作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

hishikaiさんの「都下闃寂火の消えたるが如し」評(2)

2008年07月23日 | 歴史

hishikaiさん、コメントのコメントありがとうございました。

漱石の『私の個人主義』などは昔読んだ記憶はあるのですが、その細部は忘れてしまっています。

先の漱石の日記の見解の論理構造を整理されていると思いますが、hishikaiさんのおっしゃる「その原因の半分に明治以前からの庶民の土俗的信仰習慣の問題(この場合は庶民の側からの自発的な天皇信仰(の欠如)」が「戦後民主主義」はとにかく「日米開戦」にどのようにつながるのか、その論理が今ひとつピンときません。よろしければ、もう少し詳しく説明してください。

ちなみに私の場合は、伝統的に弱い「国民主権」が、結果として(おおざっぱな論理ですが)「日米開戦」や「官僚主権国家」を防ぎ得なかったと考えているからです。加藤友三郎や東郷平八郎元帥らが生きている間は、ワシントン会議に見られるように軍部の主戦論者に対する押さえは利いていたのです。彼らの死後はその重しもなくなってしまいました。しかしいずれにせよ、歴史にIFは禁物です。

そら(ANOWL)

 

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ナスビ

2008年07月23日 | 日記・紀行

ナスビ

駅を降りてから我が家へと向かう途中の景色も、一昔から見ればずいぶんに様変わりしたものだ。要するに畑や稲田などの農地が減って宅地が増えたということである。

市街の中心部に通勤通学する人たちのベッドタウン化が進みつつあるとはいえ、それでも市街地からは少し外れているので田圃はまだまだ残ってはいる。朝夕に徒歩か自転車で稲田の間を抜けるとき、青サギや白サギが田圃で餌を啄んでいる姿も見られるし、遠く南の方角から、青い稲を波打たせながら涼しい風が吹いてくるのを感じることもある。

そうして道々に農家の人たちの労働の結晶であるその青い稲田や畑を眺めたり観察したりしながら帰ることも多い。

水田の間に混ざってところどころにかなり大きなナスビ畑がある。農家が近隣のマーケットなどに、ナスビを商品として納入しているのだろうと思う。ナスビの葉や茎が畑の畝に見事に育っている。ナスビの茎や葉を支えるためにつるされた白い紐の、そのきれいに整然とした配列は、遠くから見ると製糸工場で紡織機が列んでいるようにも見える。

ちょうど夕方に私が歩いているとき、まだ農家の人が畑でたまたま仕事をしてしているようだった。道路の片側に軽トラックを寄せていた。その荷台には丸い大きな口の開いたポリタンクも載せられていた。日焼け予防の帽子と手ぬぐいで顔を隠した農家のおばさんがホースを手にしながらそこに腰をのせていた。エンジンかポンプ機の回転する音がする。見たところどうやら農薬を散布しているらしい。

この人の旦那さんはどこにいるのだろうと眼で探すと、畑の真ん中あたりに白い帽子の先が見え、散布するホースから霧が吹き上がっていた。よく見ると旦那さんは白いマスクをして作業をしていた。何か薬を散布しているようだった。マスクをしなければならないということは、直接にその霧を吸い込むと身体によくないということなのだろう。

そういえば、山に私が植えているナスビは、葉っぱがかなり虫に喰われたのか、茎や葉脈だけ残って錆びた金網のようになってしまっているのもある。葉や茎や実を支えるために、農家の人と同じように私も茎を麻紐でつるしてナスビを支えているが、それだけである。だからナスビの花に実がなっても、形はいずれもいびつであるし、収穫の後れたものは、熟れすぎて裂け目さえ見える。

都会の女性の多くが化粧によって容姿を整えているように、マーケットなどに出回っているナスビは、その薬の撒布によって「きれいな姿」が保たれている。撒布しているのはおそらく防虫剤などなのだろうけれども、しかし、マスクをして農作業をしなければならないというのは、吸引すると身体の健康によくないからにちがいない。虫食いのない見栄えのよいナスビでないとマーケットでは売れないからだ。その美意識のために、不健康をも甘んじている。考えてみればおかしなことである。

こうした労働と生産の現実は、単に農家の生産にとどまらないだろう。現代の資本主義的な生産様式に大きな意義のあることは確かである。しかし、そこには多くの矛盾もある。また人間の「生産労働の概念」にかなってもいないようである。だとすれば、それらもいずれは変革されて行かざるを得ないということなのだろう。

 

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