前回「すする」について書きましたが、その続きを。
スープは「食べる」のか「飲む」のか。
一般的にはスープは「飲む」ものらしいですが、僕個人的に感じることですが20代以下は「食べる」も「飲む」と同等に使っているように思います。
(英語では「eat」を使うので英語圏の学習者は「食べる」を使ってしまうそうですが)
僕個人の場合を見ても、味噌汁でも「食べる」を使いますし、スープにも使いますね。
具が多いか少ないかが「食べる」「飲む」の境界があるそうです。
一般的にはシチューや味噌汁は具が盛りだくさんなので「食べる」を使う感覚が強いらしいですが、コンソメスープとか具がないものは「飲む」を使う感覚が日本人にはあるそうです。
でも、僕はあまりそこは問題じゃないような気がします。どっちかというとスープであろうとメニューの一つだと捉えているので「食べる」を使います。
とくにこれを書く場合は顕著で、「今日は話題のスープを飲んできました」みたいな文章は書かないですね。
やっぱり「今日は話題のスープを食べてきました」か「今日は話題のスープをいただいてきました」って書くと思うんですね。
加えて誰かに聞く場合には「飲む」を使わない。
「もういっっぱいスープ飲みますか?」
と質問するかといったら、たぶんしない気がするんですよね…。「もういっぱいスープを食べますか?」って聞く気がするんですよね。
これをクラスで討論すると若い世代になればなるほどその傾向が顕著でした。若い世代はスープものを「食べる」と表現することにあまり違和感がない傾向。
原因はいくつかあると思うんですけど、やはり若い世代ほど欧米文化に浸食されている(言語的に)。言語表現に無頓着。
欧米文化と日本文化のせめぎあいということではなくて、単に自文化もなければ多文化もないから単純な表現しかしない無頓着さはあると思うんですね。
「すする」をつかわなくて「食べる」で良くないか?といったように。逆に「すする」っていった方が粋かも!?みたいな空気すらあるような…。
それに僕が単純に思うのは、飯屋のメニュー表見ると日本語でスープの欄にあって、スープの欄は食べ物の欄にあって、飲み物の欄にないですよね。
これが決定的な影響を与えているんじゃないかなぁとか思うんですよねぇ。
スープは「食べる」のか「飲む」のか。
一般的にはスープは「飲む」ものらしいですが、僕個人的に感じることですが20代以下は「食べる」も「飲む」と同等に使っているように思います。
(英語では「eat」を使うので英語圏の学習者は「食べる」を使ってしまうそうですが)
僕個人の場合を見ても、味噌汁でも「食べる」を使いますし、スープにも使いますね。
具が多いか少ないかが「食べる」「飲む」の境界があるそうです。
一般的にはシチューや味噌汁は具が盛りだくさんなので「食べる」を使う感覚が強いらしいですが、コンソメスープとか具がないものは「飲む」を使う感覚が日本人にはあるそうです。
でも、僕はあまりそこは問題じゃないような気がします。どっちかというとスープであろうとメニューの一つだと捉えているので「食べる」を使います。
とくにこれを書く場合は顕著で、「今日は話題のスープを飲んできました」みたいな文章は書かないですね。
やっぱり「今日は話題のスープを食べてきました」か「今日は話題のスープをいただいてきました」って書くと思うんですね。
加えて誰かに聞く場合には「飲む」を使わない。
「もういっっぱいスープ飲みますか?」
と質問するかといったら、たぶんしない気がするんですよね…。「もういっぱいスープを食べますか?」って聞く気がするんですよね。
これをクラスで討論すると若い世代になればなるほどその傾向が顕著でした。若い世代はスープものを「食べる」と表現することにあまり違和感がない傾向。
原因はいくつかあると思うんですけど、やはり若い世代ほど欧米文化に浸食されている(言語的に)。言語表現に無頓着。
欧米文化と日本文化のせめぎあいということではなくて、単に自文化もなければ多文化もないから単純な表現しかしない無頓着さはあると思うんですね。
「すする」をつかわなくて「食べる」で良くないか?といったように。逆に「すする」っていった方が粋かも!?みたいな空気すらあるような…。
それに僕が単純に思うのは、飯屋のメニュー表見ると日本語でスープの欄にあって、スープの欄は食べ物の欄にあって、飲み物の欄にないですよね。
これが決定的な影響を与えているんじゃないかなぁとか思うんですよねぇ。
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