荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

猿飛佐助の像

2024年06月16日 | 散文

私も含めて、先輩の方々は皆さん知っていると思います。

「猿飛佐助」の像です。

設置場所はJR今治駅の東口の前です。

説明碑が有ります。「猿飛佐助と山田阿鉄 明治・大正時代、空前のブームとなった大衆娯楽小説『立川文庫』の原作者は、今治市出身の山田一族である。そして、その執筆の中心として活躍したのが、山田阿鉄である。 立川文庫は明治44年から約13年間に196巻出版されたが、どれも人々の心をとらえ、爆発的な売れ行きであった。中でも、大正3年に発売された第40巻『忍者名人猿飛佐助』は大ベストセラーとなった。ここに、忍者といえば猿飛佐助といわれるほどのスーパースターが誕生したのである。その猿飛佐助は、真田十勇士とともに映画やドラマ、漫画などに次々と登場し、後世の文壇にも多大な影響を及ぼしている。 

日本全国、猿飛佐助を知らない人はいないといってもよいだろう。時代を越えて人々の心の中に生き続け、これからも語り継がれていくことだろう。 この偉業を成し遂げた山田阿鉄の遺骨は、今治市の観音禅寺に静かに眠っている。」

雲に乗って大活躍する佐助像です。

ここは「瀬戸内バス」の停留所です。

今日私が利用するバスです。なんと、最終便は20時です。東京の繁華街だったら宵の口、これから盛り上がる時間であり、サラリーマンだったら仕事が終わって1軒目に入る時間です。

5時半に落ち合って、ちょっと物足りない状態でお開きにしました。タクシー代が3000円を超える場所に住んで居る私です。バスだと480円です。現役時代はタクシーでの移動だったけど、年金生活です。で、乗った最終便車内です。

田舎の人は仕事でも遊びでも自家用車を使います。従って利用者の少ないバス便ですが、数人の外国人旅行者を含めて20人くらいの乗客がありました。

予告:後日、「猿飛佐助」の作者「山田阿鉄」の墓所を訪ねました。


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