Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

自作のweb漫画、長編小説、音楽、随想、米ラジオ番組『Coast to Coast AM』の紹介など

悩み多きエゴイスト

2014-04-20 23:05:35 | コラム

ゴメス「オオキニ!」2連発も 和田監督の尽きない悩み(スポニチアネックスの記事より)

昔、スピリチュアルから占い師、カウンセラーまでお悩み相談番組がテレビで流行った時期がありました。
相手への時に優しく時に厳しいアドバイスは色々と学ぶべき点も多く、好きでよく観てました。

しかし、当時からずっと疑問に思っていることがあります。

相談者はそもそも誰かに相談しようと思えた人たちです。
正直、そう思えた時点で、すでに半分は解決したも同じです。
本当に悩んでいる人は誰かに相談することすら発想にないほど追い詰められているはずですから。

カウンセラーの仕事は、すでに心の中にある答えを引き出してあげることです。
(もちろんこれが難しいのだと思いますが)
それで相手は喜んで感謝して帰ってくれます。
でも、それってカウンセラーとして立場的にちょっとズルいと思うのです。
やっぱりお悩み相談すらできない人を救ってこそだろうとそんな気持ちがどこかにあります。

さて、エゴイストといえば、自分勝手で人に迷惑かける人のことをいいます。
しかし、深く悩んでいる人も実は十分にエゴイストです。

人に嫌われた、仕事や勉強が上手くいかない、将来が不安だ…
人は悩んでいるときは意外と自分のことばかり考えています。
もっと言えば、自分が他人にどう思われてるかばかり考えています。
そして、人に相談する気すら起きないほど自分の殻に閉じこもってしまっています。

「天は自ら助くる者を助く」という言葉があります。
やっぱり、どうしたって自分から一歩を踏み出さなければならないようです。

そして、悩んだ時こそ自分のことを抜きにして考えたほうが、結果的に自分を救うことになりそうです。

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同性愛の自由さ窮屈さ

2014-04-18 23:33:24 | コラム

フィンランドで男の同性愛を力強く表現したアーティストの作品が切手に(ロイターの記事より)

僕自身、ゲイではないですが、男女ともにゲイの人とはとても気が合います。
学生時代、健全な意味で仲の良かったゲイの友人にこんなことを聞いてみたことがあります。
「ホモの人は性的に奔放な印象があるけど、カタい人も結構いるのか?」
すると彼の答えは「そういう人も中にはいる」とのことでした。

男女の恋愛の成立においては、男性は売り手で女性が買い手です。
売る側は買われて得することが多いですが、買う側は身銭を切るので慎重にもなります。

それに対して、男性ゲイはお互いノーガードの打ち合いです。
友達関係から入れる気楽さもある上、お互い男性のせいで性欲が強く、肉体関係にハッテンしやすいです。

それにもうひとつ男女の関係には『常識』という規制が入ります。
未成年の不純異性交遊は大人からとやかく言われますし、大人同士でもある種の暗黙のルールができています。

それに対してゲイの恋愛にはそういったしがらみがほとんどありません。
これがある意味ゲイ文化の自由さとなっているわけですが、世間がどう受け取るかはなかなか難しい問題です。

もし、ゲイの人達が社会的なポジションを得ようと思えば、このルールをある程度は受け入れる必要が出てきます。
あえて画像は出しませんが、上記事の切手も仮に男女に置き換えても、あまり趣味がいいものと思われないでしょう。
ある意味ではゲイ文化だから許されている面があると思います。

世間に認められない分、自由でいられるこのバランスをどう考えるかは、ゲイの方たち自身の問題です。
僕は、多少奇異の目で見られながらも、独自のポジションを築いている良い時代をむかえつつあると思うのですが。

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SMちっくでホモホモしいルーベンス『聖セバスチャンの殉職』。三島由紀夫も大好きなテーマでした

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私的悪人正機説

2014-04-17 23:07:44 | コラム

巡査、父親に「死にたい」 女性警官殺害(埼玉県)(日テレNEWS24より)

THE HIGH-LOWSの『日曜日よりの使者』という歌を一時期色んなところで耳にしました。
明るくポジティブな曲調ですが、この歌の題名の由来が興味深いです。
この歌は当時、自殺を考えていた甲本ヒロトさんが日曜にやっていたお笑い番組を見て笑ってしまい「オレまだ笑えるんだ」と思い直したことから生まれたそうです。
全く詳しくないのですが、甲本さんの曲は前向きなものが多い印象で、それほど思い悩むタイプだったとは思いもよりませんでした。

しかし、一方でこんなことも考えます。

根っから前向きな人なら、思い悩むこともなく、ポジティブな歌で自分を励ます必要もないでしょう。
むしろ、思い悩むからこそ、その中から前向きに生きる術を見つけられるのだと思うのです。

お釈迦さんだって、一国の王子で何不自由ない暮らしの中でも苦悩し、その原因が何であるのかを考えました。
人より繊細で悩みやすかったからこそ、悩みを解消する方法を何とか探ろうとしたのだと思います。

ですから、ある種逆説的ですが、暗い人ほど明るく、悩みやすい人ほどポジティブに生きる術を知っているのかもしれません。

悪人だったからこそ普通の人より正しい道とは何かをより深く考えることができる。
仏教の『悪人正機説』にも似たところはあるんじゃないでしょうか。

で、ここからは全くの蛇足です。

私事で恐縮ですが、先日ほそぼそしていた塾講師のアルバイトでまたもや授業ボイコットにあってしまいました。
さすがにもう無理ですが、そんなダメな人間だからこそ、当たり前のコトについて考えたくなるようです。
なので恐れ多くも、やけにうるさい独り言をこれからもブログで綴っていこうと思っています。

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ブラック企業論を越えて

2014-04-16 23:21:56 | コラム

1年生担任の50代女性高校教諭、勤務先の入学式を欠席し、長男の高校入学式に出席(埼玉新聞の記事より)

上記事の件の議論が白熱してます。
いわば個人の権利と社会的な義務の線引きの問題です。
近頃、個人主義が見直される風潮が強まっており、タイムリーな話題となったようです。

議論はつきないようですが、流行りのブラック企業論とからめて教諭を擁護する声にはやや違和感を覚えました。

意外ですが、昔のほうが労働時間自体は長かったことが統計上はっきりしています。
バブル期には『二十四時間戦えますか?』なんてCMフレーズもあったくらいです。
サラリーマンだった父も日曜以外は必ず会社に出かけ、夜の十時前に帰ってくることはまずありませんでした。
しかし、一方で企業も従業員への手当も厚く、労働組合との関係も良好で、社会的な義務への意識もあるにはありました。
それに国内経済も成長を続け、やればやるだけ結果が出た良い時代でした。

今と昔で決定的に違うのは、労働時間そのもの以上に、いくら働いても賃金も地位もまるで向上しない不毛さです。
不景気と相まって、企業は従業員を使い捨て目先の利益ばかりになりブラック化したのです。
そんな中、個人の権利≒労働者の権利を主張してブラック企業を批判するのは当然の流れでしょう。

しかし、今必要一番なのは、会社と個人がお互いに譲り合いともに成長していく本来の日本的な企業経営の復活だと考えます。

上記事の先生も日本流に根回しをし周りの理解を得て、息子の晴れの日に臨んだのなら美談だったと思います。
そうした思いやりひとつで、何も個人の権利をハデに振りかざさなくても、穏便に事が済むことも多いんじゃないでしょうか。

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姉持ち弟たちの陰謀

2014-04-15 23:02:04 | コラム

『グラドル今野杏南が大胆告白・・・「弟と今でも一緒にお風呂入ってます。抱っこしたりキスしたり」(マイナビニュースの記事より)

イルミナティ、フリーメーソンなど世界を影で操ると噂される秘密結社は数あれど、個人的にその存在を確信している秘密の組織があります。
それは他ならぬ『姉を持つ弟の会全国連合』です。

『姉萌え』は長く付き合う者同士のみに生まれる深い愛着、血を分かつゆえのプラトニズム、そして禁じられた愛ゆえの背徳感が重厚に折り重なった奇跡のハーモーニーです。

しかし、実際に姉を持つ人はかたくなにこの姉萌えを認めようとしません。
「年の近い母親みたいなもの」とか「裸を見てもなんとも思わない」などと到底信じられないことを言います。
こちらから姉萌えを主張すると「そんなのありえない」と明らかに動揺し顔を真っ赤にしてそれを否定しようとするのです。

僕に言わせるとこの反応が逆に馬脚を現してしまっているのです。
これこそ人は図星をつかれた時の反応そのものなのです。
もし本当に姉萌えがないのなら、もっと涼しい顔でやり過ごせばいいだけです。

想像するに姉を持つ弟は姉から「○○くん」と甘やかされ世話をやかれ優しく叱られ毎日天国のような日々を過ごしています。
それゆえにこの事実が世間に知れ渡り、持たざる者から羨まれ恨まれることを彼らはもっとも恐れています。
なので秘密組織を作り口裏を合わせることで、外部に情報が漏れないようにしているのです。

きっとイルミナティも同じ理屈です。
「お前はイルミナティか?」と聞いて必死に否定したがる人がいたらまず間違いなくイルミナティです。

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恐怖のギャンブル

2014-04-14 23:03:04 | コラム

日本のどこにもカジノ置かせぬ  反対連絡協議会が発足  「日本のギャンブル依存症560万人は世界でもとびぬけて多い」(赤旗の記事より)

昔、ギャンブルにまつわるこんな話をネットで見ました。
ボタンを押すとバナナが出てくる箱を猿に用意します。
猿はすぐに仕組みを理解してバナナがほしい時にボタンを押すようになります。

そこで、ちょっと工夫をして低い確率でランダムにバナナが出てくる仕組みにします。
すると、猿は時が経つのを忘れて「サルのように」夢中になってボタンを押すようになるそうです。
面白いのは、そうなると自分に今バナナが必要かどうかはあまり関係がなくなることです。

これは人間でも同じことが起こりえます。
「射幸心」といわれるギャンブルで勝つ喜びを得るには、それほど高いゲーム性は必要ありません。
現にパチンコは見る限りひたすら玉がはじかれるのをぼーっと眺めているだけです。
(人によると台ごとの回転数等で複雑な計算をするようですが)
よくは知りませんけど、ソシャゲのレアカードを当てるのも似たようなところはあるんじゃないでしょうか。

もうひとつ面白い話があります。
アメリカの超一流大学の理系の学生ばかりを集めて実験が行われました。
全員に同じ額だけ持たせて、勝率50%のシンプルなゲームを一日中やらせたそうです。
普通に考えたら収支はとんとんか、その頭脳を生かして50%以上の勝率を誇る人もかなり出そうな気もします。
ところが、結果はその大半がすっからかんになってしまったそうです。

ギャンブルというのは一流の理性さえも狂わす何かを持っているようです。
ましてや一般人などイチコロです。

先日、パチンコが三度の飯より好きという方に「勝てるんですか?」と質問をしてみました。
すると答えは「いかに負けを少なくするかが全て。パチンコはそういうゲーム」とのことです。
僕自身パチンコ全廃派ですが、自制さえできれば本人にとってはいい気晴らしになるのかなとは思いました。

人生もある意味ギャンブルですが、こちらは胴元も自分ですから、張り切って自分に全プッシュでいきたいものです。

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メメント・モリ(死を忘れるな)

2014-04-13 23:29:33 | コラム

もし突然「あなたはもうすぐ死にます」と言われたらどうする? (Gow ! Magazineの記事より)

テレビで重い病気にかかり余命がわずかな子どものドキュメンタリーをやっていることがあります。
重い心臓病や早老症など症状は様々ですが、どの子にも一様に感じることがあります。

それは皆言動がしっかりしていて大人びているということです。

失礼かもしれませんが、病気がなければ彼らも本来どこにでもいる普通の子どもたちだったはずです。
外で遊びまわったり、わがままを言って親を困らせたり、些細な事で友達とケンカしていたかもしれません。
しかし決定的に違うのは、常日頃から自らの「死」を意識しなければならないという重い事実です。
その境遇が幼い子供にも大人以上にしっかりとした人生観をもたせるようです。

歌舞伎役者の中村橋之助さんがテレビで目標を聞かれてこう答えていました。
「今日舞台に立てる喜び」
これも、今日この日が最期のつもりで今一瞬を大切にするということではないでしょうか。

一方で、「死」からはもうひとつの生のあり方も見えてきます。
人は皆どうせ死ぬのだから下らないことにこだわるのもつまらないです。
僕も好きな一休宗純さんなどはこちら側のタイプでしょうか。

死を通してみる生の大切さと虚しさ。
どちらも生きるためには適度に必要な考え方じゃないでしょうか。

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ラ・トゥールの骸骨にはメメント・モリの意が込められています。本記事テーマとは大分異なりますが

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悪魔の代弁者

2014-04-12 23:10:34 | コラム

古舘伊知郎59歳「報ステ」で「パワーポイントがわからない」 キャスターのくせに無知?それとも知らなくても問題ない?(J-Castの記事より)

『電波少年シリーズ』などで知られるテレビプロデューサーの土屋敏男さんがこんなことを言っていました。
「(テレビ制作者は)『馬鹿にどう見せるか』と、みんながそう思っているようなフシがあります」

近頃、朝NHKを見ていてどこか違和感があります。
その正体は、VTRの時でも出演者の表情を画面端に出す『小窓』を使っていたからでした。
民放ではお馴染みの演出ですが、ついにNHKも陥落とは複雑な気分です。

多くのバラエティー番組ではテロップや小窓で出演者の表情を出しますが、どういうシーンなのかを分かりやすくするためです。
どんな「馬鹿」にでもどこで笑ってどこで悲しむのか嫌でも伝わります。

最近は特に「属性」がはっきりした分かりやすいタレントさんが求められています。
オカマだったり、ハーフであったり、毒舌キャラだったり、職業タレントだったり…
一昔前にレイザーラモンHGさんや小島よしおさんなどキャラ重視の一発芸タイプの芸人さんが人気を博したこともあります。
(例に出して悪いですが、僕は彼らのキャッチーな芸風はとても好きです)

さて、英語で「悪魔の代弁者(Devil's adovocate)」という言葉があります。
インタビュー時に相手の意図を引き出すためにわざと意地悪な質問をしたりすることです。
視聴者のためにインタビュアーが無知を装うというのもその一つです。
ですが、若い世代の多いネットではこの手のポジショントークが本気と受け止められることがよくあります。

上記事の古舘さんもさすがにパワーポイントがどんなものかくらいは知ってたと思います。
しかし、今回ばかりはテレビ業界人にありがちな「馬鹿にどう見せるか」をやり過ぎたのかもしれません。

土屋敏男さん達テレビマンのやり方はある意味で商売の鉄則です。
しかし、今は視聴者の理解力をあまりに低く見積もりすぎた結果、テレビがマンネリになり飽きられてたりはしないでしょうか。
もっとも『報道ステーション』は今でも人気の番組ですから、僕の見当違いかもしれませんけど。

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『お前が言うな』は正しいのか?

2014-04-11 23:09:15 | コラム

「小保方さんはかなりのナルシスト」 日本カルチャーを牽引する志茂田景樹氏が言及(J-Castの記事より)

言ってることは正しいけど、その人がしてきたことと一致しない。
そんな時思わず言いたくなるのは「お前が言うな」です。

かつてキリストも娼婦に石を投げている民衆に対してこう言いました。
「では、今まで一度も罪を犯したことないもののみが石を投げなさい」

言いたいことは分かりますけど、これを何にでも当てはめるのは危険です。
このリクツだと生まれてこの方何もしてこなかった人ほど物事を多く批判する権利があることになりかねません。

例えば、ある人気漫画をつまらないと言った人が、それよりヒットしていない漫画の作者だったらどうでしょう?
口さがない人の多いネットではすぐさま「お前が言うな」の大合唱で炎上の憂き目にあうと思います。

では「お前が言うな」と言う人達はどうなのでしょう?
漫画の一つもロクに描いたことのない人たちばかりです。
つまり、何もしたことがない分人に見せる弱みがないので強気に出られるというわけです。

でも例え下手っぴでも経験したことある人の方が、その分野についてより良く理解できる面があると思います。
それに何かにチャレンジしてる人の方が、してない人より弱みを多く抱えてしまうのは社会として健全とは言えません。

それでも「お前が言うな」と言いたくなる気持ちもわかります。
あまりに不躾に相手をけなすのはいくら正しくてもファンの気持ちを傷つけますから。
なぜそう思うのかを経験者なりに説明できれば、ただの中傷とは違って議論に生産性も出てきます。

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志茂田景樹さんの今昔。昔からおしゃれな方ではあったようです。氏のtwitterはなかなか深いです

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困ったときの組頼み

2014-04-10 23:04:34 | コラム

山口組が安倍政権を批判「国家主義に移行しつつあり、国民の平等の権利が脅かされつつある」(ゲンダイネットの記事より)

映画『ゴッド・ファーザー』の冒頭にこんなシーンがあります。
娘を街のチンピラに強姦されたボナ・セーラという葬儀屋がドン・コルレオーネの元に相談に訪れます。
涙ながらに訴える彼に、ドンは彼がコルレオーネ・ファミリーを避けてきたことを暗に非難します。
そこでボナ・セーラは意を決して忠誠の証にドンの手の甲にキスをするのです。

さて、ボナ・セーラは晴れて娘の敵をとってもらえたはずですが、その代償は何だったのでしょう?

よく言われることですが、日本の警察は事件が起こるまで動いてはくれません。
「自力救済の禁止」という建前上、奪われたものを自分で取り戻すことすら許されないのです。

どうにか刑事告訴できたところで、心や体の傷が癒えるわけでもお金がもらえるわけでもありません。
民事訴訟で膨大な時間とお金をかけて賠償金を勝ち取ったところで、支払われる確率はわずか半分です。

残念ですけど、法治国家では被害者は基本的に泣き寝入りするしかありません。
でも、ボナ・セーラのように相手をどうしても許せなかったらどうでしょう?
そんな時汚れ仕事もいとわない強面のお兄さんたちがいたら…
ヤクザを容認しているわけではありませんが、なかなか難しい問題だと思います。

また、総資産1兆円ともいわれる上記事の某組の活動も今や8割が合法と言われています。
それだけ日本社会に根深く組み込まれている証拠です。
事実、日本のマフィアが実社会に浸透している度合いは世界でもトップクラスです。

それに現実はともかく映画やドラマの中の任侠の世界に憧れる人は結構います。
スジの通らないことは許さず、組織の力学が強く働く、時に命のやりとりもいとわない男の世界。
この世界観って任侠以外では戦国武将が一番近い気がします。

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