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作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

歴史のIF

2007年06月14日 | 歴史

歴史のIF

個人の歴史と同じように、人類の歴史もまた繰り返すことの出来ない一回性のものである。
そして同時に、個人と同じように、人類もまたその歴史の途上でさまざまな岐路に立たされる。右へ行くべきか、左に行くべきか。

他の動物と異なって人間の特性がその自由な意志の選択にあることも事実である。「あれかこれか」の選択も、善悪の選択も人間の自由な意識の選択による。そこに正常な成人には責任問題も生じる。動物や子供にはこの自由がないから責任問題は問われない。しかし、人間の個々のその選択は自由であり偶然であるとしても、その結果の集積は人類の歴史的な必然として認識される。


だが、人間のみがその想像力によって、時間と空間の制約を乗り越えて、過去の選択を反省することもできる。私が今興味と関心を駆り立てられる問題の一つに、中国の現代史の問題がある。とりわけ、中国大陸に毛沢東の共産党政府が樹立される前に、中国共産党と蒋介石の国民党政府との内戦で、もし毛沢東の共産党中国ではなく、孫文の三民主義を引き継いだ蒋介石の国民党政府が中国大陸に支配権を確立していれば、現在の東アジアはどのようなものになっていただろうかという問題である。

あるいはルーズベルト大統領が、スターリンのソビエト連邦と立憲君主国家日本国の大東亜共栄圏との間に「敵性国家」の策定を過つことがなかったならばどうか。

21世紀の初頭に生きる私たちには、あれほど多くの「人民」がその革命と実現のために苦闘してきた共産主義国家の多くが、世界の国々から、その歴史から姿を消しつつあることも知っている。そして、現代では多くの旧社会主義国家において、自由と民主主義の名の下に市場主義、資本主義が取り入れられつつある。そして周知のように、中国もまた改革開放路線を選択し、社会主義市場化によって経済的にはきわめて奇形ながらも、いわゆる「資本主義国家」と実質的には変わらないようになっている。

むしろ、共産党政府の独裁によって政治的に自由に解放されていないがゆえに、「資本主義」が本質的にもっている弊害がいっそう深刻化しているようにも見える。共産主義が本来目指したはずの「人民」の経済的な平等も形骸化し、むしろ、他の民主主義国以上に、経済的な格差も深刻化しているという。共産党幹部らの深刻な腐敗なども漏れ伝えられてくる。


現代中国の重要な国策の一つに「一人っ子」政策がある。その膨大な国民人口を生産能力で養ってゆくことができないがゆえに取られた政策である。現代中国においても多くの共産主義国の事例にみられたように、共産主義は貧困の普遍化を招いただけで、国民の経済的な生産能力の増大に失敗したことは事実である。もし中国が、蒋介石の国民党政府が国内戦に勝利をえて、「資本主義的な生産様式」でもって、もっと早期に国富の増大に成功していたなら、現在のような厳しい「一人っ子政策」を余儀なくされていただろうか。

多くの人が見たと思うけれど、先日にどこかの民放テレビ番組で、中国の「一人っ子政策」の現状が報道されていた。伝統的に男尊女卑の傾向が強く、また、国民の老後の社会保障政策の貧困もあって、中国ではこの「一人っ子政策」の結果、男女の出生比率のバランスが大きく崩れてきているのだという。その結果、女の子だとわかれば、暗黙のうちに堕胎させられたり、捨て子にされたりして孤児になったりすることもあるという。

2007年5月18日の夜に、遼寧省瀋陽市で黄秀玲(ホワン・シューリン)さんが農薬を飲んで自殺したことが先の報道番組で報じられていた。わずか14歳の少女だった。学校の成績も好かったと言う。生まれてまもなく、彼女は実の両親から養子に出され、またその養父の病気のために、新しい養父母の元で暮らすことになった。しかし、その養父母も貧しく、秋冷さんはわずかのお金を持たされて、買い物に行かされたときに、空腹に耐えられず、そのスーパーでわずか15円のパンを万引きし、見つかって店の前に立たされたという。彼女の屈辱はどれほどのことだっただろうと思う。こうした事件も人類の間に起きている多くの悲劇のうちの小さな一つにすぎない。

それにしても、現代中国が歴史的に迂回することなく、もっと早い時点で豊かな社会を実現することができていれば、この黄秀玲さんのような死はなかったのではないか思うことである。しかし、それも所詮はむなしい歴史のイフに対する想像に過ぎない。


記事報道
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070523-00000003-rcdc-cn

 

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現象と本質

2007年05月25日 | 歴史

現象と本質

pfaelzerweinさんからイラク戦争の評価をめぐってコメントをいただきました。イラク戦争の詳細な分析についてはここでは展開できませんが、イラク戦争についての私の基本的な認識だけを明らかにして、pfaelzerweinさんのコメントにとりあえず答えたいと思います。

イラク戦争については、アメリカの対テロ戦争の一環として捉える必要があると思います。アメリカは、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件を受けて、対テロ戦争の宣言を開始し、テロを計画したとされるビン・ラーディンをかくまっているとされるアフガニスタンのタリバン政権を攻撃し崩壊させました。続いて、ブッシュ大統領は、2002年の一般教書演説で、イラク、イラン、朝鮮民主主義人民共和国の三カ国を「悪の枢軸」のテロ支援国家として規定しました。


アメリカが、ビン・ラーディンらのテロの対象になるのは、それは直接的にはアメリカ軍がサウディアラビアなどに駐留して、現在のサウディアラビア体制を支えて、ビン・ラーディンらイスラム原理主義反体制勢力にとって障害になっているからです。また、その駐留が、イスラム教徒の、とくに過激なイスラム原理主義者の、アメリカ軍に対する反キリスト教敵対意識を助長させています。こうした問題には、かってベトナムでアメリカが「専制政府」の後ろ盾となってベトナム民衆の反感を買った経験が忘れられています。こうした点はアメリカも猛省すべきであると思います。しかし、これは現在の問題の本質ではないと思います。


タリバン政権やビン・ラーディンらが目指すイスラム原理主義国家としての宗教的独裁国家は、自由と民主主義の立場からは容認できないと思います。かってのタリバン政権が行った、バーミヤーン遺跡の破壊や女性抑圧も忘れてはならないと思います。おそらく、シリア・レバノン・サウジアラビアなどの中東諸国の民主化が実現され、これらの諸国でのイスラム原理主義勢力が弱体化するまでは、アメリカはテロの恐怖からは解放されないだろうと思います。また、これに因みますが民主主義国家イスラエルの存在は、中東の独裁国家群にとっては、喉に痞えた骨のように不愉快なものです。ただ、パレスチナ問題について、イスラエルの政策には多くの問題があるとは思いますが。


それはとにかく、イラクについては、1991年の湾岸戦争の終結以来も、アメリカとイラクとの矛盾は根本的には解消してはおらず、それが、2001年の同時多発テロ事件を受けて、イラクの対テロ支援国家としての疑惑がさらに深まりました。それにフセイン政権の査察ボイコットを受けて、父ブッシュ時代の湾岸戦争のフセイン政権との軋轢の最終解決にむけて、現ブッシュ大統領は、武力行使によるフセイン政権打倒とそれに代わる民主政権の樹立に踏み切ったものです。実際にそれによって多くのイラク国民は自由へと解放されるはずでした。


こうした歴史の背景には、アフガニスタンにおける前のタリバン政権のようなイスラム原理主義勢力とフセイン政権のような世俗化された独裁政権の存在があります。自由と民主主義を原理とする政権と、これらの独裁政権は原理的には両立できません。もちろん、それぞれの国家における「自由と民主主義」は、その国民と民族の責任において実現されるべきものであり、他国がどのような名目であれ干渉することは本来的に内政干渉に当たります。イラク戦争の場合には、その後大量破壊兵器を保有を証明することができなかったわけですが、しかし、大量破壊兵器の拡散とフセイン政権の独裁的な抑圧政治を懸念したアメリカが、事実上イラク国民の解放に向けて武力行使に踏み切ったことに対しては理解と支持を示すことができるものです。


ブッシュ政権の不手際は、はっきり言って、その「失敗」は、フセイン政権の打倒後の「占領統治政策」にあるので、このアメリカの「失策の尻拭い」は、その後エジプトでイラク安定化会議が開かれたように、イラク民主政府の樹立支援のために、改めて独自に各国の国際支援の方策が模索されるべきであると思います。ラムズフェルド前国防長官の対イラク軍事政策に対する批判もありますが、結果論にすぎないでしょう。


フランスの戦争反対は、事実として問題の根本的な解決にならず、問題を将来に先送りしてさらに深刻化し拡大させるだけの無力で口先だけの無責任なものです。その「戦争反対」の非難の矛先は、アメリカに対して以上に、むしろタリバンやイランなどにおけるイスラム原理主義勢力の暴力と専制にこそ向けられるべきものです。そうでなければ、それは単なる偽善か、批判に許容的な自由アメリカに対する甘えでしかないでしょう。

イギリスのブレア政権がブッシュ援護で「手を汚した」とするものではありませんし、もし英国世論でブレア政権が「英国を米国の番犬化」したとするなら、その世論にも同意できません。むしろ、ブレア政権は国内外において、自由と民主主義の擁護に相当の責任を果たしたと考えています。またpfaelzerweinさんがおっしゃられるように、米国の「政治文化社会の未熟」や「精神文化の崩壊」という判断にも賛成できません。むしろ、わが日本のそれにこそ懸念を持つもので、日本のそれと比較しても、アメリカの「自由と民主主義」の精神や「政治文化社会の成熟度」は強靭で復元力も高いと思います。

世論についての考え方や、イスラム教国家国民の民主化の難しさについての私の考えには、下のような論考があります。よろしければ、ご参考までに。

タイ国のクーデタ事件に思う
http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20060921

公明党の民主主義
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20061017

女系天皇と男系天皇──いわゆる世論なるもの
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20060227

イラク戦争の新局面
http://anowl.exblog.jp/759348

         ウィキペディア「イラク戦争

 

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歴史における個人の力

2007年02月17日 | 歴史

歴史における個人と国民の概念

最近というか、ここ二、三年、金融業界にとりわけ不祥事が多いことに国民は気づいていると思う。損害保険業界では、昨年は損保ジャパンと三井住友海上で保険金の不払いが明らかになって、両社は業務停止命令を受けたし、保険金の未払い事案について業務改善命令が出された東京海上日動火災保険株式会社の石原邦夫社長がテレビで頭を下げていたこともまだ記憶に新しい。

生命保険業界においても、明治安田生命の保険金未払いなどが明らかになったのをうけて、金融庁は、国内の全生命保険会社38社に対し、保険金の「支払い漏れ」の件数、金額の報告を求める命令を出した。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20070216mh06.htm

そして去る15日には、三菱UFJフィナンシャル・グループ傘下の三菱東京UFJ銀行の畔柳信雄頭取に対し、金融庁が国内の法人向け全店舗で新規の法人顧客への融資の7日間停止を命じるなどの行政処分を行なったばかりである。業務上横領事件などを起こした財団法人「飛鳥会」との不適切な取引を、旧三和銀行時代から長年続けて改善されることもなく、内部管理体制などに問題があると判断したのである。

こうした大手金融企業の不祥事にからんで、企業のトップが深深と頭を下げる様子をテレビの画面の中で見ない月がないくらいである。それほど、金融業界はいわゆる企業の法令遵守(コンプライアンス)の問題で、金融庁から業務改善命令をしばしば指導を受けている。

最近になってそれほど急に金融業界に不祥事が増えたのだろうか。決してそうではないと思う。不祥事ははるか昔からあった。バルブ経済の時期には、大手銀行の頭取が闇世界との取引に絡んで自殺する事件などもあったし、金融業界は深刻な債権不良問題に長年苦しんでいる間に、闇世界との関わりをいっそう強めたはずである。ただ、それが表面化しないだけである。

官庁と土木建築会社のいわゆる談合問題も、大蔵省が財務省と金融庁に編成変えになり、金融行政と監督行政の機能が分離され、また独禁法が改正、強化されたりして、最近になってこうした業界にようやく監督行政が機能し始めたにすぎない。

もちろん、こうした不祥事の摘発も、それを実行する人間が現場に存在することなくして不可能であることはいうまでもない。こうした不祥事の摘発が明らかになったのも、曲がりなりにも、小泉改革で竹中平蔵前金融相が、金融庁長官に五味広文という有能な長官をトップに据えたからである。諸官庁がどのような行政を行なうかは、根本は国家の最高指導者である首相の地位にどのような人物がつくかということが決定的であるとしても、実際の行政の実務では、長官クラスの力量に左右されることが多い。現在の安部首相の支持率低下も、周囲に有能な大臣、官僚を配置できないでいるためでもあるだろう。

また、昨年12月には三菱東京UFJ銀行が、アメリカの金融監督当局からマネーロンダリング監視に不備があるとして業務改善命令を受けたのに引き続いて、三井住友銀行が米国の金融監督当局から業務改善命令を受けている。

日本の不正義がアメリカから明らかにされる場合は多い。かっての田中角栄や小佐野賢治らが関係したロッキード汚職事件もアメリカでの議会の証言から発覚したものである。売買春にからむ人身売買の問題でも、アメリカ国務省は日本の取り組みに懸念を示している。残念ながら、正義の感覚について、聖書国民との差を示しているということなのだろう。

五味広文という長官を迎えて、ようやく最近の金融行政が消費者の方に顔を向けて行なわれはじめたということである。これが本来の国民のため行政なのである。日本国民はそれを体験する機会がなかっただけである。いわゆるグレーゾーン金利の問題で、消費者金融に暴利を許してきたのも、最近になってようやく行政は重い腰を挙げた。それまで長年の間その影で、どれほど多くの国民が泣いてきただろう。行政や組織でどのような人間が指導的地位につくかで、国民の幸福が大きく左右されるのだ。

知事や行政官庁のたった一人のトップが、国民全体の方に顔を向けて正義を追求するだけで、国民は大きな恩恵を受けるだろう。そうして人類の歴史と社会に貢献し、大きな足跡を残す者は英雄とも言われる。しかし、社会は英雄のみでは成り立たない。

先日にも、自殺をはかろうとした女性を救助しようとして(この女性がなぜ死のうとしたのかも問題だが)殉職した板橋署常盤台交番の宮本邦彦巡査部長のように、また秋霜烈日の伝統を守る検察庁などに黙々と働く無名の人がいる。社会は確かに英雄によって進歩するのかも知れないが、それを支えるのは、名もなき庶民という真の「英雄」である。彼らによって、これほど腐敗し堕落した不正義のはなはだしい日本社会もかろうじて持ちこたえられているといえる。

やがて国家全体の行政が国民大衆のために行なわれるようになれば、どれほど国民は幸福を享受できるだろう。そうした国家の国民の愛国心は黙っていても強まる。それを実行できるのは本当の民主政府であるが、残念ながらそれをいまだ日本国民は持ちえず、歴史的に体験する機会ももてないでいる。しかし、それは遠い日のことではないかもしれない。

(07/02/19一部改稿)

 

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真珠湾奇襲から六十五年

2006年12月08日 | 歴史

真珠湾奇襲から六十五年

1941年12月8日月曜日に、大日本帝国海軍がアメリカ・ハワイの真珠湾を奇襲攻撃してから今日で六十五年を経過した。この奇襲攻撃を端緒として、日本はアメリカ・イギリス・ロシア・中国・オランダ・オーストラリアなどの連合国を相手に、全面戦争に突入することになる。

戦後に生まれた私たちは、当時の日本国民と政府の選択した決断の結果として、その後に国家と国民がどのような運命に至ったか、歴史的にこの目で見届けて知っている。

この戦争によって、日本国民の間に三百万人に及ぶ死傷者の被害を出した。もちろん、アメリカや中国などの敵国にも少なからぬ被害をもたらし、それらが今日に至るまで、中国の反日運動などに尾を引くことになっている。

それに何よりも敗戦後に日本国自体がアメリカに占領され、憲法を強制的に改定させられ、国家体制も強権的に変えられることになった。その結果として国内に生じた政治的、文化的な混乱は今日に至るまで続いている。日本国民は国家や民族としての誇りを失い、教育や道徳の劣化と崩壊を招いて、その再建もままならぬまま現在に至っている。真珠湾攻撃から65年後の今日の日本の現実を見るとき、この太平洋戦争は行なわれるべき戦争ではなかったことは明らかである。

当時の政府の選択としては、日米開戦を避けるべきであった。日本はなぜそれができなかったのか。この点について、太平洋戦争に対する批判と反省は、民間においても、また政府機関としても、まだきわめて不十分であると思われる。この戦争は、一般的な傾向としては、あたかも自然災害のように、また感情的に道徳的に「一億総懺悔」されるだけのように思われる。

もちろん歴史的な批判というものは、安易にできるものではなく、ある意味で歴史や現実は「理性的」なものである。歴史に対して謙虚であるべきなのは言うまでもない。しかし、それは何も批判を避けるということではない。むしろ、歴史的な事実に対する客観的で全面的な真摯で徹底した批判と反省こそが、真の謙虚さを示すものであると思う。

経済、政治、文化、教育、道徳などの観点から、また憲法をはじめとして、当時の大日本帝国憲法下の国家体制そのものの持つ問題点や欠陥などについて、その意義と限界について、全面的で客観的な歴史研究は、民間においても、公的機関においても実行されて、歴史的な文書として蓄積されてゆく必要がある。しかし、残念ながらそれは十分に実行されているとは言えないのではないだろうか。

今日のような開戦記念日や8月などの終戦記念日などには、いわゆる識者とされる人たちの意見が明らかにされるけれども、全体としてまだ十分とはいえないと思う。官民ともに、先の太平洋戦争などについての批判的研究の蓄積は質量ともにきわめて貧弱なものにとどまっている。

在野においてのみでなく、大学や大学院のアカデミズムの世界においても、また、内閣や国会などの国家機関のレベルにおいても、大日本帝国憲法や現行日本国憲法などの国家体制の組織上における欠陥などについての批判的な研究が極めて不十分であると考えられる。

先の太平洋戦争で火蓋を切った大日本帝国憲法下の国家体制では、内閣総理大臣の指揮権限の問題などが、とくに、憲法の制度上との関連で、その欠陥についての分析と批判がもっと深められていいと思う。当時の首相として近衛文麿氏などの指導力に対する批判なども見られるけれども、それは、単に近衛文麿氏の個人の資質の問題にとどめられるべき問題ではなく、明治憲法下の議院内閣制における、内閣総理大臣の権限規定にこそ問題があったと見るべきではないだろうか。

この議院内閣制の制度上の問題は、今日の日本国憲法にも引きずっていると思われる。明治憲法下でも現行の日本国憲法下でも、内閣総理大臣が強力な指揮権限を行使することのできないのは同じである。そのために問題が先送りにされたり、政治に停滞を招くことも多い。民主主義の政治体制の中でそれが十分に機能するためには、国家の最高指導者である首相に、どの程度の権限を与えるべきかという観点からも、大日本帝国憲法はどのような限界があったのか、また現行日本国憲法の実情はどうかといった観点からも検討されるべきだろう。

明治憲法の最大の欠陥として、軍隊の統帥権が内閣総理大臣に付属していなかったことが指摘されているのは周知のとおりである。内閣総理大臣は、陸軍大臣や海軍大臣に対して、強力な任免権をもたないのみではなく、陸海軍大臣によって内閣自体の命運を左右されることになった。

また、陸軍と海軍がそれぞれ陸軍省と海軍省として、独自の政治的な発言権を持っていたことも、軍事政策における政治的な統制が行き届かなかった原因である。その結果、海軍と陸軍がそれぞれ独自の省益を主張して、国家としての統一の取れた戦略を実行できなかった。このことも軍事戦略上の大きな弱点になった。

それは中国大陸における軍部の一部の跳ね上がりの暴走を許し、結果として、国家と国民に莫大な損害を与えることになった。海軍や陸軍などは、本来は、国防省の管轄のもとに国防大臣による国家の統一した意思の下に置かれて指揮、監督されるべきものである。

それらは明治憲法の起草者であった伊藤博文たちの政治的な判断によるものであるが、こうした明治憲法のもつ本質的な欠陥との関連で、先の太平洋戦争はまだ十分に批判的に研究されてもいないし、それはそのまま、戦後の日本国憲法の制度上の欠陥として無批判に引き継がれているのではないだろうか。それがまた今日の政治的な停滞の理由の一つにもなっている。

たんに大日本帝国憲法に対してのみではなく、この批判能力の不在は、今日の現行日本国憲法の欠陥についての国民の認識レベルにも現れているのではないだろうか。現行憲法の第9条問題などが戦後半世紀以上も放置されたままでいるのは、結局は国民の国家観に問題があるためではないか。

それはまた、最終的には大学や大学院における憲法や国家に対する学問的批判能力の水準の問題でもある。本来はそうした批判的研究は、日本国憲法の改定に生かされて、もっと早く、さらにより完全な憲法改正などに役立てられていなければならなかったはずである。

明治維新の指導者たち、大久保利通や伊藤博文、井上馨、板垣退助たちは、維新後に大日本帝国憲法を制定して、立憲君主国家としての体制を整備しつつ、欧米列強に対峙すべく、富国強兵政策を進めた。総体的にはそれはすぐれた国家運営として評価できるものである。その結果として、明治維新後わずか半世紀に足らずして、日本は日米通商条約などの不平等条約の改正を実現し、極東に自由で独立した強力な国家としての日本を形成しつつあった。

そうして日本は極東アジアの一角に、強力な独立国家として地歩を固めつつあったが、それは、その一方において、スペイン戦争以降、ハワイやフィリッピンを植民地とし、また中国に深く利権を確立しつつあったアメリカと太平洋を挟んで利害が対立することになった。

そうした当時の国際情勢において、日本はどのような戦略でもって対応すべきであったのかということについても、先の太平洋戦下の国家の組織体制の観点からと同様に、当時の指導者たちの判断と政治的な決断についても、個々に具体的に批判され吟味されなければならないだろう。

軍隊の統帥権が議会から独立していて、それが軍人の独走や軍部の政治への介入を許したことなどはすでに周知の事実である。しかし、そうした組織上の欠陥のみが、その後の歴史的な結末をもたらしたのではない。軍部における封建的な非民主的傾向や、軍人たちの、さらには国民一般の精神的な主体的な側面も批判されるべきだろう。

日米開戦の1941年からさかのぼること20年前の1921年に、第一世界大戦後の国際的な秩序形成のためにワシントン会議が開かれた。この会議において、日本とアメリカ、イギリス、フランス、イタリアなどの諸国の間で海軍の軍縮問題が話し合われた。このとき、海軍艦艇の保有比率を、英・米・日それぞれ、5・5・3にすることに決まったが、すでにその際にも、軍部からは強い反対があった。もし、この時に会議が成立していなければ、もっと早い時期に戦争状態に突入していたはずである。

それがかろうじてワシントン海軍軍縮条約として実現したのは、加藤友三郎や東郷平八郎といった、軍部に対して少なくとも指導力を発揮できる人間が当時には存在したからである。しかし彼らの死後は、英米との協調体制を主導できる人材はいなくなった。それも日米開戦を防ぎ得なかった大きな原因である。そうした人材の有無もまた戦争回避を大きく左右することになった。

昭和初期に日本が軍国主義的な国家体制に至るまでに、大正デモクラシーと呼ばれる民主主義的な時代趨勢は一時期としてはあったけれども、民主主義における国民全体の意識や制度はまだ未成熟な状況にあったといえる。

真珠湾奇襲に至る昭和初期の、そうした歴史的な状況に対して批判と反省が今日まだ十分であるとはいえないし、だから、その歴史的な教訓も生かされようがない。この程度では、同じ状況にふたたび立ち至ったとき、同じ間違いを犯すことになるかもしれない。

政府の失政によって、国民が悲惨な戦争を二度と体験せずに済むように、その結果として国民が動物以下の腐敗し堕落した状況にふたたび陥らなくとも済むように、また、平時においても、政府の政策の適切を期するためにも、国民は過去の歴史を教訓として、自分たちの指導者を育成し、また、自分たちの政府と国家と作って行かなければならないと思う。


 

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アメリカ考②

2006年09月03日 | 歴史

日本とアメリカ

日本はアメリカの黒船によって徳川幕府の鎖国体制の眠りから目覚めさせられることになった。しかし、この徳川幕府の鎖国政策自体が、我が国にキリスト教が流入することによる徳川封建幕府体制の動揺を防ぐことを目的としたものであった。賢明な徳川幕府は、その鎖国によって、三百年にわたって国内に平和をもたらし、封建体制を持続させることに成功した。徳川幕府は日本国内のキリスト教のほとんど完全な禁圧に成功し、天草の乱以来、キリスト教徒は国内では、息を潜めて隠れて暮らさざるをえなかった。こうして国内から徳川封建体制を批判し、反抗して危機にもたらすような芽は完全に摘まれた。

もちろん徳川の幕藩体制も永遠の体制ではなかったのはいうまでもない。三百年に及ぶ安定した幕府の統治は経済の発展をもたらし、貨幣経済が浸透して、武士階級は商人階級の台頭にともなって動揺し始めていた。そうした時にペルー提督は来朝し、日本は日米和親条約の締結することによってついに開国する。幕府の国策はまだ鎖国であったから、この開国は止むに止まれぬものだった。

そのころの国際情勢にあっては、隣国の清においてはアヘン戦争が戦われ、屈辱的な賠償金の支払いや香港の割譲などヨーロッパ各国の市民社会は交易を求めてアジアの植民地化を進めていた。そうした中で、日本も独立を実現してゆくことが切実な課題になっていた。欧米諸国の圧力に対して不平等条約を結ばざるをえなかった。アメリカもスペインとの戦いに勝利していらい、フィリッピンなどの植民地化を進めていた。

明治の開国以来日本は、富国強兵政策を成功させ、かろうじて独立を保った。やがて日清、日露の戦争に勝利して中国大陸にその権益を拡大してゆく。そこで東アジアに進出していたアメリカと利害を巡って必然的に対立するようになる。このころロシアにおいては共産革命が成功してソビエト連邦が成立していた。そうして帝国憲法下の日本と自由主義国家アメリカが極東アジアにおいて三つ巴に覇権を競うことになる。

太平洋戦争

太平洋戦争をどのように評価するかは、どのような政治的立場にたつかによってさまざまだろう。ただ、当時の国際社会のイデオロギーとしては、共産主義のソビエトと毛沢東の中国、自由民主のアメリカと蒋介石の中国、それに、立憲君主国家の日本が存在し、それぞれが極東アジアで覇権を競い合っていた。日本は国内の民主主義がまだ十分に進展していなかったこともあり、ナチスドイツやムッソリーニのイタリアと三国同盟で手を結ぶことによって、全体主義に傾斜してゆく。

当時の日本においても自由民権運動によって大日本帝国憲法が制定されるなど国内の民主化はかなり進展していた。しかし、国軍の統帥権が、天皇に属するという名目で軍部そのものに委ねられ、軍隊の民主的な統制が完全に行き届かなかったように、不完全なものだった。民主主義の立場からみて、明治憲法の最大の欠陥であったといえる。それに当時の軍部にはすでに東郷平八郎や加藤高明のような人材はなく、軍部を抑えられる権威はもはや存在せず、制度としても文民統制が確立していなかった。そのために軍部の独走をゆるし、結果として、アメリカとの対立は避けられず、その後の日米開戦を防ぎきれなかった。自由と民主主義を世界において拡題してゆくという歴史的な使命をになうアメリカと総力戦を戦うことになる。

日本の敗戦

日本はアメリカをはじめとする連合国との戦争に敗北し、カイロ宣言とポツダム宣言を受諾する。それによって、政治経済的のみならず、文化的精神的な改造がアメリカを主導として行われる。その象徴が日本国憲法である。とくに太平洋戦争後のアメリカの占領統治によって、植民地文化の状況に日本は置かれることになる。歴史的に見ても多くの敗戦国に共通する、文化的精神的な混乱と退廃が今日も底流しているといえる。そして、敗戦から六十年、還暦という歳月を経て、日本はようやく自主憲法の制定する動きなど、日本の「内と外なるアメリカ」を見つめ清算して、当然の主権国家として日本人の自由と独立を回復する機運がようやく始まろうとしている。

 

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アメリカ考①

2006年08月28日 | 歴史

アメリカ①

アメリカという国は、江戸末期にペリー提督が黒船に乗ってやってきて、鎖国の天下泰平の夢にひたっていた日本人に、蒸気煎茶を飲ませて夜も眠られぬようにした国である。そして、二十世紀に入ってからはこの両国は、太平洋の大波を東西の両岸にはさんで対峙する。やがて両国は国家総力戦を戦い、そして、アメリカは原爆を投下し、日本国憲法を制定するなど勝者として君臨し、日本民族の歴史に未曾有の刻印を残した。

それから半世紀以上も過ぎた今日、日本国は日本国としての真の自由と独立を回復するために、あらためて太平洋戦争前後の歴史を、さらには日本国の近代史そのものを、今一度文明史の視点から、あるいは、民族の精神史、文化史の視点から、より深く相対化し検討せざるえない。そういう歴史的な段階に来たっているようである。アメリカは先の太平洋戦争を通じて、その日本の敗北を通じて、単に経済的のみならず文化的にも精神的にも日本国民に深い爪あとを残していった。日本人はそれゆえにアメリカという国を相対化して本質的に検証し、それを止揚することなくして、真に自由には、日本人にはなれない。

また、今日アメリカは二十世紀の東西冷戦を勝者として勝ち残り、唯一の超大国として二十一世紀にも世界に君臨している。このアメリカと、どのように関わってゆくかは、日本のみならず、世界中の多くの国家国民の切実な課題になっている。

とくに、高度の情報科学技術社会の到来にともない、いわゆるグローバリズムの吹き荒れる世界の中で、アメリカの本質をどのように認識して、国家が主体性を失わず、自由と独立を回復しながら、どのようなスタンスを取ってこのアメリカという国と外交関係を構築してゆくかは、単に経済的のみならず日本国民の文化的精神的状況にも致命的な命運をもたらすことになる切実な問題である。それは、日本人が自己のアイデンティティーを何に求めるかという問題ともかかわる。

アメリカの本質

アメリカという国をどのように認識すべきか。物事の本質というものは、それが発生し誕生した時の性質にもっとも明確に刻印されているものである。

アメリカという国が誕生したのはアメリカ独立革命によってである。その精神は、トマス・ジェファソンらによって起草された『アメリカ独立宣言』の中に表明されている。その精神とは、ピューリタンの思想家であったジョン・ロックの系譜を踏むもので、祖国イギリスの絶対君主制からの独立をめざして、自由と民主主義を国家の原理とすることを宣言するものであった。アメリカとは「自由と民主主義」の精神の母胎から生まれた国である。アメリカはこのような歴史的な、世界史的な使命(規定)を受け取って誕生した国である。

そして、自由と民主主義の精神が経済活動において現象するとき、それは、いわゆる「資本主義」となる。アメリカは、正しく世界史的な必然をもって、黒船に乗って太平洋の荒波を越え、その大砲によって、300年に及ぶ徳川封建制の天下太平の安眠を貪る日本人の目を覚まさせたのである。

それから百五十年、この国は今現在、二十一世紀の世界にあって軍事的にも経済的にも唯一の超大国として世界に君臨し、その影響力を行使している。さきの二十世紀の末には、朝鮮戦争・ベトナム戦争などを戦い、ソビエト連邦との冷戦に勝利し、さらに、アフガニスタン、イラク戦争など中東に深く足を踏み入れ、9・11以降は、世界に浸透する対「テロ」との戦いの泥沼に足を踏み込まざるを得なくなっている。

その一方で、アジア大陸において13億人の人口を擁し、経済的にも軍事的にも膨張著しい新興の中華人民共和国とは、かって日本が太平洋の両岸でアメリカと対峙したように、必然的にアメリカと対峙し、いずれは、その矛盾によってもたらされる緊張関係がどのような現象を引き起こすかは、この両超大国に挟まれた宿命的な地理的位置にある日本国の命運に深くかかわるものである。

 

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世界史の進行

2006年07月14日 | 歴史

人類にとって平和はもっとも貴いものの一つである。しかし、平和も長く続くと、その貴重さも忘れ去られる。人間の悲しい性なのかも知れない。

先の北朝鮮のミサイル発射実験は、自由と平和のうちに安眠してきた日本人に、あらためて国際情勢の危機と歴史の現実を教えることになった。


北朝鮮のみならず、イランの核問題や、さらに緊迫してきたイスラエル・パレスチナ問題がある。しかし、最近の出来事は、まだ本格的な歴史的転換を予感させるようなものではないと思う。もし次に大きな歴史的転換点があるとすれば、その一つは、中国の民主化の問題であり、もう一つは、中東におけるイスラエル・パレスチナ問題の帰着だろうと思う。もちろん、現在の北朝鮮問題も、日本にとっては切実な問題ではあるだろうが、やはりそれは極東アジアの地域的な問題であって、世界史的には根本的に重要な問題ではないと思われる。

また個人的には、このような人類の歴史に何らかの目的を洞察できるのかという哲学的な問題もある。そして、もし洞察できるとすれば、それは何か。
多くの歴史家は、こうした問題意識をもたない。ただ、国内外の歴史的重大事件を単に時間的に配列し、記録してゆくだけである。ただ、哲学的歴史家だけが、その歴史の中に目的を予感し、あるいは認識して、時にはその必然性を論証しようとさえする。


北朝鮮の問題については、かって、日本人拉致問題との関連で少し考察したことがある。(「日本人拉致被害者の回復」) やはり、北朝鮮にはその国家体制に大きな問題があり、それゆえに周辺の利害関係国も関心を持たざるを得ない。理想は、「国際社会」が協力して、現在の「不幸な」北朝鮮のような国家体制を、自由で民主的な国家体制へと転換させてゆくことであると思う。そのために私たちに出来ることは何か。

北朝鮮がこうして問題化することによって、かっての日清・日露戦争、さらに太平洋戦争前夜、そして、すでに半世紀以上も過去になった朝鮮戦争の歴史的背景を、あらためて、平和のうちに惰眠を貪っている日本人にも想起させることになる。朝鮮問題は極東アジアの歴史的な因縁問題でもある。ただ、歴史的に異なるのは、曲がりなりにも日本が当時のように、2・26事件のようなクーデターを起こす国ではなくなっているということである。これは現在の日本国を買いかぶりすぎか。


かっての朝鮮戦争は、共産主義ソビエトおよび中国と資本主義アメリカとの間の代理戦争として戦われた。北朝鮮の立場からすれば、この戦争は資本主義からの民族解放戦争の意義を持っていたはずである。しかし、二十一世紀に入った今日、すでに共産主義ソビエトは存在せず、社会主義中国は、すでに経済的にはれっきとした資本主義国である。少なくとも、共産主義対資本主義という図式においては、歴史的にはその決着はついたように思われる。そうした中で、北朝鮮はキューバなどとならんで、社会主義諸国の中で余命を保っている数少ない国の一つである。

そもそも人類の「解放」を目指して建国したはずの社会主義国家が必然的ともいえる過程をたどって軒並みに崩壊したのはなぜか、それ自体は興味あるテーマではあるが、それはここでは問題にしない。

今回の北朝鮮のミサイル発射は、北朝鮮の国家体制がその危機的な様相をさらに深刻化させていることの現れである。それには、ブッシュ政権の北朝鮮への金融封鎖などが効を奏している。制裁法案を成立させた日本も、北朝鮮の解放や拉致被害者の回復を目指して効果的に活用すべきであると思う。地上の天国を目指して建国されたはずの国家がいまや地上の地獄と化している。

かってのクリントン民主党政府に比較して、現在のブッシュの共和党政権は対北朝鮮に対しては原則的に対応している。クリントンの北朝鮮に対する融和的な政策の付けを今支払っているということが出来る。遅かれ、早かれ北朝鮮問題には決着をつけなければならないときがくる。その時が近づいているのではないだろうか。アメリカは北朝鮮問題は極東アジアの問題として、二国間関係に持ち込もうとしている北朝鮮に応じてはいない。基本的にアメリカは極東問題に深入りはしたくないのだ。少なくともブッシュ政権はかってのクリントン政府よりは日本の国益に適っている。

私たちにはこうした北朝鮮のような国家体制からその国民をどのように解放するかという課題がある。またそれ以上に、多くの日本国民が拉致されて来たにも関わらず、それを憲法上の制約といった理由で、不作為による道徳的な退廃を日本国民は許してきたという問題もある。イスラエルが自国の兵士が拉致されたという理由で、一度は撤退したガザ地区に、拉致兵士の回復のために激しい攻撃を加えているが、これが本来の国家の姿である。

さらに大きな歴史的視点で見るならば、軍事的にのみならず経済的にも勢力を拡大しつつある中国およびロシアに日本がどのように対処してゆくのかという問題がある。その核心はいうまでもなく、日本の自由と独立をどのように確保して行くかということである。

中国やロシアにとって、北朝鮮がいわゆる自由主義陣営の傘下に入ることは、好ましいことではない。現在の中国、ロシアの政府にとって、アメリカに対して敵対的な政策をとる北朝鮮の存在は、これらの国にとっても防波堤としての役割を果たす。似たもの同士ということわざがあるように、中国もロシアも北朝鮮とは本質的には似たもの同士だからである。北朝鮮の体制変革は、否が応でも、彼らに、とくに中国に対して自国の体制変革の危機の接近を自覚させることになる。その基本的な構図は、自由な海洋国家と集権的な大陸国家とのせめぎあいである。

今回の北朝鮮のミサイル実験は、日本人のぼやけた国防意識を少しは目覚めさせたという点でも意義がある。日本人も自分たちが守るべき価値とは何かをもう少しまじめに悟り、それを守るためにはそれ相当の犠牲を払うことなくしては、享受できないということを知り、道徳的にも謙虚になることだと思う。自由を他民族から与えられた国民は、その価値を知らない。現在の多数の国民意識はそれを守るための義務についても自覚することのないノー天気ぶりである。

日本国がまず正真正銘の自由民主主義国家になり、自衛隊を国防軍に、防衛庁を国防省に改組し、スイスのように徴兵制を制定することである。そこにおのずから、北朝鮮だけではなく、真の目的でもある中国やロシアに対する日本の取るべき態度も決まってくると思う。今回の北朝鮮のミサイル発射実験は、また、日本国がさらに真の国家となってその概念を実現してゆく歴史の必然的な道程の一こまだと思う。

 

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必然性と運命

2006年02月03日 | 歴史

 

「自分の身にふりかかることを自分自身の発展とのみ見、自分はただ自分の罪を担うのだということを認める人は、自由な人として振舞うのであり、その人は自分の身にどんなことが起こっても、それは少しも不当ではないのだという信念を持っている。」
 ヘーゲル「小論理学§147(岩波文庫p100)」

これは小論理学で可能性と現実性の統一としての「必然性」について考察しているときに、ヘーゲルが必然性の問題を哲学的なカテゴリーから逸れて、「人間の運命」の問題として補注の中で考察したときの言葉である。この論考に見ても分かるように、この哲学者が、人間や人生の機微にも深く通じていたことが分かる。

同じ個所では、哲学と宗教の認識方法の違いにも触れて、次のようにも述べている。

「われわれが世界は摂理によって支配されているという場合、この言葉のうちには、目的はあらかじめ即自かつ対自的に(絶対的に)規定されたものとして働くものであり、したがってその結果はあらかじめ知られ、欲せられていたものと一致するということが含まれている。世界が必然によって規定されているという考え方と、神の摂理の信仰とは、決して相容れがたいものではない。
神の摂理ということの根底に横たわっている思想は、後に示されるように概念である。概念は必然性の真理であり、そのうちに必然を止揚されたものとして含んでおり、逆に必然性は即自的には概念である。必然性は概念的に把握されていない限りにおいてのみ、盲目なのである。
したがって、歴史哲学が、生起したことの必然性を認識することをその任務と考えているからといって、それが盲目的な宿命論だという非難ほど誤ったものはない。むしろ、歴史哲学は、そうすることによって、弁神論の意義を持つようになるのであり、神の摂理から必然を排除するのが神の摂理を敬うことになるのだと考えている人々は、その実こうした捨象によって、神の摂理を盲目的で理性のない恣意へ引き下げているのである。
素朴な宗教意識は犯すべからざる永遠の神意について語るが、これは必然が神の本質に属することをはっきり承認しているのである。神でない人間は、特殊な考えや欲求を持ち、気まぐれや恣意によって動くから、彼が望んでいたものとは全く別なことが、その行為から生じてくるということが起こる。しかし、神は自分が欲することを知っており、その永遠の意志は内外の偶然によって定められることがなく、自分の欲することは必ず遂行する。──必然という見地は、われわれの信条、および態度にかんして、非常に重要な意義を持っている。」(ibid  p96)

ここには、ヘーゲルの歴史意識と宗教観との密接な関係が読み取れる。彼にとって、歴史哲学の探求は、歴史の中に働く理性を認識することであり、弁神論の意義をもっていた。彼の哲学は必然性の追及でもあったが、それは、宗教的には神の意志の探求に他ならなかったことが分かる。

現在の世界史の進行は、神の意志の現れであり、その摂理である。この摂理の探求の中から、多くの歴史家、哲学者が、盲目的な宿命ではなく、法則として理性として、神に自覚されている目的として認識したものが自由であった。その意味で、自由は歴史の概念──正確には理念──である。ヘーゲルのこの歴史観は必ずしも独創ではなく、カントの歴史観を継承し発展させたものである。

またここでは、ヘーゲル独自の概念観もよく現れている。彼にとって概念とは、マルクスが誤解したような単に抽象された観念ではなく、いわば事物に内在する魂であり、宗教的に表現すれば、神の意志でもあった。しかし、唯物論者は、観念的な実在としての概念を認めず、運動の究極的な根拠として物質しか認めないが、唯物史観では、人格的な精神的な概念である自由をどのように説明するのだろうか。どちらが現実をよく説明するか。唯物論では意志の自由の問題をどのように扱うのだろうか。

繰り返し述べているように、宗教と哲学の違いは前者が表象的な認識であるのに対して、後者が概念的な認識であるということにある。しかし、表象的な認識はもちろん「誤れる認識」のことではない。それによっても法則や真理は認識される。宗教を単に阿片として切り捨てるだけでは(そうした側面のあることはヘーゲルも認めている)片付かないだろう。ただ、宗教の認識は、その形式上の不完全から、必然的に哲学に移行せざるをえないということである。宗教の克服はこの面で実現されるだけである。宗教に含まれる真理を感情的に否定し去ることはできない。


私たちの目の前で進行している世界史。イラク問題やパレスチナ問題、さらには北朝鮮問題など、多くの偶然の集積の中から必然性の貫徹と自由の実現という歴史の究極的な目標を洞察すること、それが歴史哲学の任務であることは今日でも同じである。これは個人と人類の運命の探求でもある。必然性の認識と人間の自由──わがままと同義の「自由」ではなく──との関連も明らかである。

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