作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

梨花一枝春帶雨

2010年04月18日 | 日記・紀行

二千十年四月十八日(日)小雨のち曇

玉容寂寞涙闌干 梨花一枝春帶雨

久しぶりに、学生時代の友人である東京のS・T氏から昨日留守電が入っていたので、今日のお昼頃に電話を入れる。久しぶりに彼の声を聞いた。昔のように若々しい彼の声である。彼は私の声を果たしてどのように聴いたことだろうか。

四時頃になってようやく山の畑に出かける。麦畑の間に雑草のはびこっているのに気づいて、雑草を取る。いつものように、山を散策する。イチジクとビワと桃と柿を果実として植えている。山を散策しながら、これらの果樹の生長を眺めるのが楽しみである。また、その途中に仲間の植えた果樹を眺めることができる。桃などが美しい花を咲かせている。本日の散歩で気づいたのは、白い花が咲いていたことである。これまでの散策では花をつけていなかったので、この果樹の存在に気づかなかった。今日は白い美しい花が咲いていたので、近くでブドウの樹の手入れをしていた人に確かめると、やはり梨の木であった。すぐに、白居易の長恨歌の中の「玉容寂寞涙闌干 梨花一枝春帶雨」の一句が浮かぶ。楊貴妃の美しさを露を帯びた梨の木の花にたとえたものである。その白い清楚な美しさは、桃の花の華やかさとは異なった美しさがある。いずれ私も余裕があれば、梨の木も植えたいと思っている。

                     

 

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