俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

京都にいった話4(小野小町メインの日)

2013-07-29 22:01:01 | 国内旅行
6月3日(月)

そろそろ京都に飽きてきた現地滞在4日目。
今日は北を攻めます。同時に南に攻めます。
まぁ電車移動の日です。

東横インの朝食も3日目となり、さすがに飽きた朝9時ごろホテルを出発。

阪急・四条大宮駅→河原町駅まで電車に乗り、そこから京阪・祇園四条駅に移って北上。京阪・出町柳で叡山電鉄に乗り換えて鞍馬駅へ。



駅にはおじいさん・おばあさんの団体のほかに、遠足に来ていると思しき幼稚園児の集団。みな、山登りする気満々である。



鞍馬山。源義経が修業したことで有名ですね。僕はここにくるのはこれが初めてでしたが(汗。鎌倉時代の武人たちに興味がないので、ええ。



ただ。さすが修行をする山である。なかなかの上り坂です。個人的には山寺(立石寺)を登っているのと同じレベル…その何回も曲がり急な坂を登っていくことを清少納言は「枕草子」の中でこう書いています。


☆近くて遠いもの
近いくせに遠いもの。宮のべの祭り。愛情のない兄弟・親族の間柄。鞍馬の九十九折り(つづらおり)という、幾重にも折れ曲がった坂道。一二月の大晦日の日と正月の一日の間。

この皮肉を交えた一節。本来大晦日と元旦の話をしたいそうなんだけど、その近いはずなんだけど遠く感じてしまうもののなかにこの鞍馬の山道を上げています。距離としてはそんなにないとは思うのですが『ケーブルカーのっておけば…』と思わせる距離ではあります。

30分くらい登ると頂上?鞍馬寺に着きます。





こう、やっぱりパワースポットということでその手の方々がたくさん訪れています。僕はなにも感じませんでしたねぇ…パワースポットといいながら完全にパワー持ってかれてましたから(汗。

さて。
普通に下山してもいいのですが、次の目的地は南に少し行った貴船神社。鞍馬からまた電車に乗って貴船口に行くという手もありますが、ここは鞍馬寺の裏手から細い山道を通って貴船に出ることにしました。



これがまた長い。きっとこれも30分くらい歩いていたと思います。貴船神社周辺に着いた時には汗ダラダラ、クタクタでございます。





ええ。ここもカップルには大人気のスポット。縁結びの神様として貴船神社は有名ですね。男一人ではすごくいずらいです。何で来たかといえばその由来ともなっている和泉式部の歌が詠まれた地だから。



もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂たまかとぞみる
(恋しさに思い悩んでいると、沢に飛ぶ蛍も私の身体から抜け出してゆく魂ではないかと見えるよ)

平安時代のビッチ歌人である和泉式部が不仲になってしまった男を思って詠んだ歌。その結果、貴船神社から返し歌があって円満にいったというお話があるそうで。



いや。まぁ。和泉式部の歌。とくに恋のうたは秀逸なんですが、これを歌じゃなくて地でいってるから実際にいたらすげぇビッチ感漂うめんどくさいと思う…。

さて。気を取り直して貴船口駅まで歩きます。バスを待ってもよかったのですが、スイーツ感漂う元気いっぱいな女性陣とバスを待ち乗る勇気などないので(実際待つ時間と歩く時間はそんなに変わらなかったので)歩きました。



これで一気に南に行くつもりだったんですが、ひとつ寄るところを思い出したので「市原駅」で途中下車。

小町寺(補陀洛寺)と呼ばれる小野小町の墓があるとされるお寺に寄るのを忘れてて勢いよく降りたんですが、ここは無人駅。事前に調べておいたグーグルマップで特定していた場所に向かってみるとどう見ても民家\(^o^)/

ググってもどうしようもできないこともあるんですね。ということで住所から察して歩いていくと崖の上にお寺が。本当にここか?と思いながら階段を上がっていくとありました。



いやぁ。なにもない。なにもなくはないのですが、まぁ庶民的というか、地域の小寺というたたずまい。でも一応、小野小町終焉の地だそうです。





そこから再び駅に戻り電車に乗って京都の南に行きます。三条で東西線に乗り換えて「小野駅」に。ここは都会ですが誰も降りなかったですね…。

ここには小野小町が住んでいたといわれる「随心院」にいくのが目的でしたが、その前に蓮が綺麗という噂の「勧修寺」に向かいました。小野駅から西に向かうとちょうどつきああたりにあります。



んー、時期が早すぎてどうしようもない(汗。でも蓮の花が咲いたらすごいきれいなんだろうなぁと思う池ではありました。

そこからまた小野駅に向かって歩いて東の方に歩いていくとなんか門があって入り組んだ小道が現れます。そこを通っていくと「随心院」の門にたどり着きます。

まぁここもでありますが、ほとんどひとがいません…理由はきっと見るものが何もないからという気がしてなりません(汗。唯一といっていいのは石碑だけです…。



ただまぁ、歌舞伎などで有名な「若草少将」の話の舞台はこのお寺というか、この場所とされてます。地名が「小野」という通りこの辺りは小野一族が住んでいて、「随心院」があるこの地に小野小町が住んでいたとされています。その若草少将の伝説「百夜通い」とは以下の通り。

wikipediaを読むと「百夜通い」
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世阿弥などの能作者たちが創作した小野小町の伝説。
小野小町に熱心に求愛する深草少将。小町は彼の愛を鬱陶しく思っていたため、自分の事をあきらめさせようと「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの意のままになろう」と彼に告げる。それを真に受けた少将はそれから小町の邸宅へ毎晩通うが、思いを遂げられないまま最後の夜に息絶えた。
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と、ありますが調べてみると結末はそれに限らないみたいです。


京都通(京都観光・京都検定)百科事典より【百夜通い伝説】
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「百夜通い伝説」として、いくつかの具体的な話が残されている。
(伝説1)
小野小町は、深草少将が毎日運んできた榧の実で深草少将の通った日を数えていた
99日目の雪の日。深草少将は、99個目の榧の実を手にしたまま死んでしまう
小野小町は、深草少将の供養のため、99個の榧の実を小野の里にまいたという
(伝説2)
深草少将は、99日まで通い、100日目の最後の晩、大雪のため途中で凍死してしまう
(伝説3)
小野小町は、深草少将が毎日運んできた99本の芍薬(しゃくやく)を植え続けてきた。100日目の夜、秋雨が降り続く中、途中の森子川にかかった柴で編まれた橋で、100本目の芍薬を持った深草少将が橋ごと流されてしまう。小野小町は、月夜に船を漕ぎ出し、深草少将の遺骸を探し、岩屋堂の麓にあった向野寺に安置して、芍薬1本1本に99首の歌を詠じ、「法実経の花」と称した。その後、小野小町は、岩屋堂に住み、香をたきながら自像をきざみ、92才で亡くなった
(伝説4)
深草少将の死後、小野小町は、深草少将の怨霊に取り憑かれて物狂いになり、乞食の老女となった
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まぁひどい創作話ですわ!いくら美人でお高く留まっていたからといってここまで言うことないじゃないってクレイあの話です。

若草少将のモデルは僧正遍照といわれてますが、彼はもちろんのこと生きてますし、小野小町ともかなりいい仲だったといわれてます。


そのあと「随心院」のはずれにある小野小町の化粧井戸を見ました。



そこから今度は醍醐まで歩いて醍醐寺に生きました。世界遺産ではありますが、僕は初めて行きました。



でも広いだけでなんも面白くない(何。入り口にある超デカい庭(三宝院)しか見るところがない。



秀吉デザインのいかした庭園。僕が行ったときは閉園近かったので独り占めできました。ここは撮影禁止ですので写真はありませんが、素晴らしい庭なのでぜひ行ってみてください。

そのあと醍醐駅までいいって電車にとことこ乗って「烏丸駅」で下車。そこから四条通りを西に向かってちょっとあるくと「四条西洞院」交差点の角に小野小町が化粧の時に使っていた水を汲んだ場所「化粧水」の碑があります。交差点のビルに食い込んで立っているので、気付くのに5分以上かかりました。



そんでそのまま四条大宮まで歩いてホテルに帰りました。

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