カナの婚礼(ヨハネ書第二章)
イエスが洗礼者ヨハネと出会ってから五日後、ガリラヤ地方のカナという土地で婚礼があり、イエスの母マリアがそこにいた。そして、イエスと弟子たちもその結婚式に招かれた。
その時のことである。
にぎやかな婚礼でぶどう酒もすっかり飲み尽くされてしまい、困ったイエスの母マリアは、イエスのところに来て言った。
「ぶどう酒がなくなってしまいました」
すると、イエスは母に答えられた。
「婦人よ、私はあなたと何のかかわりがあるのですか。私の時はまだ来ていないのに」
彼の母は召使たちに言った。
「彼があなたたちに申し付けることは何でもしてあげてください」
すると、そこにユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置かれてあった。それぞれ四、五斗水が入っていた。
イエスは彼らに言われた。
「水がめを水で満たしなさい」
そこで、彼らは、水がめを縁いっぱいまで水で満たした。
すると彼は彼らに言った。
「さあ、汲み出して宴の主人まで持って行きなさい」
そこで彼らは持って行った。
宴の主人が水を味見したとき、ぶどう酒になっていた。だが、それがどこにあったものかは知らなかった。(しかし、水を持って来た召使たちは知っていた)
宴会の主人は、花婿を呼び、そして彼に言った。
「人は誰でもはじめに良いぶどう酒を出し、酔っ払ってから悪い酒を出すものだ。あなたは今まで良いぶどう酒を取っておいたのですか」
これはイエスがガリラヤのカナで行った奇跡の初めである。そうして彼の栄光をお現しになった。そこで、弟子たちは彼を信じた。
この後、彼と彼の母と彼の兄弟と彼の弟子たちはカペナウムに下ったが、そこでは多くの日を過ごされなかった。
ヨハネ書第二章では、カナの婚礼での出来事をこのように記録している。
イエスがその生涯で初めて奇跡を現されたのは、ガリラヤ地方のこのカナにおいてだった。このあたりは、ユダヤ王国の中心地エルサレムからは遠く北に位置する。どちらかといえば辺境の地で、ユダヤ人も異邦人と共に暮らしていたと思われる。イエスが両親のヨセフやマリアと共に幼い日を過ごした故郷のナザレとも目と鼻の先にある。この奇跡がこの地に現れたことからも、カナには信仰深い人が多く暮らしていたことがわかる。このあとに行かれたガリラヤ湖畔のカペナウムにイエスは住まわれ、そこで多くの弟子を見出された。
新約聖書のカナと現在のレバノンのカナが同じかどうかについては論争があるらしいが、いずれにせよ、この地方は新約聖書の歴史と深いかかわりを持った地方である。平和の象徴とでもいうべき婚礼の行われたこのカナの地で、先日7月30日に報じられたニュースによれば、イスラエルとヒズボラーとの紛争のなかで、イスラエル軍の攻撃によってアパートが破壊され、56人が殺されたそうである。そのうち34人が子供であったという。
奇跡の恩恵のあった地で今日殺戮が行われる。このカナでは10年前にも100人以上の市民が殺されたばかりである。これらの事件は、現代人の不信仰の証明のようにも見える。和解は不可能なのだろうか。和解の道はないのか。第三次世界大戦の忍びよる足音さえ聞こえてきそうだ。
「先生、質問」「なんやねん」「キリストって神様やろ」「ふむ」「その神様に『酒ぐらい作ったれや』と神さんハタいた「浪速のおばちゃん」みたいなマリアはん、地獄行き?」「う~~~ん。ケルト人の女伸信仰がマリア信仰とオーバーラップしただけちゃう?(答えになってない)」「ほな、マリアはん、神さんか?」「神さん、ちゃう、神さんのおかんだ」「聖書では、否定してまんがな」「あのね~数百年かけて出来た書物に論理性を求めてはいけないのよ」…以下、「そら」様、この子に納得いく説明を。
いい歳さらして、自分の言いたい事、解んないの?ワタシャ、洛ちゃん、Qちゃん、KENTさん、みたいに、人間できていない。スカッと言っとくれ。駄文の不法投棄はやめてくれ。