日本最古の道祖神がある福寿草の里信州沢底  60数年前のセピア色した田舎暮らし 週末田舎暮らしを体験してみませんか?

さわそこ里山資源を活用する会は、間伐されて放置されている木材を簡易製材機で製材し、小屋の材料、看板等に利用しています。

遂に、狸になってしまいました。

2016年07月27日 13時02分29秒 | 練習

農地水環境を守る会では、電気柵下と三叉路の草刈りを行いました。蔓が絡まり、茅が延びて何時もより時間が掛かりました。

夏休み、お盆前に綺麗になりました。

なないろ畑の昔話 「狐御殿」

昔々、相模国の中央林間というところで化学肥料や農薬を使わずに美味しい野菜を育てていた狸がおりました。あるとき愚かで欲深い人間たちが作った原子力発電所が爆発して、死の灰があちこちに飛んできました。狸の畑にも死の灰が飛んできて、「こりゃ、もうだめだ」と思いました。近在の米ぬかや、薪も死の灰で汚れてしまい、遠くまできれいなモノを探しに行くことになりました。死の灰は千五百メートルの空の高いところを流れたようでした。雨が降って死の灰が落ちたところは大変危険な場所になりました。それでも3千メートルの南アルプスの山々は死の灰の雲の流れを遮ったのでした。狸はきれいな米ぬかや薪を買いに南アルプスの向こう側にある伊那谷まで行くことにしました。月に1回か2回、伊那谷まで旅をしては、米ぬかや薪を買って相模国まで運んでいました。朝早く相模国を出て、夜遅くに戻ってきました。伊那谷の沢底という村には、椎茸の原木を売ってくれたり、米ぬかを売ってくれる人を紹介したりしてくれる、親切な古狸が住んでいました。荒れ果てた田んぼを昔のように綺麗にしたり、手入れの悪い藪を刈り払ったり、山に放り出された間伐材を薪にしたりして、田舎を住みやすい場所に変えようとしていました。狸もそれは良い考えだと思いました。ここはまた、農薬で汚染されていない水が湧き出ていて、この綺麗な水でお米を育てることが出来ました。狸は「僕もここでお米を育ててみよう」と思い、古狸に頼んで田んぼをやることにしました。美味しくて安全な米が欲しい相模国の人々もそれを聞きつけて、狸に付いて伊那谷に米作りに来るようになりました。相模国からはるばる旅をしてくるので、とても疲れました。毎回宿屋に泊まるのは大きな出費でしたし、田んぼ仕事の合間に休憩する場所も欲しかったので、空き家を借りようと探しました。伊那谷は、都会に移り住んで人が減り、たくさんの空き家がありました。でも、なかなか家を貸してくれる人はおりませんでした。あるとき隣の村に住んでいるかま猫が「小野という村におもしろい食べ物屋さんがあるから行ってみな」と狸に言いました。かま猫というのは猫なのですが、暖かいかまどの中に寝るので、いつも灰をかぶっている汚い猫です。元々は三毛猫とか鯖猫とかなのでしょうが、灰をかぶっているので、元は何猫かは、よく分かりません。こういうかまどに寝ている汚い猫を「かま猫」と呼んでいるのです。猫の仲間うちでは汚いのでとても馬鹿にされいるようです。隣村のかま猫は、「ネパールやチベットの山奥で暮らしていたとても風変わりだけどおもしろい人が食堂をやっているから行ってみな!」と狸に言いました。狸はそれは面白いと思って行くことにしました。とても古い宿場町があって、その中の一軒が「こめはなや」という食堂でした。狸はこの古い宿場町に来たとき「ピン」という感じを体の中で感じていました。ここには何かがある!と言うような直感のようなモノでした。しばらくして、秋になって稲刈りも終わった頃、古狸の知り合いの人が「町役場に新しく移住定住促進室が出来たから、そこに行けば空き家があるかも知れない」と教えてくれました。それは良いことを聞いたと狸は喜んで町役場に行きました。すると思いがけないことに、例のかま猫が教えてくれた古い宿場町のはずれに、一軒の古民家が売りに出ていました。町役場の人に連れられて見に行くと、150年以上前から建っているという古いけれど綺麗に手入れの行き届いた古民家でした。ここに一人で住んでいたおばあさんは書道が上手で花を育てるのが大好きな綺麗好きなおばあさんでした。ですからとても綺麗な手入れの行き届いた古民家でした。3年前にこの年老いたおばあさんは相模国の息子のところに引き取られていき、空き家になったそうです。蔵も付いています。味噌蔵も脇にあります。外便所もあります。沢底の古狸の話では、田舎の家の中から最初に姿を消したのは、味噌蔵と外便所だと言うことです。でもこの古民家にはその味噌蔵と外便所が残っていました。この古民家の持ち主は、田舎の付き合いが面倒くさいし、使う当てのない古民家をそのままにしても維持が大変だし、いっその事、取り壊して更地にして売ってしまいたいと考えていました。そんなところに相模国から狸が来たので、「このままの状態で古民家を買ってくれるなら、解体する費用分ぐらいで売っても良いよ」と狸に言いました。こんな良い古民家を壊すのは勿体ないと思った狸はすぐに買うことにしました。でもお金がありません。狸は野菜を育てていましたが、ほとんど食べていくのも苦しい貧乏な農場でしたので、古民家を買うほどのまとまったお金がありませんでした。買うとは言ったけれど、お金が無くて困っていました。そうこうするうちに、その年も暮れて正月を迎えました。正月は農場には狸しかおりません。いつも賑やかな農場ですが、正月ばかりは静かなのです。毎年正月は狸がひとりで出荷場の改装工事をやるのが恒例になっていました。トントン、トントン、大工仕事をしていると、電話が鳴りました。こんな正月に誰から電話なのかな?と思いました。電話の主は横浜の助産士さんでした。狸はお話を聞いているうちに頭がクラクラしてきました。ものすごい大金を寄付して下さるという申し出でした。何という奇跡なのでしょうか。ともあれ、狸はこの寄付金で古民家と山林田畑を買うことが出来ました。狸は畑の神様に感謝しました。愚かで欲深い一握りの人間ために、多くの普通の人や普通の生き物たちが苦しんでいます。世界中で酷いことが起きています。毎日たくさんの命が戦争で失われ飢餓に苦しんでいます。こうした世の中がいつまでも続く訳がありません。狸は、畑に、もし神様がいるとすれば、それをお許しなるはずはありませんし、酷い世の中の流れに抗し清浄な世の中を作ろうとする者に必ず力を与えてくると信じていました。

狸は老後は古民家を「狸御殿」と呼んで、のんびり、ゆる―く、暮らしていこうと思っていました。いまのところ狸は畑仕事で忙しいので、肝っ玉かーさんが、古民家の管理人をすることになりました。肝っ玉かーさんは年老いて病気なった飼い犬を連れて、古民家で暮らし始めました。しばらくすると肝っ玉かーさんから電話が掛かりました。古民家の床下に狐の一家が住んでいるというのです。老犬が追いかけても機敏な狐はモノともせずに、古民家の床下に潜って暮らしているそうです。時々老犬の餌も食べて食糧事情が大幅に改善されたようです。 

「ああ、この宿場町に来て『ピン』と感じたのは、この狐一家の霊力だったのか・・・。」とこのとき狸は気がつきました。狐は自分たちのすみかである古民家が解体されそうになっていたので、狐の霊力を使って、ノコノコと出かけてきた狸を操って、この古民家を狸に買わせたのでした。狐御殿を守る事にも成功して、犬の餌もいつも有るし、狐にとってはめでたしめでたしのお話でした。

その後、狐は狸に恩返しをすることになりますが、この話はまたの機会にすることにします。(「狐の恩返し」に続く)

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