六年前の今日は飛行機のなかにいて、自分だけがなにもわからない別の世界に閉じ込められていたみたいで、結局この六年間、本来いるべき世界から弾き出された気分でいます
— ATOP (@atop1986) 2017年3月12日 - 00:39
情報もなく、着く予定だった成田には着けず、新千歳の滑走路を飛行機の窓からずっと見ていた
— ATOP (@atop1986) 2017年3月12日 - 00:58
「地震が起きた」「下はいまヤバい」という情報しかない。成田と羽田は閉鎖、管制は大混乱。パイロットも困惑。関空へいくといっていたが、ただただ成田近くを旋回していた。そして、新千歳へいくとアナウンスがあり、夕日が差し込むなか飛行機は北へ向かいました
— ATOP (@atop1986) 2017年3月12日 - 01:22
新千歳空港に着陸したのが18時ごろ。ひたすら窓の外を見ていた。これが震災直後の私の記憶 pic.twitter.com/iF7Zu0dgtJ
— ATOP (@atop1986) 2017年3月12日 - 01:29
でも、震災にあって「なにかまずい」という気持ちはなかった。まだ明日について想像ができていた。新千歳についてまずしたことは上司に連絡だったから。
— ATOP (@atop1986) 2017年3月12日 - 01:40
はじめて、まずいと思った、もしくは明日について考えられなくなったのは、翌日の搭乗手続きをまっているときに見ていたニュースで、原発の水蒸気爆発の映像をみたとき、なにかヤバいとはじめて思った
— ATOP (@atop1986) 2017年3月12日 - 01:43
上司に連絡して、明日は出勤できないなぁと、ただ思ってて、そのあと家族に連絡する能天気でしたから。
— ATOP (@atop1986) 2017年3月12日 - 01:59
地震から翌翌日には出勤していて、そして計画停電が始まった
— ATOP (@atop1986) 2017年3月12日 - 02:10
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます