毎年、糸瓜忌は根岸の子規庵を訪問します。
えっ!? 門が閉まっています! 途中小雨に降られてもやって来たのに・・・
門の戸に貼り紙がありました。そうです、コロナ禍を承知で来ました。いくらコロナ禍でも糸瓜忌は開庵しているだろうと考えていました。ガッカリです。
隣のアパートの外階段から眺めますが、成す術はありませんません。
隣家の玄関口の壁です。
子規の句があります。椎の実と、隣に住む恩人陸羯南の子供の句です。
説明書きも貼られています。
ちょっと歩きます。この家にも子規の句があります。
「垣低し春傘通る春の雨」、「冬こもる人の多さよ上根岸」
路地の先に子規庵が見えます。隣りにラブホテル・リオンが在ります。子規庵周辺は有名なラブホテル街です。
リオンの前の家にも句があります。
「古澤や家居の中に水鶏鳴く」、「蛙鳴く水や上野の台の下」
説明書きも貼られています。正岡子規が住んだ時代の界隈の様子が窺えます。
台の上を見ます。ラブホテルのコンクリートの向こうの土手にJRの線路が走っていて、その向こうが上野台地です。
子規庵に戻ります。
118年前の今日(19日)の11時ころ正岡子規は亡くなりました。
今日は子規の机に座って彼を偲びながら、糸瓜棚越しに、鶏頭や曼珠沙華や萩など「ゴテゴテと植し」庭を眺めたかったです。
子規は朱い花が好きでした。
命日です。「子規も来て朱花咲きたり糸瓜忌に」 荒川三歩 才能無し!
それにしても壮絶な35年の人生でした。正岡子規は。
いつかは行きたいというか去年、友達と漱石や子規を訪ねて東京に行くつもりをしてたんですが・・・
双方の夫が病気・入院・手術となり行けなくなり、そして今年はコロナ~
いつになったら東京へ行けるのかなあって思ってます。(以前はよく遊びに行ってたのですが)
子規庵、いいですねえ。
ここにもコロナの影響が!
兵庫県伊丹市に正岡子規の後を継いだ養子のおうちがあって、私の高校の近くだったんです。学校の帰りに見に行ったりしてました。
友達はそこのおうちで、ピアノを習っていましたよ~
作った俳句もさることながら、貫いた人生も見事だと思います。
妹律が養子に取った正岡家の子孫は伊丹にも居たんですか!
しかも、俳句ではなくてピアノを教えていたとは面白いですね。
武庫之荘に住んでいたことがあって、そのころ知っていれば嬉しかったでしょうに・・・
ピアノの先生をされていたのは、そのどちらかの奥様で海外生活も経験していたのか珍しいものがたくさんあって、レッスン終わったらいつも海外のお菓子をくださってたとか。
もう随分昔ですよね。私が高校生の頃は50年近く前になりますし。
木造の渋いお宅でしたよ。ちゃんと「正岡」って表札がかかっていて感激した思い出が。
武庫荘にお住まいだったのですか?
実家は伊丹市ですが、武庫荘も近くて電車はいつも阪急塚口駅を利用していました。
塚口駅前に「旅館さとう」ってあったのご存じですか?
あそこサトウハチローの弟さんの奥さんがやってた旅館です。
30年くらい前はあったかなあ。今は居酒屋かコンビニになってます。
そうなんですか。やっぱり芸術に才能がある一族なんですね。
塚口に旅館が在ったのは知りません。伊丹には映画を観に行っていました。武庫之荘は文教地区なので遊び場がありませんでした。
武庫之荘に居たのはもう40年位のことです。懐かしです。あれから一度も行ったことがありません。