荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

小塚原刑場跡へ行く-1

2016年07月09日 | 散文
先ずは小塚原刑場の説明書をお読みください。


刑場の地は、現在の延命寺と回向院二寺に及んでいました。
「延命寺」
小塚原の刑場は明治初期に廃止され、跡地にこの寺が建てられました。
これは「首切地蔵」と呼ばれており、少し場所は移動したものの、江戸時代から多くの処刑を見て来た地蔵です。




ちなみに、東日本大震災時に左腕が落下しましが、大勢の寄付により復旧しています。


首切地蔵の膝元から見た景色です。
墓地の上には日比谷線{東部スカイツリーライン(旧東部伊勢崎線)乗り入れ}の鉄橋があります。

一時期同線で通勤していました。
知らぬままに毎日小塚原刑場跡を往復していたんですね・・・。

そんな位置関係を確認して回向院に移動します。
「回向院」
先ず、葵の御紋が目に入りました。

刑場は幕府の公的施設なので紋があるのだと思います。

門の向こうに真夏日の太陽に照らし出された墓地が見えます。




門を入ると右側の壁に日本医史学会等による「蘭学を生んだ解体の記念に」碑があります。


杉田玄白らが腑分けを見学し、蘭書「ターヘル・アナトミア」の解剖図の正確さに驚嘆して「解体新書」を書き上げるに至った、蘭学発祥の地ともいう場所です。
解体新書をモチーフにした記念碑です。


奥に墓地があります。
史蹟エリアへ行きます。




史蹟エリアは二つに分かれています。
左の奥にある黒いお墓に向かいます。


一番手前には二・二六事件を計画指揮した磯部浅一と妻登美子のお墓があります。

彼は昭和の処刑者ですから、ここに居るのはちょっと違和感があります。

真夏日の日差しで陰影が濃いお墓の列を進んで行きます。


正面にあるのが吉田松陰のお墓です。


松陰の手前右で、同じく安政の大獄で処刑された頼三樹三郎のお墓が眩しげです。


右手のお墓群に行きます。
この一角の一番右に、特徴あるお墓は、腕の喜三郎です。
江戸時代の侠客で、乱暴者であったが喧嘩をしない証に自ら腕を切り落とすという男気があった人物です。
歌舞伎や映画の主人公にもなった人気者です。
二番目の、花が供えられているのは毒婦と言われた高橋お伝のお墓です。
ここ小塚原で最後に処刑された女囚です。

彼女のお墓は上野の谷中霊園に、川上音二郎の隣にもあります。
三番目は、鼠小僧のお墓です。
彼のお墓は両国回向院にもあります。
みんなここで処刑されたので、本当の遺骸はみんなここにあるものと思います。

右手の奥を進むと、「景岳橋本君碑」があります。


そしてその奥に、ひと際立派なお墓があります。
屋根付きです。
安政の大獄で処刑された橋本佐内のお墓です。

・・・ここ史蹟エリアに在るのは、有名無名みんな処刑された人です。
そして、この墓石の何十倍の人がここで処刑されたのです。

・・・一般墓地区の向こうにJR常磐線が走っています。

小塚原刑場跡はこんな立地にあります。
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