「呑んべ横丁」解体工事に大きな変化はありません。
その工事フェンスにこんな案内書きが有りました。なるほど、「立石」の地名の興りみたいです。行ってみましょう。
駅前からすぐ近くです。やって来ました。小さな公園です。
隣に「立石宮元町会会館」が在ります。立石の祭祀の中心地だったのでしょうね。
さて、あれのようです。
先ず、説明書を読みます。
コンクリートで囲われています。見に行きます。
鳥居の先から見ます。
しゃがんでじっくり見ます。周りの土を取り除いて露出させているように見えます。説明書にありますが、色んな人が、随分削り取ったのですね。
その奥に拝殿(?)が有りました。
裏です。「立石」姓を付けた一族が居たんですね。庄屋でしょうか?
小さな公園の全体を眺めます。
囲いの裏にも補修の記載が有りました。大切にされていたようです。
「立石」の由来を納得しました。
立石氏とは、平家の武士の名前だと聞いたことがあります。源氏との戦いに敗れ、各地で隠れ住んだそうで、千葉県にも子孫である立石氏がおられます。
聞きかじりなので、真偽の程は分かりませんが・・
平家の一族ですか⁉
石器時代からこの石が有ったそうですから、この界隈に領地を得て、名乗ったのかもしれませんね?