俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

飛び込め

2008-12-18 23:52:54 | ATOP
星野さんの本ありますよね。迷ったら前にでろ…だっけ?困ったら前にでろだっけ?どっちか忘れましたが、あれ案外間違ってないと思います。

どんなにバリエーションに富んだ口実そろえても、いつか訪れる袋小路。いっそ飛び込んでしまえ…地雷原だったとしても。飛び込んでみれば地雷原であることはすごく少ないんだと最近思います。でも唯一違うのは飛び込む前の状態には戻りはしないこと。それはそうなんだな、一歩進んだんだから。見える景色は変わるのは当たり前だから。

卒業ガイダンス

2008-12-18 15:30:27 | 勉強
今日は卒業ガイダンスに出てきた。今週二回目だが、なんか人が少ない…うちの学部1000人超いるはずなんだけどなぁ。

とりあえず年明け直ぐに試験が始まります。なんか例年以上に早い気がするんですが、つまりは今週が最後の授業となるものもあるわけです。特に月曜日。来週、一応あるけど休講になる可能性が高い。私も行くことになりますが…。

なんで四年生になって試験を意識しているかといえば、単位が危ないから。うちの部の政経の人は四年生後期は苦労する伝統を私も守っているわけです(何。私は余裕かなって思ってたんですけど、意外にまじめにやらないと危険なことが今日、あらためて成績表をみて思いました。前期通りやればなんの問題もないんだけど、本当に取れる保証はどこにもないんですよね…。まぁダメならダメで、それも人生の一興だと思っているので構わないわけですが。

愛の政治学入門

2008-12-18 02:01:46 | 社会問題
一昨日の爆問学問は再放送ということで姜尚中先生の「愛の政治学入門」でした。見たいなと思っていた回の再放送でしたので、ありがたい再放送でした。

まぁただちょうど秋葉原の事件が起きたときの話だから、秋葉原の事件の話に終始してしまって姜先生の専門分野に入り込めていけなかったのは残念。ただ内容自体は面白かったです。


爆笑問題の田中氏が言うわけです。

「(ブログなど)表現できる場所が増えたということは、傷つく場所も増えたということ」

実にそうなんだろうなぁ。結局ね。本来、自分自身のことをさらけ出すためにとか、客観的に見つめるためにネットを使っていたんだけれども、だんだんリアルな自分自身からどんどん離れていって自分を見失ったり、逆にネットにいるもう一人の自分とリアルな自分が近づきすぎていって、ストレスの発散以上にストレスの蓄積になっていることはあるんだと思う。

しかもさ、番組でも指摘していたけどネットってリアル以上にノーレスポンスなんだよね。リアルで話しているなら相手がそこに確かにいて、言葉がなかったとしても表情があって、仕草があって、なんらかしらの反応は手に入る。でもネットはなにもない。嘘か本当かも分からなくて、誰かいるようでいない。

だから、2ちゃんねるのひろゆき氏が言うように「嘘を嘘と見抜けない人には(掲示板を使うのは) 難しい」わけで、ネットを利用する上で注意しないといけないのはリアルと同じ姿勢で臨んでは危険ってことだろうね。まっとうな期待なんて抱いてはいけないのだろうし、逆にまっとうでない期待を込めることができるという不思議な世界であることを理解していないと、傷ついてしまうんじゃないかな。

その点、私の場合はネットにそれほど期待をしていない…ネットって言うのはやっぱり手段だと思ってる節は強いから。別にこのブログにノーレスでも、気にしないし傷つきやしない。やっぱりそれはリアルな世界にまだ応えてくれる友人や家族がいるから、ネットで起きていることは私の中では二次的なものなんだと思うなぁ。


番組の中でこういう会話がなされます。


姜:一番大切なことは、彼らは社会とつながりたいんだ。つながりたい。

田中:そうですよね。実際リアクションがないってことで、当然ノーリアクション、無視されている、疎外感っていうふうになっちゃうわけだけど、そこで想像力を働かせて、実は届いているんだって。

太田:やっぱりそれはね、それこそ恋愛だったり、やっぱりコミュニケーションなんですよね、人間同士の。で、そうすると、あいつの悪口を、例えば友達同士でも親友だと思っていたやつが、こいつは何でも言えると思って、僕なんかもそうですよ。何でも言えると思っていたら。

田中:調子に乗って言うと。

太田:こっちがボロボロになっちゃったみたいなことってね。自分の言葉は届かない、届かないと思っていると、後でひどい目に遭うぞと。全部届いて、相手がこけちゃう時があるんだっていうこともやっぱりそれは経験だと思うし、人を傷つけた経験とか。



これを聞いて思ったことが1つあるわけです。わりと私のブログには「私のことを誰も分かってくれない」とか書くことが多いわけですが、そういうのって誰にも届いていないものだと勝手に思っていたんですが、実は届いているのかもしれないって思いました。そう思ってら結構怖くなりましたね。

普段好き放題書いているわけですが、実はこの文章をまじめに受け取っている人がいて、私が思ったこと・伝えたいこととは違うことを感じ取っていたりして、「今日書いてあることは自分のことかもしれない…」とか考えたりして、無駄に傷つけているかもしれないわけです。私がいくら意図していなかったとしても、受け取った人の自由がうりの世界観のネットだから、そういうことは実に多いのかもしれない。


そして太田氏が自身の殺人予告を通して思ったことを語ったわけです。

その文章をずっと何度もみて、そのあと彼はただ冗談だと言ってるんですけどね、ものすごく憎しみが伝わってくるんですよね。言葉をみると。

僕を『殺したい』ってネットにのるわけですよね。なるべく僕は刺激しないようにっていうのがありますよね。ノーリアクションでいろっていう空気があるわけですよね、そういうものに対して。

だけどそれで抑えているのが、今度逆に彼らの方は、これはリアクションが来ないから伝わっていないだろうと、別のアプローチをする。何をやっても自分の表現というのは世の中に伝わらないと思う。

だけどしっかり伝わっているの実は。そのことをね教えてあげたいと思うんですよ。



でも、太田さん。いつもあなたは言ってるじゃないですか。自分の考えていることを伝えたくて伝えたくて仕方なくて、どうやったら自分の考えていることがその通り伝わるかを真剣に色々なアプローチを挑んでるのはあなたじゃないですか。それにそこに限界なんてなくて、いつも苦しんでるのは太田さん、あなたです。どんなにアプローチしても満足できないで不安で仕方ないのに…。

まぁでもそこがネットとリアルの違いなんでしょ?リアルだとそこに人がいて、空気が読めるんだよね。これ以上やっても悪化するだけだとか、もっとやればうけるとか。良きにしろ悪きにしろ手応えが少なからずあるんだろう。そうだよね。だから、私もネットが絶対的ではなくてあくまでもサブなんだな…サブも十分危ないんだろうけど。


最後に姜先生は分野外な発言をぶっ放すわけです。

(秋葉原の)彼は結局、最後まで受身で、誰も自分に声をかけてくれないっていうのがあったけど、自分をさらけ出さなければ相手からもアテンションは返ってこない。悩みながらも、悩む力をてこにして言葉を発せられるならば、必ずリアクションがあったはずどこかで。

まーつまり、そういうことなんだなぁ。大いに青春しようじゃないか、皆さん。他人に対して全力であたっていこうじゃないですか。かっこ悪くても、恥ずかしくても、正直になれなくても、全力で。昨日の自分を壊してしまうくらいに。いつだって人はきっと生まれ変われる気がします。生まれ変わるためには自分自身動かないといけないけど、動き出したらきっと誰かが見ていてくれるし、手を貸してくれる。だから私は皆に救われてる。そういう点で私は幸せ者だと思います。


PS
ミュージシャンに世界を救えるのは何かと問えば「音楽」と答えるだろうし、科学者に問えば「科学」と答えるだろうし、記者に問えば「ジャーナリズム」と答えるだろう。
でも私は政治学を学ぶ人間として、このくそったれな世界を救えるのは「政治」だと思う。政治ほど超法規的なものはないし、姜先生がいうように政治とは愛だから。人間そのものだから。