「て、て、てる、てる、てれ、てろ」と活用する。つまり、「あてる」の活用表をきちんと暗記しておく必要がある。 とんでもない。

 私の日本語文法理論では「あてる」の語幹「あて(当)」にすぎない。この名詞語幹「あて」から 「あて馬」「宛て名」「あて先」「目当て」「手当て」「肩当て」「あてこすり」「あてずっぽう」「あてがう」「当てはめる」「恋のさや当て」「あてつけ」などの言葉が出来ている。先に述べた「ハメを外す」「トドのつまり」と全く同じ用法である。「あてつけ」に至っては、「あてる」と「つける」の二つの語幹がくっ付いた言葉である。(例、「つけ払い」「ツケを回す」)

 ではなぜ、「あてる」の語幹は「あて」と言えないのか。その理由は、国文法では「あてる」の語幹は「あ」であり、「あて」はあくまでもその連用形なのである。つまり、「あて」を語幹とすることは国文法の否定に他ならないからである。「国文法の呪縛」がもたらす罪は大きい。ちなみに、「外れ」は「外れる」の名詞語幹、そこから「町はずれ」などの言葉ができた。また、自動詞の「あたる」の名詞形は「あたり」、そこから、「大当たり」「当たり外れ」「当たり前」「そのあたり」「さしあたり」「心あたり」「あたり一面」とか「目(ま)のあたりにする」などの言葉が生まれている。日本語の動詞は非常に単純かつ法則性がある。

 <追記>

 あるロシア人留学生が日本語はやさしい言語ですとテレビで言っていた。おそらく、「あてる」の語幹「あて」から前述のように様々な言葉を作ってゆく日本語に不思議な魅力を感じたのであろう。これら日本語をロシア語に置き換えるとほぼすべて違った単語を使わなくてはならないので・・。有名な日本文学者 ドナルド・キーン氏もこのような日本語に魅せられた一人である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« またまた龍馬の手紙出現  -... | トップ | 信長の「天下布武」について... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事