都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

淡路町交差点そば

2007-04-25 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2007) No.7 千代田区神田淡路町1-2付近

簡単に分かりそうだが、最初はさっぱり分からなかった場所。

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.1.28(マウスオン

 「宛名印刷機 アベアドレス」という看板が大きく掲げてあるので、ちょっと探せば見つかるだろうとタカをくくったのだが、これが大間違い。
 実は、私はこの建物を今まで全く見たことがなく、写真で見るのも初めてだった。それでも都心の建物やお店なら、ネットで検索すればすぐに見つかると思った。ところが、現在の千代田区内にアベアドレスは無かった。住宅地図を眺めてもなさそう。

 予想が外れて、いきなり手掛かりを失い、途方に暮れてしまう。仕方がないので、画像を拡大して、手掛かりを懸命に探してみると、電柱に取り付けられた看板に「かんだ やぶそば →この先」とあるのを発見。となると、やはり藪蕎麦の近くで、片側2車線以上の交通量の多い通りで、角が鈍角ないしは面が取られている交差点、ということになる。しかしこれだけでは場所特定の決め手にはならない。

「かんだ やぶそば」の電柱広告と3階建て看板建築

 参ったなぁ、迷宮入りかと思い、がっかりしつつ、ふと左端の3階建て看板建築を見た時、あれ、どこかで見たことあるなぁ、変だなーと、ぼんやりした記憶が・・・。でもこんな看板建築を神田界隈で見たことは無いし、写真集かなんかで見たのかなぁ?、おかしいなぁ・・・、というわけで必死に思い出してみる。

 しばらく脳内を検索して出てきた答えは、小金井の江戸東京たてもの園で見た、という記憶だった。3階の窓の両側に付く、楕円形の飾りが記憶の片隅に埋め込まれていて、神経衰弱ゲームよろしく、図像が重なったというわけ。移築後の様子しか見ておらず、元の場所では見ていなかったので、最初は全然わからなかった。どうりでなかなか思い出せなかったわけだ。

花市生花店(江戸東京たてもの園移築後の様子)
旧所在地:千代田区神田淡路町1-2
建設年:1927(昭和2)
Photo 2002.1.14

 早速、江戸東京たてもの園のHPなどで旧所在地を確認して、淡路町の現場へ行ってみる。さてはて、現地には昔の面影は全くなかった。3棟の建物は1つの大きな建物に置き換わっていた。鈍角の角地部分はカーブした壁面になっていた。アベアドレスも当然ない。
 ただ、電柱はまだ立っていた。電線の張り方は変わったが、やぶそばの看板も健在。もちろん電柱も看板も新しいものに交換されたりしたのだろうが、やぶそば看板の案内矢印は全然変わっていなかった。
 手前の交通量の多い通りは、外堀通りだった。車がたくさん止まって写っているのは、淡路町の交差点で引っかかっていたから。このへんの状況は現在も変わっていなかった。

 スライドからまだ見ぬ場所を探し出す作業は、推理ゲームのようで楽しい。始めるとやみつきになる。

 ところで、最近になって、広尾にある都立中央図書館で、古い住宅地図を閲覧したところ、確かに神田淡路町1丁目に「アベアドレス」が掲載されていた。隣の出桁造りは、志のだ寿司の建物(反対側に移転して仕舞屋?)だった。古い住宅地図を見れば、比較的簡単に場所が分かったのかもしれないが、敢えて写真と記憶を頼りに探すのも一つの楽しみ方。

ぼくの近代建築コレクションアベアドレス/神田淡路町1丁目
#東京新旧写真比較 千代田区 #失われた建物 千代田区 
#古い建物 都下 #移築保存 

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東上野・噺家長屋 | トップ | 中野四十五番街 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Minera)
2007-04-27 14:45:14
よくぞ左端の建物でひもとくことができましたね!
古い住宅地図より、このように一手、一手進めていくのは本当に楽しそうです。
私も昔の写真から、一体ここはどこなのかと考えるのが大好きです。
都電の昔の写真なんか結構楽しいですね。
淡路町付近にはこのような建物が多かったですね。
私の自宅の谷中、根津の最近、古い長屋がよく壊されてもったいないなあと思っております。
森田電機店は一応住宅ですが、マッチ箱のような簡単な家のような感じです。
でも、いつも雨戸が閉まっているのです。
いつの時代になっても森田電機店は謎だらけです~。
返信する
ゲーム (asabata)
2007-04-28 23:16:36
この界隈の昔の様子を良くご存知の方などには、すぐに判ってしまうのでしょうから、本当に自己満足的なひとり遊びなんですけどね。
古い街並みを写した写真集などを見るときの、一つの楽しみ方なのかなぁとは思います。
谷中も根津も、バブルの頃と変わらないか、それ以上のペースで古い建物が無くなっていきますね。
Blog拝見いたしました。茶道などをするときには部屋だけでなく、建物全体が和風な方が、やはりしっくり来るのでしょうね。
返信する
Unknown (御光堂(pulin))
2012-03-18 15:19:24
こんにちは。

自分もかつてこの建物の写真を撮ったことがあって、場所が分からなくなってしまって、周囲の様子などから調べてようやく判明したことがありました。

先にこちらのサイトにたどり着いていたら一発で分ったわけです。
返信する
Unknown (asabata)
2012-03-22 15:57:34
御光堂(pulin)様
この写真の一角はかなり変わってしまっていて、忘れてしまったり知らないと、場所が全く分かりませんね。電柱の「やぶそば」看板から同じように見当を付けておられるのを拝見し、とても共感しました。
他にもいろいろ建物写真などをお撮りになって居られる御様子、じっくり拝見させて頂こうと思います。
返信する

コメントを投稿