Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

自作のweb漫画、長編小説、音楽、随想、米ラジオ番組『Coast to Coast AM』の紹介など

059-静かな開闢(後編)

2012-12-07 23:00:56 | 伝承軌道上の恋の歌

 一方、アカも違う場所でそれを見上げていた。呆然として、これから我が身に祟りが振りかかることを恐れるかのように身体を震わせて。
「…やっぱり、私達じゃ駄目なの?」アカはそうつぶやいた。
「いいから、行くぞ!」
 そう彼女の手を強引に引っ張るのは、かつてスフィアのメンバーだった男だった。
「ねえ、あれって…ねえ、本当になったんだよ。マキーナが…ねえ、私達もう…」
 スクランブル交差点を横切って二人で向かうのは約束の場所だったはずなのに。
「アカ!あんなのはただの悪ふざけだ。マキーナは俺達のさ!そうだろ?」
 アカは何度もスクリーンを振り返ってさっきまでの残像を重ねながら、次第に遠のくそれをいつまでも目で追っていた。
  息を切らしてミドリ達が着いたのは神宮橋だった。既に辺りは陰りが差し、街灯に明かりが灯り始めていた。週末、あたかも巡礼のように多くの人が集っていたこの場所も、今は来るイベントのための設営が始まったばかりで閑散としている。向こうの公園の森にホームレスが青いシートを張っているのが見えるだけだ。『大丈夫。何か、何かあるはずさ。落し物なら地面を、願い事なら空を見ればいい。きっと僕達が探すのは思い出だ』ここにマキーナの残したものがあるはずだ。アノンだってそう言っていた。
 と、どこからか音楽が聞こえる。初めて聴くはずの旋律なのになぜか惹かれる。見えない五線譜の上に浮かぶ透明な音符をたどると、それはホームレスの一人が吹いていたハーモニカからだった。分かった。マキーナの『伝承軌道上の恋の歌』とどこか似ているんだ。違いがあるとすれば、これはもっとバラード調で優しい感じがした。
「おじさん、その歌は?」
 道端の黒ずんだダウンジャケット姿の演奏家にミドリが聞く。
「…ああ、ここを歩いていた女の子が教えてくれてな…どうだ、いい曲だと思わねえ?」
 思わずミドリは男の肩を両手で掴んで聞いた。
「おじさん、その女の子の名前聞いた?!」 

 歌が広まっている。誰が初めに歌ったのか知らないが、人口に膾炙してどこまでも伝わっていく。旋律だけの歌もいつしかコードがついて、色んなアレンジが加わっていった。そしてその旋律には詩があてがわれて、若い女の子を中心に盛んに歌われはじめた。それはあの『ゆらぎ』が起こってからわずか数日の間のことだった。

 翻って、研究所の温室地下。今はヨミの眠る部屋。ウケイは一定の規則に習って上下する線を映したモニターを眺めていた。不意に男が入ってくると、ウケイの肩を引っ張って無理に自分の方に向かわせると、彼を責め立てるように異国の言葉で何事かを叫んだ。
「…知りませんよ」
 ウケイの口元には笑みがこぼれる。
「ええ、確かに彼女は三年前に死にました。不幸な事故でした」
 
 それは地上波を席巻し全てにわたってまるで万華鏡のようにCGのマキーナが映し出した。スクランブル交差点を歩く人々が映し出されると、一瞬その女の子たちがマキーナの姿に変わった。他愛のない映像加工に過ぎなかったが、観る人に届くイメージは確かだった。電波ジャックを委員会の演出ととらえ賞賛の声を送るものも多くいた。実のところこれは委員会の意思しないものだったが、当時まだそれを疑うものは少なかった。
 そして街中にマキーナがあふれた。
 と同時に異質なものが混じり始める。街中でマキーナの少女達が口ずさむ歌だった。まるで吟遊詩人のように広まるその歌が紡ぐ物語は、異なる音楽、異なる物語、異なるキャラクターで語られていた。それはアノンが歌いミドリが聴いたあの歌だった。イナギの事故以降、委員会側が意図して流した新キャラクター達が氾濫する『正典』のそれとはかけ離れていた。異端扱いされ、『外典』へと追いやられたはずの物語だった。
 更にそれは広まる。街を歩く人のシャツに、プラカードに無造作に貼られたポスターに。決まって書かれた彼らのスローガン『マキーナを取り戻せ』。この声明はいずれも『イナギ』の名の元に行われた。こうして『管理-kanri-』は次第に混乱していった。

…つづき

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059-静かな開闢(前編)

2012-12-06 23:30:29 | 伝承軌道上の恋の歌

 突然それは現れた。スクランブル交差点の巨大スクリーンは突然、最新鋭のエアー・クリーナーのCMを中断し、ノイズの嵐が画面全体を覆った。次第にその嵐の中に像を結び、そこに一人の少女の顔が現れた。モノクロームに映るその姿は、白い病衣を来て、左目に眼帯をしていた。ノイズ混じりに微かな声がのっているが、しかしそれは誰かに伝わる言葉まで届かない。画面の向こうで少女は顔を歪ませ、悲壮な面持ちで何かを伝えようとしている。そして何かを叫ぼうとしたところで終わった。
 ただの数十秒。何事か起こったがしかし一体何なのかが分からずにただ皆それを眺めた。ただただ驚いているもの。怖がるもの。冷ややかに笑うもの。それより好奇心が勝っておもしろがってるもの。反応は様々だ。でも、ほんの僅かな時間に人々に響いた。聞こえない音で辺りに反響して、残像はいつまでも留まっていた。
 『ゆらぎ』。アノンならそう言っていたかも知れない。あの少女が誰だったのか?ヤエコという人もいたし、ヨミだという人もいた。後に宗教団体の配ったビラの少女とよく似ていると評判にになった。が、その真相が知られることはなかった。
 ミドリは細い路地の奥から覗き込むようにそれを目撃した。
「マキーナ…本物のマキーナだ…!」
 思わずカバンの肩掛けを握りしめてミドリは心の中で叫んだ。『良かった。生きてんたんだ…』ミドリはほっと胸をなでおろすと同じく
 すぐにアノンの口元が何か短いフレーズを繰り返しているのが分かった。『何だ?何を言ってる?』二度、三度、時々ノイズの嵐が画面を歪めながらもミドリはまばたき一つせずにひたすらスクリーンを凝視する。
「と、…も、マキ」
 だんだんとそれは音と音がつながりを持って意味を作っていく。
「…とりもどそう、マキーナを?そうだ。マキーナを取り戻そう。そうか…」
 一度、口に出してつぶやいてからミドリは辺りを眺めた。皆、そろって一瞬スクリーンを見上げていた。五秒、そして十秒、それからざわめきが起きはじめた。それがその少女が彼らの日常にヒビを入れて伝えた『ゆらぎ』だった。視覚化された『ゆらぎ』は、どこかでずっとここから彼らを眺めて、何かを予感させた。彼らのほとんどは慣性のついたそれまでの日常に戻っていくにしても。
 ミドリはすぐに携帯電話を取り出す。
「あ、俺、今の見た?マキーナだ、マキーナのオリジナルが生きてたんだよ。スフィア?いや、ここの話だよ。今ここで現実に起きたんだよ。で、マキーナ、いや、謎の女の子、…それも違うな…とにかく『オリジナル』が言ってたんだ、マキーナを取り戻すんだって。え?とにかく今から仕事休んででも来いよ!あの場所だ」

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058-私、歌いたい(後編)

2012-12-05 22:03:43 | 伝承軌道上の恋の歌

× × × × × × × × × × × × × × × × × × ×
 僕は机に軽く身体を持たせて、診察用のベッドに並んで座る二人に向ってる。
「じゃあ、話すよ…」
 最初の言葉はほとんど吐息と混じってかすれて消えた。
「アノン、確かにお前の言う『ゆらぎ』には二人の名が刻まれていた。一つはマキ。そしてもう一つ。その名の持ち主がマキを連れて逃げた。どうやってあの研究室から逃げ出せたのか?…いいか?それはヤエコと同じやり方だったんだ。その方法は替えのきかないただ一つの方法だった。しかも本当ならこの世で本人しかやれないやり方だった。それを僕ができたんだ。お前を連れだして逃げたんだ。それだけで答えはもう出てる。マキが逃げたんじゃない。できるはずもない。でもヤエコなら?彼女はちゃんとデータベースに登録されていて生体認証も難なくクリアできる。外泊のときはいつもそれで出ていたんだから。だからヤエコはそう望めばいつでもあの研究所を抜け出せた。つまりだ。ヤエコがマキを連れて逃げたんだ」
「…ウケイだってそんなこと言ってなかった…」とアノン。ウケイ先生からすればやさしい嘘のつもりだったのかも知れない。ヨミも知っていて真実を告げはしなかった。みずから研究所の、しいてはアノン自身の『闇』に近づけてしまうことを恐れたんだろう。
「そして二人は逃げたいたる先で自分たちの名前を刻んだ。マキの生まれ育った土地の文字で。それが今この街に残っている『ゆらぎ』だ。彼女たちの願いがマキーナの神話を作った。むしろ、最初は無関係だったものに、二人の命が宿ってしまったのかも知れない。荒唐無稽な話だけど、僕はそう思ってる」
「端末化…」アノンがつぶやく。
「それって、まるでスフィアそのものじゃない」アキラが言う。
「だから…だから、マキーノはいないんだ。いや、いるとすればそれはヤエコの演じた役割の一つの断片がそういうキャラクターになったのかも知れない」
 あるいは…ウケイ先生もその一端を担っているとも言える。これが神話の真相だ。実際の二人の顛末は悲劇で幕を閉じてしまったけれど。
「…分かった」
 アノンは長い沈黙を破って僕に答えた。その言葉は、この話にかそれとも僕が歌うのをやめろと言ったことにか、どちらに向けられたものか判然としなかったが。
「そうか。良かった」
 僕はただ用意していた言葉をそこに置いた。けれど、アノンの答えは僕の思いとはだいぶ違っていて
「私、歌う」
 アノンはそう言って勢い良く立ち上がった。
「…話、聞いてたよな?」僕は呆れ顔に言う。
「シルシ、違うの。私分かった。分かったんだよ。ヤエコ…それにマキ。その二人の神話がマキーナなんだ。だったら、私は今神様の住まう世界に直接アクセスできる管理者だってことでしょ?多分、南の国ならシャーマンって言ってたかも。それは誰にもできないこと。本当の神様を私だけは知ってるんだ。だったらさ、この二人をうまくスフィア化してアノンに端末化できれば、デウ・エクス・マキーナの中で一番の存在になれるはずだよね?このままでは委員会とその会員に消費されてそれで忘れられちゃうよ。象徴に、普遍的なものになるには、神話でなきゃいけない。それでいて私だけが知ってる秘密がいるんだ。ヤエコ、それにマキ…私は伝えたい。二人が確かに生きてこの世にいたってこと…」
「でも、そんな…」アキラが心配そうに言う。
 当たり前だ。追われているのにわざわざ自分から名乗りをあげるようなものだ。
「…シルシ…」
 潤んでいくアノンの両目はとある一人の名を僕に訴えてる。
「…ああ。分かってる。今だから分かるんだよ。マキーナはヤエコでもあるってことさ。そうだよ。アノン、お前が初めて僕に会った時言った言葉を覚えてるだろ?お前はヤエコのことが嘘なのかって僕に聞いた。なぜかってあんまりマキーナとヤエコが似てると思ったからだ。だから半分は当たってた。マキーナの半分はヤエコでできてるんだ。
 だから僕にだって文句を言う権利はあるはずなんだ。委員会のやり方は許せない。できることならやめさせたい」
「…だったら!」アノンが声を荒げる。
しかし僕は応じずにキャスター付きの椅子に背もたれをきしませて深々と腰掛けた。
「…少し考えさせてくれ」 
 やるなら。やるとしても。やり方が大切だ。アノンをバレずに会場まで連れていかなきゃいけない。そしてそこで歌う歌は…そうだ。アノンと僕の故郷の歌、もう一つの『マキーナの歌』じゃなきゃいけない。もし、そんなことができるとしたら…

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058-私、歌いたい(前編)

2012-12-04 22:30:37 | 伝承軌道上の恋の歌

 程なく僕達は神宮橋のたもとにある歩道橋の上に二人立っていた。
「研究所から逃げてくるときここを渡ったの覚えてる?それでふと思いだしたんだ。見間違えじゃなきゃいいけど」
 ふいに起こる強い風にマフラーをなびかせたアキラが帽子を抑えながら言う。とにかく僅かな可能性に望みをつなげるしかない。欄干の上に視線を滑らせるように眺めていくと僕はそれを見つけた。
「…どう?」
 足を止めたところでアキラが追いつく。あった。間違いなく同じ文字だ。
「まだだ。まだ上書きされていない…」
「じゃあ、モノくんがここに来るかも知れないってことだよね?」
「ああ。そう思いたい」
 今は少しでも安心できる理由が見つかれば、明日の朝をどうにか迎えられる。アノンにも悪いけど、それ程に今の僕達は無力だった。とにかくトトの無事は明日までつないだ。もう一人、アノンはどうだろうか?ウケイの言葉を信じるならあと一週間アノンをやり過ごさせなければいけない。トトの行方を追いながら、だ。
 帰ると、アノンはきっとウケイ先生と同じに椅子に寄りかかりぼんやりと机の上の写真を眺めていた。僕達はその中の一つに両親と生まれたばかりの自分がいることを告げずにいた。アノンも既に知っているだろう。コートに浮かんだ雨粒を払いながら僕は
「アノン…あったよ。新しい『ゆらぎ』がな」と言った。
「…トトが…」アノンが答える。
「…ああ。でも、まだ上書きされてないところがあった。まだ時間は残されてるはずだ。何とかして助けなきゃいけない」
「…うん」
 きっとここを訪れた患者と同じに、ポールになったハンガーにコートかける。
「アキラは?アキラはどうするの?」アノンが聞く。
「もちろんトトちゃんとアノンちゃんの無事を見届けるまでは付きあうよ?」
「…そう」
 アノンは何かに迷ってる
「僕達は何ができるだろうな…」
 僕は独り言をつぶやいてすぐ近くの診察用のベッドに勢い良く腰掛ける。そして沈黙。アノンの身を守るにしても、ここで隠れていても何も始まらない。トトを見つけるためにはいずれ危険をおかさなきゃいけない。僕達はどうすればいい?思案にくれていると、
「…私、歌いたい」アノンがうつむいたままそうつぶやいた。
 これが物言いたげな態度の理由だ。アノンの膝の上で固く結んだ手が震えていた。
「…シルシ、私歌いたいよ。最後になるかも知れないから…これ以上マキーナが歪められてくのを見てられないよ」そう言って僕の腕にすがる。
「アノン、それだけは駄目だ」
「それに私探してる人がいる。もう見つからない。シルシ、その人は、マキーノは私達の最後の一人なんだよ?」
「…アノン、違うんだ」
「なんにも違わないよ?デウ・エクス・マキーナにだって転写してる。マキーナを助けだした男の子のアンドロイド。マキを助けだして逃げたもう一人のレシピエント。なんにも違わない。全部ちゃんと伝わってる。だから…」
 僕はアノンの手を掴んで離すと、身を屈めて彼女の目を水平に見つめた。
「アノン、聞いてくれ。確かにマキは一人で逃げたんじゃない。それは間違いない。でも、助け出したのはマキーノじゃない。そこが違うんだ…」
 疑いとして浮かんできた存在の名。ウケイ先生も決して告げなかったその一人。恐らく彼は知っていた。そして僕もあの『ゆらぎ』で確信を持ったその少女の存在。
「じゃあ、誰だって言うの?」
 アノンが聞くから、僕は初めてそれに答えた。
「ヤエコだ」
「…え?」
「お前が探していたのはヤエコだったんだ…」
 そう言うと僕は立ち上がって、すぐ近くの診察用のベッドに腰掛けた。
「そんな…」
 アノンは言葉を失ってる。それはそうだ。彼女がスフィアでやってきたことの意味を今なくしたんだから。むしろウケイ先生が自らそう教えたのかも知れない。
「僕の『周知活動』と同じさ。嘘を支えにして、今ここじゃない何かを信じてられたんだ。ウケイ先生に感謝しなきゃな。しかもそれで研究所の闇をも葬ることができるんだ。先生にとってもこんなにいいことはなかったんだ。僕達は使われたんだよ」
 僕はそう言ってため息をついた。だから、僕の前に立ったアキラに真っ直ぐな目で
「シルシ君、説明して?」と言われた時自分を少し恥じた。アキラが僕の隣に静かに座る。それからアノンに向かって
「知りたいのよね?アノンちゃん」と優しく問いかけると、アノンは黙ってうなづいた。

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057-朽ちていくスフィア(後編)

2012-12-03 23:17:25 | 伝承軌道上の恋の歌

 ここに来るのは四人で集まったあの夜以来だった。暗闇に浮かび上がる壁の朽ちた廃墟のようなジャングルジムを見てアキラは思わず足をすくませた。
「ねえ、どうしても入らなきゃいけない?」
 アキラはあの時のモノを思い出してる。
「アノンの言っていた『ゆらぎ』。それがここにあったんだ」
「…わかった。でもすぐ戻るよ?アノンちゃんも心配だし」
「…ああ」僕はそう言って僕達は公園に足を踏み入れた。
「あそこにあったんだ。ここに文字のようなものが…」
 そう言って僕は緑色のペンキで塗られた鉄柵を示す。
「それをアノンは『ゆらぎ』と言っていた」
「シルシ君はどう思う?」
「…あれは多分、『マキ』が書いたものなんだ」
 そうだ。あの異国の文字。それはあの事故が起きるほんの少し前、研究所から逃げ出した少女マキが何かの証につけた刻印だったんだ。今ならそれが意味するところが分かる。書いてあったのは二人分の名前だ。ひとつはマキの本当の名前、それに彼女の大切に思っていた誰かだ。誰にも知られなかったあんな些細な証『ゆらぎ』がいつの間にかここまで大きな現象を作り出した。マキは今でも生きているんだ。もっと大きな意思の塊のようなものになって。それは大きい一つの存在で皆を支配していて、また、ほんの小さな欠片になって皆の中に偏在している…
 そしてそれを願う人が彼女の『まねび』を行った。イナギとヨミ。確かに二人は伝承の人物になろうとしている。ただ街中にある公園の片隅に書かれたただの刻印がまるで秘儀のように知り得たものだけに奇跡を起こしてる。アノンはそれを知っていた。いや、どこかでその働きを理解した。そして新たな模倣者を作り出さないために、むしろそれを予感したから『ゆらぎ』を確かめたかったんだ。
「…あった。これだ」
 僕はペンキの剥がれかけた表面に手をすべらしてそれを見つけた。初めの『ゆらぎ』は既に消されていた。そこに僕が見つけたのは『モノ』そして『トト』の名だった。それが意味するものはすでに僕達には明らかだ。
「二人でまた事故の再現をしようとしている…止めなきゃ…」僕はつぶやく。
 少なくともトトを見つけるわずかな手立てはできたという気持ちがどこかにあった。
「でもどうやって?」アキラが乞うように僕に言う。
「そうだな…マキはこの『ゆらぎ』を少なくともスクランブル交差点とここの二つに残した。誰にも知られることのなかった自分の存在をああいった形で誰かに伝えたかったんだろう。そして足跡をたどるようにそれが残されているとしたら…それでモノはマキーナ神話を上書きして自分達のものにしたがってる。なら、他の場所も同じようにするはずだ。そこに先回りして押さえることができれば…」
 淡い期待だけど、今はそれに頼る他ない。
「ねえ、シルシ君、このサインの前に書かれてたのって具体的にどんなの?」
「そうだな…こんな感じのだな」
 僕は携帯の画面に白いキャンバスを開いた。頭の片隅に眠る記憶を呼び出してそこに投影してみる。アノンと二度目に出会った時少し目にしただけなのに、自分でも不思議なほど再現ができた。
「…あったよ」全てを書き終わる前にアキラがつぶやいた。
「え?」
「同じのあったよ?」 

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057-朽ちていくスフィア(中編)

2012-12-02 22:36:03 | 伝承軌道上の恋の歌

 アノンが示したのは今まさにこの界隈を賑わしてる『管理-kanri-』の告知サイトだった。しかし一見して違和感がある。キャラクターや彼女たちが歌う人工音声の歌には毒っけというか陰鬱さがなくなくなってる。しかも画面がやけに騒がしいのはマキーナに続くアンドロイドが総勢十二体。それぞれに個性的だが、それに一体何の意味があるんだろう。『正典』や『外典』がいくつあればそんなに増えるんだろうか?サイトではそれをデウ・エクス・マキーナの新しい展開と銘打って伝えている。
「どういうことだ?スフィアの連中はどうした?こんなの許したのか?」
「…事件も続いたしスフィアも今は自粛中だって…」アノンが肩を落として言う。
「そこを委員会とオトナに食われたってわけか…」
 あれほど盛り上がっていたスフィアが速度を早めて朽ちていくようだ。
「もう、ここにソースは残ってない…匂いも感触もない…」アノンがそうつぶやく。
 と、アノンは何かを思い出たように「あっ」と声を出すと、両手で僕の腕にすがって
「シルシ、私外行かなきゃ…」と言う。
「駄目だ」僕はそれに即答する。
 理由を聞いたら最期、余計期待させるだけだ。
「シルシ…外」
 そんな捨てられた子犬のような目で僕を見ないで欲しい。
「見たいの。『ゆらぎ』が見たい」
 あの電柱にあった異国風の記号のことか?それとも公園の方だろうか?
「そうはいってもな…」
 アノンは潤んだ瞳で僕を見つめる。そこに映る丸く伸びた小さな僕の姿が後ろめたさを際立たせる。アノンだって危険を分かった上で言ってるのは分かるが…
「いや、だめ…」僕が言いかけたところで
「…ねえ、ボク達が見てくるんじゃ駄目かな?」とアキラが割り込んでそう言った。
× × × × × × × × × × × × × × × × × × ×
 頭にレースカチューシャを乗せたアキラが僕の白衣の腕に自分の腕を絡ませる。お互い変装のつもりだが、果たして正しかったのだろうか?
「気をつけてよね。ボクはともかくシルシ君はお尋ね者なんだから」
「あのな…」
 幸い週末を迎える夜の街がいつにも増して賑わってるおかげでうまく紛れることができてる。周りも同じような格好をした連中ばかりで往来の人も気にも留めていない様子だ。むしろあの場所をくまなく見ようとするにはこの格好の方が目立たない。
「今だ」
 信号が青になったのにあわせて大勢の人に紛れて行く。
「シルシ君、早くね」
 僕は何気ない風にアノンが見ていたその街灯の柱を素早く観察する。が、傍から見れば聖地を訪れたただのマキーナのファンと言ったところだろう。目に焼き付けるようにして端から端まで凝らしてみるが、気になるモノは見つからない。そもそもこの柱がスフィアにとっていわば聖遺物になったせいで、多くの人が記念に落書きを残している。それは日々塗り替えられてオリジナルの跡形はとうになくなっていた。
「どう?なにか気になるものある?」アキラが辺りを見回しながら小声で僕に聞く。
「いや…ここはもう…」
「やっぱりアノンちゃん本人に見てもらわないとダメかな」
「…いや、待てよ。ここじゃない」
「でも、あの夜だってアノンちゃんここを見てたでしょ?」
 公園なら…あそこならまだバレていないはずだ。アノンが言う『ゆらぎ』もともとあの公園でのことを言っていた。
「アキラ、公園だ」

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イナギ01-ヨミを待つ

2012-11-30 23:20:37 | 伝承軌道上の恋の歌

 僕は誰もいない廊下でソファに腰掛けて、ヨミを待っていた。ドアを隔てた向こうにヨミはいて、僕は早くドアが開くのを祈るようにして右足を小刻みに揺らした。ヨミは今かかりつけの主治医に『診察』を受けているところだ。そして僕達がいるこの路地裏の建物をヨミは『診察室』と呼んでいる。
 ドアの向こうでかすかに物音がしてからゆっくりと灰色のドアが開く。
「お待たせ」そう言ってヨミは僕に笑いかけてくれる。
 白い肌にかかったウェーブのかかった灰色の髪がすごく綺麗だった。白いレースのワンピースは胸もとのボタンが三つくらい空いていて、ヨミはそれを白く細い手でひとつずつ丁寧に留めていくのを僕は苦々しい思いで見つめていた。そのヨミの向こうにはメガネをかけた白衣姿の中年男性の姿が覗く。椅子に座ってカルテを整理しているようだ。ヨミを穢すな。僕は心で彼を呪いながら、重たい鉄のドアを勢い良く閉めた。
「イナギ?」ようやくボタンをヨミが不思議そうにつぶやく。
「…行こう」
 そう言って僕は傍らにおいてあったコートをヨミの方にかけて、彼女の腕を掴むと足早に研究所を後にした。僕が黙っていると、ヨミも無理には話しかけようとしない。もう夕暮れ、繁華街を抜けるとその先にスクランブル交差点が見える。
「…イナギ、またあの人を見たの?」
 ヨミは僕が不機嫌な理由をあの男に求めた。
「ああ、見たよ。ここでね。昨日の朝」
「そう…だから…」
「ただの自己満足だよ、あんなの…」
「頑張ってやってるのにそんなふうに言ってはダメよ」
「いや、本当は見つかって欲しくなんてないんだ。一生ああやっていられるんだからさ。人って何にでも楽しみを見つけられるもんなんだよ。ヨミ、僕は考えるんだ、大昔の神殿を作るために毎日大きな石を運ばされた奴隷だって、きっと自分なりの工夫をして楽しもうとするんだ。そうしてる時点で、自分の境遇を受け入れてることになるんだから負けだけど。僕達だって知らず知らずの内にそうしてるんだ。これまでやってきたこと、毎日やることをリストにしていちいち思い出して理由をつけてるわけじゃないからね」
「イナギは色々考えているのね」
「ああそうさ。すごいだろ?」
「うん。そうね」
 僕は肘掛においたヨミの白い手に触れた。一瞬ヨミの身体がかすかに硬くなるのが僕には分かった。だから僕はその手を離した。その一番の事実に僕は黙ってしまう。ぐるぐると色んな後悔が頭を回って僕はよけいに歩調を早めた。

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056-作戦会議

2012-11-29 22:10:21 | 伝承軌道上の恋の歌

 街は賑やかだ。あたかもデウ・エクス・マキーナの最大級のイベント『管理‐kanri‐』の前夜祭。すごい。日もかわろうというのに昼間並みの人がいて、その多くがデウ・エクス・マキーナの端末化=コスプレをしてる。本来ならアノンもこの喧騒の真中にいるべきはずだ。ハンチングを目深にかぶったアノンが彼らの誰にも見つからないことを祈りながら僕達は人の波をかき分けていく。
 それはスクランブル交差点にも程近い街の繁華街の裏通りにひっそりとあった。もしここがアノンの言うとおりウケイの診察所なら、彼は雲隠れした後も何度も僕を見ていたはずだ。そして彼の患者だったヨミも。アノンに促されるままに細い路地を連れ立って行くと、ふと物陰でガタッと何かが動いた。思わず足がすくむ。しばらく身じろぎせずに様子を伺っていると切れかけた街灯が点滅したその陰で一人、マキーナ姿の女の子が泥酔の末嘔吐しているのが見えてほっと胸をなでおろす。
「…ここ」
 そう言ってアノンが指さすのは、何の看板も掲げられていない、表に建ちならぶ飲食店の勝手口にしか思えない安っぽいアルミ製のドアだった。アノンはこともなげに入り口に敷いてあるマットをめくって鍵を拾うと、僕達が唖然とする中、平然とドアを開けた。
「…ここがウケイ先生の隠れ家…」
 アキラがつぶやく。こんなすれ違いそうな近くでウケイ先生が隠遁してたことはアキラにとっては裏切りにも思えたかも知れない。
「…すごい」
 そこは外見とは裏腹に狭いながらも最新鋭の医療機器の設備の整った『診療所』だった。思わず息を飲んでしまう。奥にある一段高いベッドとそれを取り囲んでいる様々な機器から察するに手術用のものだろう。そしてそれはどこか僕達が閉じ込められたあの部屋にも似ていた。身を隠しながら闇医者でもして食いつないでいたのかも知れない。


 ウケイ先生の空白の間を埋めるようにくまなく観察する。入り口すぐ左手にあるデスクには山と積まれた書類の間にわずかに開いたスペースには写真立ていくつか並んでいて。往時の父親とその同僚たち、僕とヤエコが写っていた。ふと手にとってたそのひとつには先生の意外な『患者』が写っていた。
「これは…」
 病院らしきベッドに座っているヨミとウケイの二人が笑顔で並んでいた。そしてこのデスクに向かったウケイの視線が自然とむかうであろう場所にあったものは写真立てだ。額に飾られた写真の中でくまのぬいぐるみを抱いているのはまだ三歳かそれくらいの女の子だ。バストアップで女の子が大きく写り込んでいて背景があまりよく分からないが、どうも見覚えがある。そうだ。これは僕達が閉じ込められていたあの部屋だ。そして不機嫌そうにこちらを見つめている少女の首筋にはあの『識別番号』が刻まれていた。判読できるかどうかぎりぎりの大きさだったが僕達はすぐに知ることができる。それが元から知っているものだったから。
「シルシ君、これって…」
「…アノン、アノンだ。アノン、これはお前だ、お前なんだな…?」
 僕はその証拠をつきつけるように写真をアノンの前に差し出した。アノンはただ僕を見てゆっくりとほんの少し短く唇を動かした。『パパ』アノンは確かにそう言った。
「パパ?パパだって?!」
 僕はただその言葉に愕然として、それ以上思考が奥へと進まなかった。ただ認識した言葉を音にしただけ。そんな気分だった。
「ウケイ先生がアノンちゃんのお父さん…?…そうだ!そうだよ。それで分かった」
 アキラは顔の前で小さく手を叩いた。
「アキラ?」
「アノンちゃんはあの研究室で生まれたんだ。それならシルシ君よりあの番号が若いのも説明がつくんじゃない?
シルシ君は物心ついてない頃、多分三歳くらいまでにここに連れてこられた。だからシルシくんより年下のアノンちゃんの方が先にあの研究所にいた。そうだ、そうだよ」
「なるほど…」
「でも、アノンちゃんは献体をさせられた。ウケイ先生の子供なのに?」
「多分、アノンちゃんの母親にある…でもこれ以上は…」 
 そうか。アノンの母親がレシピエントだったんだ。しかしウケイはレシピエントとして連れてこられた女性と結ばれた。できればずっと秘密にしておきたかっただろう。しかし、それはきっとうまく行かなかった…僕が救われたようには。幼いアノンの写真の隣に寄り添うように並んでいるこの女性が…彼女はどこかアノンにその面影を映しながらも儚げで悲しい目をしているように僕には思えた。

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055-その後

2012-11-28 22:16:43 | 伝承軌道上の恋の歌

 研究所の外ではすっかり日がくれていた。とにかく逃げなきゃ。タクシーを乗り継いでようやく見慣れた景色に巡り会うと息を切らして僕達はこじんまりとした神社の縁側に並んだ。僕やアキラの自宅ももはや安全とは言えない。途方に暮れて僕は白い息を吐いた。
「アキラ、トトは…?」
 僕は未だ意識の朦朧としたままのアノンを抱えて僕は言う。ウケイに鎮静剤のようなものを打たれたのかも知れない、アノンはまどろみつつ何度か少し意識を戻してはまたぱたと遠のくのを繰り返していた。
「それが何度も電話してるんだけど連絡取れないんだ」
 アキラは携帯の画面を見つめる。
「心配だな。トトには巻き込まれるような理由は何もないのに。しいていえば僕の知り合いってことくらいだが」
 嫌な予感がする。思えば少しでもトトを関わらせるようなことはさけるべきだった。
「…ん、うん…」
 アノンが再び。アノンが目を醒まそうとしてる。
「アノン…」
 僕が少しでも安心させようと額に手を触れて撫でていると、アノンは突然はアノンははっと目を見開いて意識を取り戻してみるみるうちに気を失う寸前の怯えきった表情になる。がたがたと震えだしそして僕に目一杯に抱きつく。無重力の中で身体を保とうと何かにすがるようにあらん限りの力で。
「…うっ…アノン…」
 女の子のものとは思えないあまりの力で息が詰まって苦しくなる。
「…あ、ああ」
 アノンの悲鳴は声にならない。両手で引き剥がそうとするが、硬直状態になってまるで動かない。
「…大丈夫。大丈夫だ」
 どうにか伸ばした手で彼女の背中をやさしくなでてやる。
「僕達は外に出られたんだ。助かった。だからもう大丈夫だ。怖いことは何もない」
 するとアノンはようやく力を抜いて、僕の顔をまるで初めて見た動物みたいに間近で見つめる。でも、それも続かずに今度は許しを乞う子供のように顔を歪めて
「ヨミ、ヨミ…」とかすれた声を喉から振り絞っている
‐ヨミを助けなきゃ
そう僕に伝えてる。
「ああ、分かってる。ヨミを救うんだ。だから安心しろ」
僕はアノンを抱きしめた。ヨミを救わないと…どうにかして彼女を救わないとアノンの命が必ず代償になる。アノンはそれを知って自ら犠牲になろうとした。でも、そうはさせない。なぜかは分からないけど、そうしなければヤエコの死も無駄になるようなそんな気がするんだ。
「アノンちゃん、大丈夫だから、ね?」そう言ってアキラもアノンの頭を撫でる。
「シルシ君、どこに行く?」
「そうだな…」
 しかし、どこに隠れる?僕のアパートはもう帰れない。
「とにかく今は逃げるんだ。できるだけ長く」
 『…一週間。一週間待つんだ』ウケイの言葉が重たい頭の中で頭痛を伴って響いてた。アキラも関わってしまった以上、その身に危険が及ばないとも限らない。それにこの界隈じゃ有名人のアノンを連れて歩きまわるのもまずい。かと言ってどこか遠くに身を隠してしまえばトトの無事を確かめることができなくなる。とにかく少し休めて考えられる時間が欲しい。
「アノン、立てるか?」
 アノンは軽く頷いて縁側から降りると、よろけながらもどうにかその場に立った。
「アキラが買って来てくれた服があるからアキラに手伝ってもらってくれ。僕もしばらく外すから…」
 アキラに目配せして、僕はアノンに背を向けると、不意に袖口が少し引っかかった。振り向くとそこに僕の袖口を片手で摘んでいたアノンがいた。
「アノン、どうした?」
『ウケイ』そうつぶやいている。
「ウケイ?ウケイ先生のところ…いや、しん…さつ、じょ?診察所…を知ってるのか?」
 僕が聞くとアノンがうなづいた。
「…しかし、危なくないのか?やつらに知られてる可能性だって…」
 やつら。僕はウケイ先生に習ってそう呼んだ。でも、アノンは僕を見上げ乞うような目で首を振ってる。
「分かった。とにかく行けばいいんだな…」

…つづき

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054-脱出

2012-11-27 22:49:16 | 伝承軌道上の恋の歌

 それから何時間経ったのかは分からない。やがて目覚めた僕達は眠るヨミの生命維持装置とともに時を過ごした。ここでは遥か高い天井の光が白い壁に反射して影すら落とさない。だから人と物が白くぼやけて見えて思考を留めさせてくれない。今はただヨミのために働く鋼鉄のチューブの這いまわったこの部屋で僕は彼女を忌避するように部屋の隅で膝を抱えた。ちょうど対角線上の向こうで眠るアノン。そしてそのベッドに腰をかけてアノンの様子を見守っているアキラ。ここはアノンの育った場所でもあり、彼女にとっては長い間囚われ続けた監獄のようなものだろう。今はまだ目覚めない方がいいのかも知れない。アキラはアノンの頬に優しく触れる。まるでそこから何かを伝えるように。アノンに落とした眼差しが、僕に不思議なほど落ち着いて見えた。
「なあ、アキラ…?」
 部屋の端と端にいてもお互いに通じるくらいに静かで、声が響く。
「ん?」
「思い出した。先生は僕が気を失う前にこう言ったんだ。『ここから逃げるんだ』と」
「…良かった。ウケイ先生はしかたなくこうしただけなんだ…」
「しかし…どうやって逃げれば」
 できることは全てやった。
 しびれてふるえる両手とうっ血した拳がこれまでの徒労を物語っている。
「ねえ、シルシ君、事故の時の女の子のこと聞いていい?」
 アキラは視線をアノンに落としたまま僕に聞いた。ウケイ先生は言葉を濁したが、その答えはもはや明らかだ。アキラはただそれを僕に言わせたがっている。
「…彼女は…マキはヤエコの臓器提供者=レシピエントの女の子だったんだ。かつての僕やアノンたちと同じ、な」
 するとアキラは僕の方に向き直る。
「その子がなんであのスクランブル交差点にいたんだろ?」
「…そんなこと今はどうだっていいだろう?」
 僕にはアキラの試すような問いかけも落ち着き払った態度も気に食わない。
「いいから考えて」
「…それは自分の命が危ないと知ってここから脱出したからに決まってる」
「そう。それだよ!ウケイ先生はそれを言ったんだよ」
「しかし、何の手がかりも…」
 思いつくことは全部やった。アキラだって見てたはずだ。
「ウケイ先生を信じるの。その女の子、マキができたことが今ボクたちにもできるんだ。そしてシルシくんやアノンちゃんと彼女には同じ所があるんだよ」
「僕達の境遇は似てる…のはさっき言った通りだ。でもそれがどうしたっていうんだ?」
「ううん、似てるじゃなくて同じ」
「どう表現しようが違いはないさ」
「違うの、シルシくん。同じ」
「ああ、確かにそうさ。だからなんだって言うんだ。それがそんなに重要か?」
 僕は思わず声を荒らげる。なのに、アキラは優しく微笑んでこういった。
「今ここに彼女そのものがあるんだ。マキはまだ生きてる。誰かの身体を借りて…」

…つづき

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