俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

深夜4時の考え事

2005-07-02 23:57:49 | ATOP
 オホと話して言われたことだが、どうやら私はものすごく視野が狭いらしい。考えてみれば、全てにおいて割りきることとか、人間関係における対応そのものが実に視野が狭いのかなと思う。なんにつけてもどこか諦めてるし、最終的に自分の土俵以外には皆目興味がないときてる。どっか期待外れなことがあっても、100%受け入れない。これは良いこれは悪いではなく、これはこれでアリだなと認めてあげるのが大人かなと。人の考えていることが分かるならなおさらのことかもしれない。自分の近くにいる人間がどんな見え透いたとしても、それがわかっているなら、それごと全てひっくるめて認めてあげることが大事かもしれない。
 もう少し私がまわりに対して、自分に対してナーバスにならなければ、それも可能だと思うが、人に依存する恐さ、人を信頼する恐さ、そして自分が傷つく恐さ、自分の弱さを知られる恐さ、全てが不安となる。もう何も失いたくない、失うくらいなら何も手にいれなくてもいい。失ったときに悲しむなら最初から諦めていたほうがいい。弱さを露呈するなら、視野を狭くすればいい。自分が保守的になれば、他人を傷付けることはあっても自分は傷付かない。そうして生きていけば、少なくとも私だけは幸せとはいわないまでも無難に人生をすごせると思った。
 でも他人を傷つけ踏台にしてまで保守的であることなんてない事実がそこにはある。それがわかっていても結局昔からそうであったように、悪いことがわかっていても直そうとせず、諦めるだけ。だから人の親切なり優しさなりをうざがり、人に厳しさを求めるのかもしれない。人に厳しくされているほうが、諦められるし、悪いところを直しているという錯覚すらできる。
 そう考えると自分で生きてきたというより、他人に生かされてきたことがよくわかる。他人に生かされていた方が楽であるのは事実。だから私は仕事を自分で買って出るより、任される方を望む。一つの歯車として生きることを嫌いながらも、一つのシステムとして導入されている自分がそこにいる。

嫌ダメッス

2005-07-02 00:22:34 | イベント・企画
 今日は六大学連盟の飲〇会がありまして、まぁ名前のとおり6大学の新聞部が集まり飲〇会をやると。実際今日は東大が来ていなかった(噂ではスポーツが弱すぎて廃部なんて誰か言ってましたが)ので5大学で集まり親睦を深めたたわけです。
 実際これで親睦が深まったかどうかはいたって微妙ですが(汗、なんというか正直言って私は行く必要があったのか良く分からなかったです。そもそも誰も坊主に近づいてきて話そうと思う人はいない。最初の段階では誰も隣にこようとしなかったし(笑。でもビールのピッチャーがくれば注ぐ係りを勝て出るわけですが、すぐ酔いがさめて意気消沈。ものすごいテンション下がって、一人たたずむ私。声をかけてくれる他大の人もいたが「いやまぁ、はい」状態。
 いやぁダメです。飲〇会無理です。もうしばらく飲〇会パス。少人数の飲〇会以外パスです。