ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

晴れのち雨になるようだ

2012-04-25 21:11:08 | 日記
 今日も朝は晴れているが、午後からは結構暑く感じるようになってきた。

 通りを歩く人の中には半袖の人もチラホラ見えている。

 昨日に続き今日も特に予定はないから、いつもと同じように朝ゆっくりしてコーヒーを飲みながら、PCに向かいメールとカレンダーをチェックする。

 昨日洗濯したから今日はパスし、ゲームにしばし興じている。

 その後は「エクセル初級入門」のテキストを開き、付属のCD-ROMと付き合わせながら進めていく。

 基本的なことは段々分かって来たが、それでも時折、手順がどうだったかなと思う場面もあるので未だ未だであることを実感する。

 今後も少しづつでもいいから継続して行くことにしたいものである。

 それはそうと最近、昼間の気温が結構高くなって来たようで、特に午後時頃になると中距離を歩けば結構汗が出てくるようになっている。

 だから歩くにも出来るだけ建物の影を利用しながら歩くことにしている。

 こういった季節の変わり目には温度差があって風邪をひいている人やマスクをしている人をちょくちょく見かけるが、マスクをかけているのはおそらく花粉症であろう。

 幸い私は花粉症には縁が無いから親に感謝しなければならないが、最近初めて花粉症に悩まされているという人もいるので安心はしておれないが、しかし今のところその兆候はないので多分大丈夫でしょう。

 ただ最近体重が若干増えてきているのでカロリーを少し控えめにする必要がある。

 特に今日のように予定が無く、自宅に籠ってPCを触っている時にはカロリー消費が少ない割に食べる量は変わらないから、余計に気を付ける必要があるというものだ。

 ずっと標準体重を維持していたが最近はkg程増えているから黄信号が灯っている。

 これ以上は増やさないようにしないとオザナリにしておればズンズン増えていくことは間違いない。

 最近は食べる量はそんなに変わらないと思うが、予定が無い時に少し飲む量が増えているから気を付けないとダメである。

 というのもお腹回りがcmを越えてメタボ予備軍になっているから、クリアしないようにする必要がある。

 最近の傾向として栄養が良くなってきているからちょっと食べすぎたり、飲み過ぎたりするとテキメンである。

 若い人の間にもかなり肥大してノッシノッシと歩いている人を時たま見かけるようになった。

 自宅に籠ってゲームに嵌まってスナックを食べたり、甘いジュースなどを飲みながらやっていればすぐに太ってくるのは請け合いである。

 それにしても最近はフトメンの人が本当に多くなって来た感じである。

 ところで話は変わるが、昨日ブログに書いた近所の話に繋がる話しである。

 最近、自宅と裏にあったアパートを売り払ってどこかへ行った兄貴さんの話の続きのネタが今日つ増えた。

 というのは午後時を過ぎた頃に銭湯に行くことにしたのである。

 今までだったら、大抵銭湯に行くのは夕方か夜の時頃に行くことが多いが、今日ふと思い立って行くことにしたのである。

 銭湯の脱衣所に入ったトタン、椅子に腰をかけて下着を付けたばかりの人を見た。

 一瞬どこかで見た顔だけど、と考えた。

 エッ!あの兄貴の方がいるじゃない。

 そうだあの兄貴の方だとすぐに思って「この近くに来られたんですか」と話しかけたら、先方も私だと気が付いたようで「いや、少し北の方に歩いたスーパーの近所にいるんだが、人娘があの家に帰らないというもんだから、あの家を残しておく必要もなくなったから売り払って今のところへ移ったんだ」ということであった。

 こんな身近で話したのは今日が初めてだったが、転居してから少し時間も経っているから前にいた時よりも大人しくなった感じである。

 「今の家にも風呂はあるが、こうして昼間ゆっくり遊びに来ているんだ」ということであった。

 私より多分歳ぐらいは上だと思うけどいつも自宅にいる人で、特に何をするでもないようだったから気楽にしているのじゃないかと思うが、却ってそれが体力を弱めることにも繋がっていくのである。

 転居先は近くで知らないところではなくて比較的近所に替わっただけだから、どうってことはないかもしれないが、でも、転居先の人とは顔馴染みはいないだろうから多少は気兼ねをしなきゃならないことになるし、親しい人もいないだろうから家に籠ってテレビでも見てるということになりかねない。

 けれども私とは転居する前に殆んど喋らなかったが、こうして裸の状態になって話し合ったことで先入観も多少和らいだ気がする。

 昨日ブログに書いたことによる引き合わせなのだろうか。

 でも結果的には良かったと思っている。

 結構いい感じのオヤジさんだな、という感じを受けたし、普段しゃべる相手もいないのだろうと思うけど結構自分の方からしゃべってくれた。

 願わくば転居する前からこうであってほしかったなという気がしないでもない。

 夜遅くになって雨の降る音がしだしたが、明日はしっかりと降るようである

エクセル三昧?

2012-04-24 21:27:20 | 日記
 今日もいい天気になり、午後は長袖では暑いぐらいに感じるほどである。

 今日は特に予定がないので殆んど自宅に居座りエクセルを中心に勉強をしていたというとカッコいいけど、時々ゲームをしながら休み休みという感じである。

 ただ、普通の勉強でもそうだが同じ科目をじっとしていると途中でイヤになってくることは経験した人が多いと思うけどどうでしょう。

 ご多分に洩れず私の場合もそうで、興味を持たせてくれる内容ならばそちらに関心が向けられて割と続けられるが、そうでないと眠くなってしまって手も止まり途中で何をしているか分からなくなることがある。

 今このブログを読んでる貴方にはそんな経験はありませんか。

 同じエクセルの勉強ではあるが、午前中は物語式のソフトで、午後からは本のテキストに付属しているCD-ROMでテキストに沿って行なうものをしていたが、やはり物語風に順番にやっていく方が音声も伴うから少しなりとも脳が刺激されるのだろうと思うけど続けやすい感じがする。

 けれどもそれぞれの持ち味があって、一概にどちらがどうだと言えないが、テキスト本の方が安いから一般的にはそちらを使うことが多いかもしれないが、ただ時間が経ってくると眠気を催すことになりやすいものである。

 今日はそんな眠気と戦いながらということならカッコいいけど、戦わずにゲームにすり替えて気分転換をしながらやっていたという感じで、ゲームの方もある程度の時間かけてやっていたというのが本音である。

 マア、出来る時に出来るだけ出来る勉強を続けていくようにしたいものである。

 ところで今日は先日近所の話が途中で尻切れトンボになったので続きを記述したいと思う。

 私が入ってる町会の班に属する家の数は私が退職してこの家に住みだした当初は軒の家があってその内、持ち家が軒であとは借家である。

 持ち家のうち軒はお寺である。

 前回は放送局のオバサンの家の主人、そして、その隣の兄貴さんのことを書いたが、どっちもどっちで要は兄弟そろって我々借家人に対する態度が横柄というか、自分の方から声をかけるということはなく、こちらから言うまで絶対に口を開かなかったが、年ほど前に兄貴の方は自宅の裏にある古いアパートも持っていたので自宅共々、売り払って、そこに住んでいた借家人にも出ていって貰ったようである。

 更地にして別の人が買い取って今は新築して住んでいる。

 アパートを取り潰す前に住んでいた人達がいなくなったので班の戸数も少なくなり、今の班の戸数は軒もない状態で正確には憶えてないが軒である。

 更には町会に入ってない家が軒ある。

 その軒は若い夫婦連れや独身の中年女性などが住んでいる比較的新しく建て替えた軒長屋の階建の借家で家賃が月万円だそうである。

 この軒はすべて町会に入っていない。

 ところで本題に入るけれど、私が自宅にずっと住みだしてすぐに班長が回って来た後、本来なら右隣の大家さんのお母さんに次の班長になって貰う筈だったが、認知症が顕著になって来たし、その息子達はそんなお母さんを置いて車で分程かかるところに住んでいるから、班長の務めが果たせないということで、その次の番になるお寺さんに回ったのである。

 この寺の内情は良く分からないけど時たまソプラノの高い声で歌っている女性がいるようだが詳しい内情は私は知らないが、何か曰くがありそうな感じである。

 その話は別にして、そのお寺の奥さんは私より少し若い人で上品そうな感じである。

 少し前に無くなった義父が町会の連合会長をしていたそうで、私がたまたま他の地区の連合会長とガイドの会の関係でで知り合って色々な地区の連合会長が集まる会でお寺の近くに私が住んでる話をした。

 するとその寺の無くなった住職さんの話になったので、そのことを奥さんに話したら気さくに話してくれ、また、家の近くで自転車に乗って出会ったら挨拶を交わして感じのいい人だなとその時は思っていたのである。

 ところがどっこい食わせ者で例の放送局のオクサンと一緒に町会費を徴収しに私宅に現れたのである。

 ハハーン、人してやって来たということは、自分に気があるのじゃないかとか、男人で住んでるなんて気持ちが悪いと思ったとしか考えられないのである。

 私がどんな生活をしているか、町会費を集金したいが自分人では、気持ち悪いから一緒に来て欲しいと放送局のオバサンに相談して、それじゃ私が一緒に行ってあげるということになったものであろう。

 女という奴はどうしようもないものである。

 相手にどれだけイヤな思いをさせているか考えたことがあるのかと言いたい。

 「アンタはお寺さんの奥さんだろう」と言ってやろうかと思った程である。

 仏に使える身で、人を侮蔑するような行動を取ることを何とも思ってないのかと言いたい。

 ことはそれだけではない。

 その後、回覧板を回す順番を勝手に変えてしまったのである。

 それまで何年もずっと回覧板を廻して来た順番を、である。

 それまでは回覧板を私は隣の大家さんへ廻していたから寺に行く必要がなかったが、認知症で回覧板を回せなくなったので、大家さんをパスしてお寺に持って行かざるを得なかったのである。

 余談だがその大家さんのお母さんはその後しばらくして亡くなった。

 その回覧板を私が寺に持って来ないように放送局のオバサンチに持って行くように回覧板の名前の順番を勝手に変えたのである。

 ブログを読んでる貴方!今迄この日記を読んで、このお寺の奥さんと放送局のオバサンの行動をどう思います。

 人をバカにしてると思いませんか。

 だから私は今、こんな人達とは決別したいと考えています。

 つまりは、町会を脱退しようと考えているのです。

 町会は何のためにあるのかということです。

 平たく言えば、いわば近所同士でお互いに助け合うということでしょ。

 それがこんなことでは何のために町会に入っているのかということになりませんか。

 アチコチでボランティアをしている私をコケにするのもいい加減にしてもらいたいものである。

他区同好会、あそ歩下見歩き&②の店へ

2012-04-23 19:05:05 | 日記
 昨日のリレーウォーク本番では雨にしっかり降られたが、今日は朝からいい天気なのでしばらく出来なかった洗濯に早速取り掛かることにした。

 いつものようにコーヒーでくつろぎながらメールとカレンダーをチェックし、しばらくゲームをする。

 今日は他区同好会の副会長と待ち合わせて月に行なわれる「あそ歩」の下見歩きと今後の会の見通しについて話し合うことにしている。

 以前にもブログに記載したように会長が他府県に転出してからというもの会の運営そのものが停滞したままになっているからである。

 私は他区同好会の役員でも何でもないから、悪い言い方をすればどうでもいいようなものの、長年と言っても会が発足してから未だ今年で年だが、それでも私が退職後の生活をして行く中で大きく変化する前兆になった組織といってもいいのではないだろうか。

 この会に入る迄は退職後、何をするともなく過ごしていたが、たまたま区内の公的な施設で歴史講座があって参加した時に知り合った人物が他区で歴史の会を組織する話しになっているので、もし興味があれば正式に発足したら知らせるから入会したらどうかと誘ってくれたのである。

 その当時は当区ガイドの会は未だ何のカケラもない頃の話である。

 そして他区同好会が発足して何カ月か経った頃に入会をした訳であるが、もちろん他区同好会から見れば私は他所の区の人間であるから、隅っこでおとなしくしていたものであった。

 しかしイザ会に入ってみると、一般会員と、役員達とは何か組織の中で分担というか、役割が全く違うなと感じていたのである。

 そもそもそこら辺からこの会に対して違和感は持っていたのだが、役員の人達が年に回ほど色々な観光地を案内するイベントが行なわれていたが、私はそんな観光地巡りなどをする積りで入ったのではなかったから殆んど参加しなかった。

 その当時の他区の区役所の担当者は割と熱心で他区同好会に区の行事として歴史講座をやったり、区内の名所巡りのウォーキングを当区同好会に依頼したりしてたので私もガイドポイントを勉強して案内をしたものである。

 ところが最近は区役所の担当者が変わってしまって、今の担当者は以前の担当者ほど熱心ではなく、他区同好会には色々と協力を求めてくるものの、あくまで他区同好会を利用する形で都合のイイ時だけ言って来て、当方から頼んだことは置き去りにしているのである。

 そうなってくると、他区同好会としてもどうでもいいやという感じになって来て積極的にやろうという意欲が無くなってしまっているのである。

 会長がいなくなってからはそれが顕著に表れて来たと今日会った副会長から聞いた。

 つまり同好会としては区の要望とは関係なく最初の会の発足時点の同好会に戻ろうかということになっているようである。

 そうなってくると今度は私が考えなければならなくなってくる。

 ガイドと関係のない組織になるのであれば私の意向とは全く違った形になるので私が存在する意味がなくなってくるのである。

 そうなれば私の去就は目に見えているからいつでも退会する準備は出来ている。

 話がのっけから先に行ってしまったので元に戻るが、副会長とは自宅最寄りのJR駅からつ目の駅で時に待ち合わせている。

 というのも月の「あそ歩」はこの駅からのスタートになるからである。

 このコースは世界一、日本一、府県一というものがいくつもあるコースである。

 つ例をあげると先日も紹介したように日本で初めて身体障がい者が作った作品を展示するギャラリーを有名な事業者が作った施設がある。

 それから日本で初めて長屋として国の重要文化財に指定された建物を案内しているコースにもなっている。

 スタートする駅に集合する為に自宅を分頃出て大きな公園を横切った所にある喫茶店にやって来たのは分頃であったが、少し早目に円の日替わりランチを頼み、食事を終えてホットコーヒーを追加したが、料金はプラス円で合計円となる。

 「あそ歩」でこの駅をスタートする時にはいつもこの店の日替わりランチ+コーヒーを利用することにしている。

 この店は昼時になるとタクシーの運ちゃん達がよく集まってくる店で、私が現役で営業の仕事をしている時に掴んだ情報によるとタクシーや長距離トラックなどの運転手が集まってくる店は安くてリーズナブルであるということを知っていたから、退職した今、たまたま通りがかった時にタクシーが多く止まっていたことから入るようになった店である。

 このブログを読んでる人で、時々外食をする時にはこういった情報を頭の隅に置いて、そういう店に出くわしたら度入ってみると多分納得されるでしょう。

 それと昼時に行列が出来ている店もお奨めであるが、その時点では長く待たなければならないから、すぐ店に入るのじゃなく昼時を少し外していくことである。

 今日も集合した駅のすぐ近くに行列が並んでいる店があったので傍によって見たら「さぬきうどん」の店だったが、今日は先程紹介した喫茶店の日替わりランチを食べたばかりだったから、別の機会に行ってみたいと思う。

 ところで駅で副会長と待ち合わせて合流し、一緒に並んでコース通りに歩いて行く。

 途中で女性副会長と合流して喫茶店に行くことにしているということだったので私もお伴することにした。

 待ち合わせ場所は老人センターということだったが、待ち合わせの時間より少し早く着いたが、センター長が応接室を使ってくれということで通されたのでそこに座ってしばらく待つ。

 やがて女性副会長がやって来たので合流し、この地区一帯に多くある長屋を見ながら一緒に歩いて行く。

 そして一通り歩いて回った後に喫茶店に入りしばし休憩しながら会の運営について話し合うが、どうも区役所とは一線を画して区役所の方針にはタッチしない様である。

 その後、人は別れ、私は高速道路の高架に沿って②の店に行くことにした。

 というのも先週の木曜にはボラのメンテナンスがあって行けなかったので木曜担当の女性は月曜日にも出ているということだったから行くことにしたのである。

 店に入るといつもより少なくて人程の客数であった。

 カウンターは人ほど座っていたが、ステージの前の方の長椅子はガラ-ンとしていたのでそちらに座る。

 その内担当の女性が注文を聞きに来たがその時にいうには、「曲は高橋真梨子の曲を歌って下さい」とのことだった。

 どうやら、高橋真梨子のファンの女性が今店に来てカウンターに座っているらしい。

 曲目は別途既に書いていたので曲目に「君の海に」を入れる。

 今日はその後曲入れて合計曲歌ったことになるが、曲目を歌った時点では時を分ほど過ぎていたので店を出る。

 最近は担当の女性が「今度はいつ来られますか」と毎回聞くようになった。

高橋真梨子のファンだという女性は私が来る日を目当てに来てるからということである。

 「今週は来られないけど、来週は未だ予定が分からない」と答えて別れ、いつもこの店に来た時に寄るスーパーへ行き、買物をして帰る。

リレーウォーク④&ダンスクラブ4月度レッスン③

2012-04-22 22:07:25 | 日記
 いよいよ今日はリレーウォーク④の本番当日であるが、朝から雨が降っている。

 月から始まったリレーウォークシリーズも毎月回行なって、今日で第回目になるが初めての雨になった。

 朝早いうちはそんなにキツイ雨ではなかったのでこのぐらいの雨なら大したことが無いとたかをくくっていたが、電車に乗る頃には少しづつ雨量も増えて来た。

 スタッフが集まることになっているのは分なのでそれまでの間に自宅でいつものようにメールとカレンダーのチェックを済ませる。

 その後はコーヒーを飲みながらゲームをしていたが、その後にエクセル入門編を行なう。

 そして自宅を出る前に今日のリレーウォークとその後の夕方時から始まるダンスレッスンに使うシューズなども用意してデイバッグに詰め込む。

 そして自宅を時少し前に出て最寄りのJR駅に向かったが、駅のホームに到着したらすぐに電車が到着した。

 集合が分という中途半端な時間だから昼食を自宅でとるには早すぎるのでリレーウォーク④の出発地点の最寄り駅に到着したら分頃だったので構内食堂でカケソバを食べてから、すぐに集合地点となっている公園に歩いて行く。

 その時点で雨が結構降って来たが、このままこの雨が続かないことを祈るばかりである。

 区民センターでダンスに参加していた女性は第回から最後の回までリレーウォークに申し込んでいるということだった。

 私もリレーウォーク①と③ではそれぞれの区のガイドの会に所属していることから班を先導してガイドポイントを説明して来たが、それ以外の時には担当する区のガイドの会のメンバーが先導するので、その時にはサポーターに入ることになっている。

 従って今日もサポーターに入ることになっているが、班に入ることに決まったので予め昨夕、区民センターのダンス教室で一緒だった女性に「良ければ班に来てください」と電話を入れておいた。

 女性も班に行くとのことだった。

 集合地点にやって来たら本部の文化財研究所の課長学芸員から、先日決めた班が変更になって班に回って欲しいと言われたが「知人が班に来るので…」というと、「それじゃ班で結構です」ということであった。

 何故、班の変更をしようとしたのかその意図までは分からなかったが、班というと番最後の班でいわゆるトリである。

 私は今迄班先導、班サポーター、班先導と班を担当して来たが、班は最後に歩く班なので、言わば受付終り頃に来た客を洗いざらい集めてポイントをガイドすることになるからどれだけの人数になるかはその時になってみないと分からない。

 それより後の班はないので最後の後始末も兼ねている班だから重要ではあるが、先程の知人が班に来るとのことだったので、班にして貰うしかない。

 雨の為客の集合状況もあまり良くない感じでアチコチに客も傘を指しながらバラバラの状態になっているから、班旗を持った私達も班毎に順番に並んで班別に振り分けた用紙を指定をして参加者に渡しているので、班毎に並んで貰うことにした。

 分頃に第班がスタートしたので拍手で送り出す。

 その後、班も同様にしてスタートして行って、いよいよ班の客を呼び入れる番が来た。

 区民ダンス教室で知り合った女性も並んでいる。

 ところが、班の先導者の女性が未だ来ていない。

 客は集まって来ているのに、肝心のガイドポイントの説明をする女性が来ていないということはなんということか、スタッフ全員分に集合ということになっているのに、この区のガイドの会では、このリレーウォークのことについて話し合ってないのだろうか。

 あまりにも無責任である。

 出発は時と書いてあるから分頃に来ればいいと思っていたようであるが、リレーウォークを経験していたら早く来なければならないことは当たり前である。

 聞けばこの先導する人はこのガイドの会ではベテランだとか聞いているが、班の編成を見ても分かるように主な人物から順番に班を担当している。

 即ち班はこの区のガイドの会の会長が先導しているし、班もそれに次ぐ男性である。

 従って班を先導する女性ということはこの区のガイドの会では重要な位置にある女性であるということを示しているのである。

 従ってそんな女性が集合時間を勘違いをしていたなんてどうしようもないことである。

 傍にいたその区のガイドで若手のガンバリ屋さんである顔見知りの女性に班の先導者は未だ来てないけどどうなってるのか聞いてみた。

 すると先程電話を入れて間もなくやってくるはずだということであった。

 やっと分頃にその先導者がやって来たが、すぐに先導者用のブルゾンを羽織ってマイクも準備する必要がある。

 そして注意事項も言わなけりゃならないのに遅れて来たもんだから、そんなことは分からないままスタートしたのである。

 相変わらず雨は結構降るが時間ほどしたらやっと小降りになって来たものである。

 終わりの方では雨傘を閉じて歩くほどに改善されたが、最後の方でまた降り出した。

 結局ゴールとなる有名な寺の法要の舞踊の様子も雨の為に屋内で行なわれたので遠くて小さくしか見えないので、しばらく居て見物していたが、おもむろに帰り支度をする。

 その後、区民センターダンス教室の女性と一緒に駅の方へ向かうが、いつもと違う初めての道だと言って興味深そうに街の様子を見ていた。

 駅で別れたのは、午後分頃だったが、私はダンスクラブの会館がある近所の喫茶店まで歩いて行く。

 その途中のアーケード商店街にあるベンチに腰掛けて、デイバッグに入れておいた菓子パンとジュースで小腹を満たし、その足で喫茶店に行く。

 分前になったので会館に行き準備が終わった後、シャドウをして練習を始める。

 その内、先生達と初級メンバー人がやって来たが、上級の女性は今日はお休みだということであった。

 今日は初級から中級の通りのダンスをやった後は、サンバを集中的に行なう。

 サンバの動きが早い中で中々上手く足が動かなくて、気が滅入りそうである。

   

 

生活のリズムでテンポが違う

2012-04-21 20:50:40 | 日記
 昨日と違って今日は晴れである。

 しかもいい風も吹いているし、絶好の洗濯日和ということなのですぐに取りかかることにした。

 今日は特に予定もないから、ゆっくりとコーヒーを飲みながら洗濯を始め、いつものようにPCに向かいながらメールとカレンダーで明日からの予定もチェックする。

 その後はゲームをしばらく行なった後、エクセルの入門編のソフトを行なう。

 入門編については大体頭に入って来たが、それでもうっかりしているとやり方が頭の中で飛んでしまっていることもあるので気を付ける意味でも何度も同じ問題をすることによって、条件反射的に反応する位までした方がいい。

 特に若いころと違って記憶力が落ちてしまっていることは、何度となく自覚させられるが、それでも脳細胞を蘇らせるにはくどいほど同じことをしておいた方がいいと思う。

 カラオケでもリズムに乗って発声出来るようにしておかないと頭の中では分かっていても声がそれに合わせられないことになりがちだし、急に頭の中で飛んでしまって、真っ白になることも無きにしも非ずである。

 長い間、歌わないでいると頭の中にリズムが出て来ないことがあるのと同じ現象である。

 だから私と同年代の人が早いテンポの曲に中々乗れないからポップス系の曲が歌えないのである。

 しかしポップスでもバラード系のゆっくりとした曲なら歌う人もある程度いるにはいるが、早い曲となると舌がもつれて上手く歌えない人も出てくるのでそこでもフルイにかけられてしまうことになる。

 そういった意味では私は異色の存在であると言えよう。

 やはり普段からの生活のリズムが違うと言っても過言ではないだろう。

何もかも奥さんに任せてゴロ寝してテレビを見ているような人にはとてもじゃないが早いテンポの生活のリズムに乗れるわけがないから何事もゆっくりとしたものになってしまうのでる。

 別にそれがいいとか悪いとかではなく、それがその人の生き方だからアレコレ言うつもりはないが、少なくとも私の生き方とは相容れないだけのことである。

 ところで、最近はボランティアをしようとする高齢者の数が減って来た様な気がする。

 新年度を迎えたということもあってボラパソでも指導者養成講座に参加してくれる人を募集して申込期限を日に締め切っていたが、去年よりもさらに少ない人数しか受講しないのが現状である。

 年前迄は申込者が多かったが年ほど前から少なくなって来たということである。

 この原因として考えられるのがつは年金がもらえる年齢が段階的に遅くなってきて、年金がもらえるまで働かなくてはならないというのが考えられる。

 それにボランティアよりも自分の老後は面白おかしく過ごしたいという人達が多くなってきている傾向があるのではと考えられる。

 SAでも同じような状態になっていて高大のSAコースに参加する人が少なくなった反面老後を楽しく過ごそうというコースが増えているのが現実である。

 アメリカやヨーロッパのキリスト教の考え方との違いかもしれないが、日本には寄付をする人も少なく、生活困窮者に対する見方でも冷たい傾向にある。

 従って明治大正昭和の初めぐらいまでは隣組でお互いに助け合って生きて来た日本伝統の町民の文化も廃れ、隣は何をする人ぞどころじゃなく、人を見たら泥棒と思え式の生活になって来ている。

 現に私が住んでいる町会の班でも昔から住んでいる人と私のように途中から入った者と完全に水と油の状態である。

 班長は回り持ちだから何年かに度回ってくるが、同じ班の中には色んな人がいて特に持ち家の人は借家に住んでるお前らと違うという意識が強い様な気がする。

 特に私のように男人で住んでいると色メガネで見られることになる。

 男人というのはどうも世間では情けない甲斐性の無い、半端な人間と見られる傾向のようである。

 こんなことがあった。

 今の家に引っ越して来たのは、年ほど前だが、その頃は現役で日本各地を営業で回るために自宅は家具だけ置いている状態であったが、退職して自宅にずっといるようになって間もない年ほど前に班長の役が私に回って来て、どこの家が同じ班なのかも分からない状態だった。

 回覧板一式と班の名簿だけで町会費を集める為に各家を回っている時、たまたま一軒の家を訪ねた時、いきなり「そこの人は今はルスだから夕方帰ってくる」と家の中から話しかけて来た女性が当班の放送局であるオバサンである。

 大体何にでも割り込んでくる人は自分では親切心のつもりのようだが、他の人から見れば出しゃ張りなのである。

 出しゃ張りだけならまだいいが、こういう人に限ってあっちへ行ってはアアじゃこうじゃ、こっちに来てもどうじゃこうじゃと放送されてはたまったものではない。

 イイ放送ならイイけどイイ放送であることは先ずもってなく、他人の中傷が殆んどである。

 最初はそのオバサンも親切に教えてくれたものと思っていたが、後日になってイヤなオバサンであることが分かったのである。

 まずこの家の主人が家の前で何かをしている時に私が通りかかり「こんにちは」と挨拶をしたが、知らん顔である。

 私も退職して自宅にいるようになってから間もない頃だったから顔を知られていないということもあったろうが、普通なら知らない人であったとしても声をかけられたら会釈ぐらいはするものだが、それをするどころか、一瞥だけして横を向いてしまう。

 今は引っ越して行ったが、その隣にその人の兄家族が住んでいたが兄も同様で何のために玄関先にいるのかよく分からないが、よく家の玄関先にいることが多かった。

 私が声を出して「こんにちは」と言っても、いつも会釈するだけで声を出すことはまずない。

 しかも私の方から挨拶しないと自分の方からは一切挨拶しなかった。

 私が住んでる近所にはこんな人物がやたら多いのである。

 今日のところはこれくらいにして後日、機会があれば続きを記述したいと思うが、要は良き時代の日本の庶民文化が無くなりつつあるのと、他人を思いやる心が失われて殺伐として情けなく感じる今日この頃であるということを言いたいのである。