作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

円位上人無動寺へのぼりて

2016年02月06日 | 西行考

 

円位上人無動寺へのぼりて、大乗院の放ち出(はなちで)に湖を見やりて     
            
      にほ照るや 凪(な)ぎたる朝に 見わたせば 
      漕ぎゆく跡の 波だにもなし     
                        西行    
            
 帰りなんとて朝(あした)の事にてほどもありにし、今は歌と申すことは思ひ絶えたれど、結句をばこれにてこそつかうまつるべかりけれとて詠みたりしかば、ただに過ぎがたくて和し侍りし     
            
      ほのぼのと 近江の海を 漕ぐ舟の 
      跡なき方に 行く心かな     
                        慈円

円位上人(西行)が無動寺へ登った時に、大乗院にある放ち出から琵琶湖を見下ろしながら詠んだ歌、

朝凪に照り返る湖面を見渡しても、漕ぎゆく舟の跡には波さえもありません

都に帰ろうとする朝のことで時もありました。今は誓いを立てて歌を詠むということは思い絶っていましたが、最後の歌をここでこそお詠み申し上げるべきでしょうと言って円位上人がお詠みになったので、ただにお聴き過ごすこともし難く、上人に和して私もお詠みしました。

近江の湖をほのかに漕ぎわたってゆく舟の、波の跡もない方に向かって私の心も引かれ行きます 

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2月5日(金)のTW:西行と賀茂社

2016年02月06日 | 西行考

「京都の賀茂社(上賀茂神社と下鴨神社)を心から崇め、度々境内に参っては歌を詠んでいた西行にとって、伊勢神宮を訪れたのはなんら不思議ではない。上賀茂の御手洗川や下鴨の瀬見の小川にも似た伊勢の五十鈴川の清々しさは西行の心に安堵をもたらしただろうし、はるかに広大な伊勢の神域に西行は深い畏敬の念を抱いたのである。」(石川雅一『清盛の盟友、西行の世界を辿る』s.172)


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