俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

割り切り

2005-06-17 03:03:43 | ATOP
 最近の私。どうも割り切りすぎている。自分でも驚くくらいにさばさばしている。これが最近「冷たい」と言われる所以か。結局のところ、私にあるのはイエスかノーか。うーん、なんだかねぇ。もっと人に優しくなれたら良いことなのかもしれない。
 他人の責任を負いたくない。自分の責任を他人を負わせたくない。そのことを常に考えている。まぁ誰だって他人の責任を負いたくはないと思うことだと思う。自分の責任を他人に押しつけることもしたくはないと思うのは普通かもしれない。ただどうしても集団生活を営んでいく上では連帯責任というか、どうしても他人の責任を共有せざるを得ない状況になることが多い。それは私も仕方ないことだと思う。一緒に生活しているのだからそれは当たり前な話。ただ私は進んで他人の責任を負いたくないし、自分の責任を誰かに負わせたくない。他人の責任を負うことはともかくとして、自分の責任を他人に負わせるほど私は周りを信用してない。他人に責任を負わせたときに自分が不安だし、そういう迷惑を背負い込ませたくない。そして他人の責任を負ったときに、責任を果たせる自信なんてこれっぽっちも私にはない。
 だから必要以上に仲良くなりたくない。裏切られたとき、裏切ったときに大きな痛手を負うから。ましてや大事な人に責任とれなかったときの無力さ。これはつらい。
 優しくする怖さは確実に誰にでもあると思う。もしくは優しさはある意味、人間関係おける武器、もしくはカードとして存在するかもしれない。
 割り切る。イエスかノーか。仕方ないと思えばそれっきりだし、当たり前と思ってしまえばそれっきり、誰か悪いならそいつが悪い、自分が悪いななら自分が悪い。実に簡単なことだ。なんだところで結局自分でどうにかするしかない。自己納得、自己完結。良いか悪いか。たったそれだけのこと…。悩むことなんて疲れるだけということに、いつごろからか気づいてしまった。いつごろからか考えることを忘れてしまった。実につまらない人間ができあがってしまった。これも仕方ないことか…。