俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

優しさってそういうことかな…

2005-06-21 01:06:04 | ATOP
 なんだかさぁ、こう私が言うと開き直りに聞こえるんだけど…まぁ開き直りに聞こえてくるならそれはそれで構わないんですが、人に優しくないのは悪いことですか?私は人から優しく思われなく構わないし、事実自分は人に優しくないと思うし、親切でもないと思う。人のために泣けたりしないし、あまり同情もしないほうだし。
 わからない人に説明を少しします。今日部活の同期が一人やめるということを言いました。私としては「まぁ仕方ないな」って思ってたら、ほかの同期は泣く奴もいれば深く考える奴も出てくる。びっくりした。皆優しいんだなって思った。
 それはまず置いておいて、私は正直その人にやめんなとは言えませんでした。自分だってそういう状況だったらすっぱりやめると思うから。私には私の生きる道があるし、彼には彼の生きる道がある。ましてや新聞づくりよりもやりたいことがあるならやるべきだと思う。私だってもっとやりたいことが見つけたら、それをやりたいと思うし。その場でも言ったんだけど、やっぱり自分たちは小学生じゃないんだから皆で平等に同じことやるって言うわけにはいかないし、それぞれ自分の状況も環境も違う。同じ大学生ならそいつのやりたいことを優先させてやった方が良いじゃん。それぐらいわかってやって欲しい気もする。
 とりあえずその状況で泣ける人って優しいのかなって思う。もしくは弱いのかなって思う。そうして泣ける人はいい人なのかもしれない。私はどうもそういう状況で泣けないし、引き留めたいともあまり思えない。前も書いたけど割り切ってるというかどこかあきらめてるというか、仕方ないことと認めている感がある。いつからそういう考えに陥ってしまったかさっぱりわからない。でも今はそう思えてしまう。それが強さだなんて考えてはいないけど、私には一番傷つかない方法で一番何も失わない方法なのかもしれない。自己分析すると私を覆う極度の不安がそうさせているんじゃないかと思う。基本的にナーバス。こうなってはいけないからこうしよう。こうなるぐらいなら今こうしようという不安。そして自分の弱さを他人に見せたくないということもあるかもしれない。
 うーん、泣いていた人にメールするか、泣いてる人を介護してた人にメールでもして「大丈夫か?」とでも訊こうと思ったけどやめました。今はそれぞれ自分で考える時間なのかなって気がしました。まだ手をさしのべる時期ではないかなと思うし。一人で乗り越えられるならそれに超したことはないし、それでも悩んでるようだったら手をさしのべてやるのが良いのかなと。最終的には自己納得・自己解決しなければならないことだしさ。まぁそっからして私は優しくないかなって気がしますがね(苦笑。
 それからやめる本人にメールしようかどうかも考えたけど、自分がやめるんだったらメール来たらためらうかなって気がするからやめました。やっぱりやりたいことがはっきり見えてないなら、大海原へ飛び出し自分の目で確かめなきゃだめでしょ。そこで中途半端に引き留めるほど野暮なことはないかなと。言いたいことは本人に伝えたし、もうこれ以上変に悩ませてもつらいだけだろうし。

PS ただの愚痴じゃん…この日記