荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

なぐさみー1

2014年03月22日 | 散文
<なぐさみ1~4>

田舎で少年時代を過ごした。
そこでは子供達だけで営む幾つかの行事があった。
その行事を遂行するなかで、組織内での行動の仕方や弱い者年下の者に対する労りや庇う事などを自然と学んだのだろう。
各種行事のひとつに、「なぐさみ」と言うものがあった。
今はもう行われていない子供達だけで営む行事のひとつで、4月の初めの2日間、日帰りで弁当を持って、山に登って過ごすのである。

春休みになったらその準備をする。
数種類の色粉(いろこ・食紅)と半紙を買って来て絵を描くのである。家の畳を汚して母に叱られながら・・・。
それをその辺で切って来た細い竹に張り付けて、旗を沢山作って「なぐさみ」の陣地を飾るのである。
山合いの谷毎に夫々歴代受け継がれた子供達の陣地があって、その飾り付けを競うのである。
小旗だけでなく、ちゃんとした大きな布製の旗が代々伝えられていて、長い竹竿に付けて山にある陣地に建てるのである。
竹竿には、掲揚の為の滑車も付けている。

周りの陣地は日章旗であるが、我が「岡の谷」は旭日旗である。
陣地は地区のほぼ中央にあって、その雄姿はとてもカッコ良かったのであるが、子供にとってその竹は大変重くて陣地(我々の陣地は山の頂上にあった)まで運ぶのが大変であった。
勿論、「なぐさみ」が終わると持って帰るのである。
そして何より大事なのは、他の陣地より早く隊旗を掲揚する事であり、早朝に懐中電灯と旗を持って山を登るのである(旗竿の竹は前日に運び上げてある)。

その陣地でお弁当を食べたり、相撲を取ったり、「滑り山」の崖を滑り降りたり、隣の陣地へ遊びに行ったり、時には隣の陣地と戦争ごっこをしたりと早朝から暗くなるまで遊ぶのである。
その行事は中学校を卒業すると参加資格が無くなった。


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なぐさみー2

2014年03月22日 | 散文
そんな思い出に浸りながら、50年近く経った今日、「なぐさみ」の陣地に行ってみた。
先ず裏山に向かったが、松が枯れて梅が枯れて桐が枯れて桑の木が枯れて、段々畑も全て竹藪になっており登る道が無い。
竹藪には、猪がまだ土から出ていない筍を掘り出した跡が沢山あった。

持って行った鉈で藪を切り開きながら、記憶を頼りによろよろと進んでいく。
幸い途中から電力会社が高圧電線の管理の為に作った山道に出逢ったので、出発前の覚悟程厳しくはなかったが、なにぶん50年の歳月は簡単に息を弾ませ顎を上げさせ足を怠くさせる。
そんな苦労をしながら、小一時間で陣地に到着した。

絶景である。
しかし陣地は変わり果てていた。
子供の頃弁当を食べたり相撲を取ったりしていた場所が随分狭い。
これは、私が大きくなったのであろう。
何より松くい虫の被害が酷く、松が無くなって杉が増えており、植生が変わっていた。

・・・一番思い出に残っている木が松くい虫にやられて芯だけで立っていた。
この松の木の左の枝が大きく水平に張り出して、さらに枝が絡み合って、一畳程のベッドのようになっていたのである。
そこで過ごす気持ちの良さは我が陣地の最大の魅力であり、他の陣地に対する自慢であった。

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なぐさみー3

2014年03月22日 | 散文
幹の下の方に、登り易くする為に打ち付けた釘が残っている。

思い出した!
春休みになると直ぐに、毎日ここに通って、家から釘や金槌やスコップや鋸や鍬や、役立ちそうなのも全部を持って来て、陣地を広げるべく木を伐り崖を崩して、その整備をしていたのだ。

よくぞこの木が残って呉れていたものである。

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なぐさみー4

2014年03月22日 | 散文
張り出してベッドのようになっていた枝には50年近く前の鉈の跡が残っている。
ガキ大将だった私が付けた傷が多いと思う。

指でなぞったら、じんと来て泣いてしまいそう。

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