ぽてと倶楽部

じゃがいも伝来の地 『長崎』
雲仙普賢岳の裾野に広がるじゃがいも畑。
ここ愛野町は北海道に次ぐ「ポテト王国」です。

あの日から1年

2012-03-11 | よもやま話
一年前の3月11日午後2時46分、
今でもはっきりと記憶に残っている。

わたしは北九州から中津方面へ車で走っており、
たまたま車の中でNHKの国会中継を聞いていた。

ちょうど菅さんが政治献金問題で答弁中だったと思う、
突然、緊急地震速報のチャイムが割って入った。

その後、数十秒後には放送は渋谷のスタジオに切り替わり
アナウンサーが地震警報を繰り返している最中に
「ああ、今、渋谷のスタジオが大きく揺れています。」
「随分長く揺れが続いています。スタジオの中が・・・・」
あのNHKのアナウンサーが混乱していた。

その後、震源と各地の震度が繰り返えされ、津波警報が発令。
繰り返し刻々と津波到達時刻が発表され、
さらにアナウンサーの緊迫した放送は続く。

「ヘリから送られる映像を見ていますと
 津波が直ぐそこまで迫っています。」
「まだ、海辺で何人かの人影が見受けられます。
 どうかこの放送を聞いている方がおられたら教えてあげてください。」

ラジオから聞こえてくるこの生々しい放送は
現実なのかと耳を疑うほどの緊迫感を覚えたものだった。

次第に時間が経つにつれ各地の被害状況が次々に伝わり、
聞きなれた地名が関東地区まで発表されている。
尋常ではない災害であることは直ぐ分かった。

私の周りでは気仙沼市役所に勤務するOさん、
仙台宮城野区在住のTさんの安否が気になったが
電話も繋がらず連絡の取りようもなかった。

しばらくして長男からは「生きてます!」のメールが。
唯一調布の叔母とは電話が繋がり、
かつてない地震の大きさにしゃがみ込んだまま腰が抜けて
しばらく立ち上がれなかったとか。

でもその時はまだ、福島第一原発の事故は表立っておらず、
これがさらなる甚大な被害をもたらすことになるとは知る由もなかった。



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