作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

神戸児童連続殺傷事件 当時14歳少年の全事件記録 家裁が廃棄

2022年11月02日 | ニュース・現実評論

 

神戸児童連続殺傷事件 当時14歳少年の全事件記録 家裁が廃棄


神戸家庭裁判所が社会的にも重要な少年犯罪記録を廃棄していたことが報じられていた。平成九年に起きた神戸の児童連続殺傷事件で、逮捕された当時14歳の少年に関するすべての事件記録である。

14歳の少年によって引き起こされたこの事件は、その特異性によって社会的にも大きな影響を与えた。当時私は、この事件を担当した中垣康弘判事の「神戸児童連続殺傷事件」に対する判決を読んで、「裁判官が医療者や精神的カウンセラーになってしまっては、裁判は裁判の意義を保てない。」として中垣康弘裁判官のこの少年事件に対する判決に対して批判的な記事を書いて記録していた。

この中垣康弘判事による判決文は、どこかに記録していたかもしれないが、探してみたが今となってはわからない。神戸地裁で行われたこの裁判の判決文や、犯行少年に対して行われた精神鑑定書なども、犯罪の記録や調査、研究に寄与する貴重な記録であったはずである。それらが全て失われたとすれば、日本の司法における文書管理の意識と制度がまたどれほど杜撰なものであるかが、この件で明らかになったということだろう。

この少年犯罪を担当した中垣康弘判事の判決に批判的であった私のようなものからすれば、裁判記録を全て廃棄したのも、この裁判の低劣な判決を隠蔽するためではないか、などと邪推しかねない。

以下に引用した記録は、当時においてこの少年事件を担当した中垣康弘判事の判決に対する私の批判と、「神戸児童連続殺傷事件」の全事件記録を神戸家裁が廃棄したことを報じる先月10月20日のNHK の記事である。

>>  <<

裁判官の人間観

2005年 04月 27日

近年司法の改革が進められて来た。昨年には裁判員法が公布され、五年以内に裁判員制度が発足することになった。よりよき司法制度に向かっての一歩前進として評価したい。昔から「三人寄れば文殊の知恵」ということわざもあるように、出来うる限りの多くの人の知恵、知識、経験を持ち寄って合議が行われれば、さらにいっそう正義と真実が実現されることになるだろう。市民が公共の問題に関心を持ち、認識を深めつつ公共の精神を培ってゆくのは良いことである。


とはいえ、現在の裁判制度のもとで下される判決の中には、首を傾げたくなるようなものも多い。1997年に神戸でおきたいわゆる「神戸児童連続殺傷事件」に対する判決もその一つであった。この事件の犯罪者が14歳の少年であったということもあって、この特異な事件は世間の耳目を集めることにもなった。この事件を契機として、ますます凶悪化する少年犯罪にの傾向に対して、少年法の改正にも取り組まれることになった。事件に対しても判決が下されたが、少年は少年院ではなく、医療少年院に送致され、保護処分になることが明らかになった。そのときに、私は何かこの判決に不本意なものを感じたのだが、はっきりしないままに中途に放棄したままだった。


私が感じたそのときの違和感とは、要するにこの判決によっては正義が回復されないのではないかということから来るものである。この判決では、少年は犯罪者ではなく病人として、少なくとも一種の精神的な異常者として取り扱われることになる。しかし、これでは、犯罪と精神病理との区別を解消してしまうことになる。確かに、犯罪は一種の「精神的な病」といえるかも知れないが、しかし、少なくとも犯罪は肉体的な病理現象とは区別されなければならない。実際にこの判決で検討された協同鑑定書においても、少年が「普通の知能を有し、意識も清明で精神病であることを示唆する所見のないこと」を認めて裁判官もそれに同意している。


もともと、犯罪とは精神的な機能においてはまったく「正常」な状態で実行されるものである。そうでなければそれは、もはや犯罪とは言えず、「病気」にすぎない。私には現在の裁判官がどのような人間観、刑法理論に基づいて判決を下す傾向があるのかよくわからない。しかし、裁判というのは、失われた正義を回復することが、根本的な使命である。欧米の裁判所の梁を飾っている、目隠しされた正義の女神の像が手に天秤を握っているのはこのことを象徴している。裁判官が医療者や精神的カウンセラーになってしまっては、裁判は裁判の意義を保てない。


裁判官の中垣康弘判事も、被害女児の両親の「少年を見捨てることなく少年に本件の責任を十分に自覚させてください」ということばを引用し、そして、「いつの日か少年が更生し、被害者と被害者の遺族に心からわびる日の来ることを祈っている」といいながら判決文を結んでいる。ただ、私がこの井垣判決で感じた疑問点は、そこには少年の更正のための配慮はあっても、失われた正義を回復するという、裁判官の──それは国家の意思でもある──確固とした意思のないことである。犯罪とは国家の法(正義)を侵害することである。そして、犯罪者による正義への、法へのこの不当な侵害については、犯罪者が正当に処罰されることによって、犯罪者に刑罰が課せられることによって、法と正義が回復されるのである。また、犯罪者自身も正しく処罰されることによって人格として尊重されることになる。なぜなら人間の尊厳は意思の自由の中にあるのであり、犯罪者といえども善悪を知る存在であり、かつ、明確に悪を選択し、正義を侵害する選択をしたからである。


神戸児童連続殺傷事件の判決では、女神の天秤は著しく傾いたままで、失われた正義の均衡は回復していないようにも思える。社会と国家の正義は破損されたままである。そして、再び、神戸の犯罪少年の崇拝者が最近になって同じ犯罪を犯した。裁判官は今回の十七歳の少年をどのように処断するのだろうか。 

 

裁判官の人間観 : 夕暮れのフクロウ https://is.gd/2yEoMO

>>  <<

 

神戸児童連続殺傷事件 当時14歳少年の全事件記録 家裁が廃棄(NHK web

2022年10月20日 17時27分


平成9年に起きた神戸の児童連続殺傷事件で、逮捕された当時14歳の少年に関するすべての事件記録を神戸家庭裁判所が廃棄していたことが分かりました。最高裁判所の内規では歴史的な資料として価値が高いと判断した記録は永久的に保存するよう指示していて、神戸家庭裁判所は「当時の記録保存の運用は適切ではなかったと思われる」としています。

廃棄されていたのは25年前の平成9年、神戸市須磨区で起きた児童連続殺傷事件で逮捕され、その後、医療少年院に収容された当時14歳だった少年に関するすべての事件記録です。

一般的な少年事件の捜査書類や審判記録は少年が26歳になるまでの保存が定められていますが、最高裁判所の内規は歴史的な資料などと判断した記録について、「保管期間満了後も保存しなければならない」と定め、「特別保存」として永久的に保存するよう指示しています。

この内規の具体的な運用を定めた通達では、その対象として
▽全国的に社会の耳目を集めた事件、
▽少年非行などに関する調査研究の重要な参考資料になる事件などを挙げています。

事件記録が廃棄された時期や経緯などは不明だということで、神戸家庭裁判所は「廃棄する際に実際にどのような検討がなされたのかは不明だが、現在の特別保存の運用からすると当時の対応は適切でなかったと思う」とコメントしています。


土師淳くんの父親 守さん「廃棄には憤りを感じる」

神戸児童連続殺傷事件の記録が廃棄されていたことについて、事件で殺害された土師淳くんの父親の守さん(66)が取材に応じ、「廃棄は考えてもいなかったので、驚いたとともにあきれました。加害者がなぜ事件を起こしたのかを推測できるような資料は今でも見たいと思っています。資料が保存されていても今の制度では閲覧できない事実は変わりませんが、廃棄には憤りを感じます」と話しました。

そのうえで、「資料をもとに専門家が検証することができなくなってしまったのは、社会的にも問題だと思います。司法は経緯をもう一度見直して、対応を改善してほしいです」と訴えました。

専門家「保管期間過ぎた事件記録を機械的に廃棄していたのでは」

裁判記録の取り扱いに詳しい、龍谷大学の福島至名誉教授は「これまでの少年事件の中で重大なものの1つであり、少年法の厳罰化や教育現場など社会に大きな影響を与えた事件でもあっただけに、重要な意義を持つ事件記録が失われてしまったことはとても残念だ。裁判所はおそらく保管期間が過ぎた事件記録について、機械的に廃棄していたのではないか」と指摘しています。

そのうえで、「25年前のような不幸な事件を二度と繰り返さないためにも、事件から何を教訓として学ぶかが、今の時代を生きる私たちにとって重要なことだ。そのためにも、記録は原則、保存するべきで、現在の管理や閲覧の在り方そのものを改めて議論していく必要がある」と話していました。

江川紹子さん「廃棄してしまう感覚に驚く」

神戸児童連続殺傷事件の記録が廃棄されていたことについて、裁判記録の取り扱いに詳しいジャーナリストの江川紹子さんは「この事件は少年法が厳罰化されるきっかけにもなった歴史的にも重要な事件であり、全国的に大きく報道されて、まさに社会の耳目を集めたものだ。その記録を廃棄してしまうという裁判所の感覚に驚く」と話します。

そして、「少年事件の記録なので今の制度上は利用や閲覧が難しいとしても、長い時間を経て司法の歴史や少年犯罪の研究などで活用されることも考えられる。さらに制度というものは変わる可能性があり、もし被害者のご遺族などが閲覧を望んでいたとしたら、その可能性を奪ったことになる」と指摘しました。

そのうえで、「司法文書は公文書で国民共有の財産だという意識が司法に携わる人たちに欠けているのではないか。最高裁判所や国会は経緯や原因をきちんと調査し、改善に向けて何が必要か検証するべきだ」と話しています。


裁判や審判の記録 保存は

裁判などの記録の保存について、最高裁判所は昭和39年に規程を設け、一般的に少年審判の記録は少年が26歳に達するまで保存するとしています。

保存期間が終了した記録は廃棄することになっていますが、「史料または参考資料となるべきものは保存期間満了のあとも保存しなければならない」と定めています。

そして、平成4年に全国の裁判所に出した通達で、
▽世相を反映した事件で史料的価値の高いもの、
▽社会の耳目を集めた事件、
▽少年の非行に関する調査や研究の重要な参考資料になる事件などについては、
必要と判断した場合は原則、永久保存するよう指示しています。

このほか、家庭裁判所の調査官が少年について調査した記録に関する保存規程もあり、審判の記録と同様に永久保存が可能としています。

永久保存するかどうかは記録を保存している裁判所が判断するということで、最高裁判所は「この事件が対象にされなかった理由や当時の状況は不明であり、対応が適切だったか見解を述べることはできない」としています。

また、経緯などを調査する予定は現時点ではないとしたうえで、「仮に当時の職員を聴取してもあくまで個人の見解や記憶の範囲にとどまると考えている」としています。

松野官房長官「裁判所の定めるルールに従ってなされるべきもの」

松野官房長官は、午後の記者会見で「裁判所における文書管理については裁判所の定めるルールに従ってなされるべきものと承知している。裁判所における少年事件記録の取り扱いに関する事柄であり、政府として答える立場にない」と述べました。

>>  <<
神戸児童連続殺傷事件 当時14歳少年の全事件記録 家裁が廃棄 | NHK | 事件 https://is.gd/8tfqTt

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする