作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

アメリカ考①

2006年08月28日 | 歴史

アメリカ①

アメリカという国は、江戸末期にペリー提督が黒船に乗ってやってきて、鎖国の天下泰平の夢にひたっていた日本人に、蒸気煎茶を飲ませて夜も眠られぬようにした国である。そして、二十世紀に入ってからはこの両国は、太平洋の大波を東西の両岸にはさんで対峙する。やがて両国は国家総力戦を戦い、そして、アメリカは原爆を投下し、日本国憲法を制定するなど勝者として君臨し、日本民族の歴史に未曾有の刻印を残した。

それから半世紀以上も過ぎた今日、日本国は日本国としての真の自由と独立を回復するために、あらためて太平洋戦争前後の歴史を、さらには日本国の近代史そのものを、今一度文明史の視点から、あるいは、民族の精神史、文化史の視点から、より深く相対化し検討せざるえない。そういう歴史的な段階に来たっているようである。アメリカは先の太平洋戦争を通じて、その日本の敗北を通じて、単に経済的のみならず文化的にも精神的にも日本国民に深い爪あとを残していった。日本人はそれゆえにアメリカという国を相対化して本質的に検証し、それを止揚することなくして、真に自由には、日本人にはなれない。

また、今日アメリカは二十世紀の東西冷戦を勝者として勝ち残り、唯一の超大国として二十一世紀にも世界に君臨している。このアメリカと、どのように関わってゆくかは、日本のみならず、世界中の多くの国家国民の切実な課題になっている。

とくに、高度の情報科学技術社会の到来にともない、いわゆるグローバリズムの吹き荒れる世界の中で、アメリカの本質をどのように認識して、国家が主体性を失わず、自由と独立を回復しながら、どのようなスタンスを取ってこのアメリカという国と外交関係を構築してゆくかは、単に経済的のみならず日本国民の文化的精神的状況にも致命的な命運をもたらすことになる切実な問題である。それは、日本人が自己のアイデンティティーを何に求めるかという問題ともかかわる。

アメリカの本質

アメリカという国をどのように認識すべきか。物事の本質というものは、それが発生し誕生した時の性質にもっとも明確に刻印されているものである。

アメリカという国が誕生したのはアメリカ独立革命によってである。その精神は、トマス・ジェファソンらによって起草された『アメリカ独立宣言』の中に表明されている。その精神とは、ピューリタンの思想家であったジョン・ロックの系譜を踏むもので、祖国イギリスの絶対君主制からの独立をめざして、自由と民主主義を国家の原理とすることを宣言するものであった。アメリカとは「自由と民主主義」の精神の母胎から生まれた国である。アメリカはこのような歴史的な、世界史的な使命(規定)を受け取って誕生した国である。

そして、自由と民主主義の精神が経済活動において現象するとき、それは資本主義となる。アメリカは、正しく世界史的な必然をもって、黒船に乗って太平洋の荒波を越え、その大砲によって、300年に及ぶ徳川封建制の天下太平の安眠を貪る日本人の目を覚まさせたのである。

それから百五十年、この国は今現在、二十一世紀の世界にあって軍事的にも経済的にも唯一の超大国として世界に君臨し、その影響力を行使している。さきの二十世紀の末には、朝鮮戦争・ベトナム戦争などを戦い、ソビエト連邦との冷戦に勝利し、さらに、アフガニスタン、イラク戦争など中東に深く足を踏み入れ、9・11以降は、世界に浸透する対「テロ」との戦いの泥沼に足を踏み込まざるを得なくなっている。

その一方で、アジア大陸において13億人の人口を擁し、経済的にも軍事的にも膨張著しい新興の中華人民共和国とは、かって日本が太平洋の両岸でアメリカと対峙したように、必然的にアメリカと対峙し、いずれは、その矛盾によってもたらされる緊張関係がどのような現象を引き起こすかは、この両超大国に挟まれた宿命的な地理的位置にある日本国の命運に深くかかわるものである。

 

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