作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

今日はクリスマス

2005年12月25日 | 日記・紀行

    今日はクリスマス──伝道の書第十二章、詩篇第五十一篇

今年もクリスマスが来た。ただ一人の人の誕生日が今年も全世界で祝われる。その人の誕生日は西暦に刻まれているから、生まれてから何年の星霜を閲したかわかる。今年はその人が生まれてから二〇〇五年、その人は僅か三十余歳で十字架に付けられて一度は死に、そして三日目に復活し、今もなお、聖なる精神として生き、世界と個人に生きて働いておられる。

今年のクリスマスを無事に迎えられることを感謝する。しかし、今年も私は多くの過ちを犯し、罪を犯した。なすべき義務も果たさず、多くの愚行を重ねた一年だった。これというほどに仕事も成果が挙がらず、無為に一年を過ごしてしまった。
しかし、願うことは、無垢な人の十字架の死によって、私の愚かさと罪の贖われることを。主の御名の崇められんことを、御国の来たらんことを。クリスマスにちなんで。

詩篇第五十一篇


指揮者によるダビデの賛歌。バテシバに通じたダビデの所に、預言者ナタンが来た時。

私を憐れんでください。神よ。あなたの愛によって。
あなたの深い憐れみによって私の咎を消し去ってください。
私の悪をことごとく洗い流し、罪から私を清めてください。
私の過ちを私は知っています。
私の罪はいつも私の前にあります。
あなたに、あなたにのみ私は罪を犯し、
あなたが悪と認められることを、私は行った。
あなたの語られることは正しく、過たずあなたは裁かれる。
まことに、私は不義のうちに生まれ、私の母は罪のうちに私を身もごりました。
あなたは心の奥の誠実を喜ばれ、そして、隠された知恵を私に教える。
ヒソプの枝で、私の罪を拭ってください。そうすれば私は清められます。
私を洗ってください。私は雪よりも白くなります。
楽しみ歓ぶ声を聞かせてください。
あなたに打ち砕かれた骨が歓び踊るように。
あなたの御顔を隠して私の罪を見ず、私の悪をすべて消してください。
清らかな心を私に造り、新しく強い魂を与えてください。
あなたの御前から私を退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
あなたに救われることによって、私はふたたび歓びを取り戻し、聖なる霊が惜しみなく私を支えてくださるように。
あなたに背く者たちに、私はあなたの道を教えます。罪を犯した者はあなたの御許に立ち返るでしょう。
血を流す者から私を救い出してください。神よ、私の救いの神よ。
私の舌は、あなたの正義を歓び歌うでしょう。
主よ、私の唇を開かせてください。私は口を開いてあなたを賛美するでしょう。
たとえ私が捧げたとしても、あなたは生けにえを好まれず、祭りも喜ばれない。
神の喜ばれる捧げものは、打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔い改める心を、神は軽んじられない。
御心によって、シオンを恵み、エルサレムの城壁を築いてください。
その時こそ、正義という供え物と、燃え尽きる全き生け贄はあなたに喜ばれるものとなる。その時こそ、あなたの祭壇に牡牛が捧げられるでしょう。

 

そして、青年時代から、聖書の中でももっとも好きな本の一つだった『伝道の書』の第十二章から。

伝道者は知恵あるがゆえに、つねに人々に知恵を教えた。伝道者は多くの格言を学び、それが真理であるか、心を尽くして吟味した。伝道者は美しい言葉を捜し求めた。彼の書き残した言葉は真実である。智者の言葉は、迷える羊を導く牧童の棍棒のようなもの、集められた格言は、堅く打たれた釘のように、揺らがない。それは、私たちすべての案内者である神から与えられたもの。

我が子よ、肝に命じておかねばならないのは他でもない。本を書くことには終わりがない。激しい勉強は身体を磨り減らす。

帰するところ、言うべきことはただ一つ。神を畏れ、神の戒めを守れ。私たち全ては、そのために造られたのだから。神は私たちの行為のいっさいを、善であれ悪であれ、隠れてなされたことのいっさいも、裁かれるだろう。(9節~14節)

二〇〇五年、クリスマスの記念に

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