荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

3.11を忘れてはならない-1

2018年03月11日 | 散文
あれから7年になります。
あの衝撃を忘れないよう改めて投稿します。
当時の気持ちをそのままに、原文のまま報告します。

東日本大震災が発生してから3カ月になろうとしている。TVのニュース映像や新聞の報道写真を見るたびに胸が痛み、現場を見たいと思うようになった。惨状を目に焼き付けて、後世に語り継ぐ事が被災しなかった者の義務だと思うようになった。
一方、よそ者なんかが軽々しく行って良いものだろうか、とも思う。「何もできないのに、迷惑なだけだよ」と内なる声もする。そんな葛藤を繰り返して行動に移せないまま、時間が過ぎていく。
焦りと躊躇がない交ぜになった自分の気持を、九州地方梅雨入り宣言が整理した。
梅雨になると彼の地はもっと大変になる。今のうちに行かなければ機会を逃してしまう、と決心した。
トレンタ太くん(鉄道とレンタカーがセットになった切符)を利用して出掛けた。人生観が変わるかも知れないと思いながら。

【南三陸町】
東北は初夏である。キラキラと輝く太陽を反射して色々なみどりが濃淡織りなして光る新緑の山道は、観光地を走っているようである。山の下りで視界が開けたと思ったら、突然被災地が現れた。
そこは修羅の場であり鎮魂の地である。

白い雲の下には何にも無い。誰も居ない。




この場所に立ったら、次から次に涙が出てきて、膝が震えて動けなくなった。
可哀想で、気の毒で・・・。


手で口を押さえて、歯を食いしばって嗚咽を堪える。


南三陸町防災センターが見える。ここの2階から防災無線で住民に避難を呼び掛け続け、津波で亡くなった女性従業員が居た事を私は忘れない。


最後まで落ち着いた声でした。「津波が発生しています。高台に避難してください」


普段はこんなに綺麗で穏やかな海なのに・・・。
毎日遺体が上がると云う・・・。


海岸近くのマンションに瓦礫が乗っかっている。


何もかも津波が持って行ってしまった。


海はずっと向こうである。




丘の上の南三陸町立志津川中学校にある避難所。
さすがに気の毒でここは見に行けない。


公立志津川病院。
ここでも多くの人が亡くなった。
苦しかったでしょう?・・・合掌。


仮設のセールスルームを作って営業を再開していた。
東北の人は粘り強いと云うけど・・・、凄いよ。


JR気仙沼線。
線路は使わないとすぐに錆びる。
赤茶けて真っ直ぐ伸びた平行線が痛々しい。


志津川小学校の子供たちの茶目っ気に、いっとき心が和む。
家族だけでなく友達も多く亡くしたのに・・・。君たち強いね。
健気さに泣いてしまう。


この話、続きます。
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