荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「桜井の史跡と伝説」-8/大仏開眼式{桜井郷の民の絁(あしぎぬ)}・東大寺

2017年07月16日 | 散文


8.大仏開眼式{桜井郷の民の絁(あしぎぬ)}・東大寺
天平勝宝4年(752)4月9日、東大寺の大仏開眼式が行われ、聖武天皇、考謙天皇行幸のもとに請僧一万と云われました。
この式典の楽人の衣装に桜井郷の民の絁が使用されました。落慶式の調度はすべて正倉院に納められ、本日まで保存されています。
大正十四年の正倉院曝涼に故山本信哉博士は図らずしも大仏開眼供養に奉仕した楽人の装束の袖裏のほころびから下の文字を発見した。
「天平十八年九月、伊予国越智郡桜井郷戸主葛木部龍、調絁六丈」と書かれ、伊予国印、越智郡印が押されています。
桜井郷の民、葛木部龍の家族の手織の絁が、調として納められ、それが今日までその名と共に残っているということ、当時国分寺が造営されつつある伊予国桜井郷の民の貢が、国分寺総元締である東大寺の大仏開眼式に使用されたという、不思議な恩縁といえる。


<筆者>
調査していたらこんなブログに出会いました。
こちらでは「石井郷」と記載されています。
どちらが正しいのでしょうか?

絁についてはこちら
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徳川家宣胞衣(えな)塚

2017年07月16日 | 散文
根津神社は6代将軍家宣の生地です。
境内に胎盤等を埋めた胞衣塚があります。
家宣が江戸城に入った後、叔父5代将軍綱吉はここに家宣の産土神である根津神社を移し、壮麗華麗なる社殿を建てたのです。


この季節のこの時間は夏の陽射しが朱門を鮮やかに映します。






この朱門が開けた場所に胞衣塚があります。




こんなにじっくり拝見したのは初めてです。
朱門と相まって、夏の陽射しが作った影が厳か感を醸します。


朱門行くと、乙女稲荷に繋がります。


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