昨日と違って今日は晴れである。
しかもいい風も吹いているし、絶好の洗濯日和ということなのですぐに取りかかることにした。
今日は特に予定もないから、ゆっくりとコーヒーを飲みながら洗濯を始め、いつものようにPCに向かいながらメールとカレンダーで明日からの予定もチェックする。
その後はゲームをしばらく行なった後、エクセルの入門編のソフトを行なう。
入門編については大体頭に入って来たが、それでもうっかりしているとやり方が頭の中で飛んでしまっていることもあるので気を付ける意味でも何度も同じ問題をすることによって、条件反射的に反応する位までした方がいい。
特に若いころと違って記憶力が落ちてしまっていることは、何度となく自覚させられるが、それでも脳細胞を蘇らせるにはくどいほど同じことをしておいた方がいいと思う。
カラオケでもリズムに乗って発声出来るようにしておかないと頭の中では分かっていても声がそれに合わせられないことになりがちだし、急に頭の中で飛んでしまって、真っ白になることも無きにしも非ずである。
長い間、歌わないでいると頭の中にリズムが出て来ないことがあるのと同じ現象である。
だから私と同年代の人が早いテンポの曲に中々乗れないからポップス系の曲が歌えないのである。
しかしポップスでもバラード系のゆっくりとした曲なら歌う人もある程度いるにはいるが、早い曲となると舌がもつれて上手く歌えない人も出てくるのでそこでもフルイにかけられてしまうことになる。
そういった意味では私は異色の存在であると言えよう。
やはり普段からの生活のリズムが違うと言っても過言ではないだろう。
何もかも奥さんに任せてゴロ寝してテレビを見ているような人にはとてもじゃないが早いテンポの生活のリズムに乗れるわけがないから何事もゆっくりとしたものになってしまうのでる。
別にそれがいいとか悪いとかではなく、それがその人の生き方だからアレコレ言うつもりはないが、少なくとも私の生き方とは相容れないだけのことである。
ところで、最近はボランティアをしようとする高齢者の数が減って来た様な気がする。
新年度を迎えたということもあってボラパソでも指導者養成講座に参加してくれる人を募集して申込期限を月日に締め切っていたが、去年よりもさらに少ない人数しか受講しないのが現状である。
年前迄は申込者が多かったが年ほど前から少なくなって来たということである。
この原因として考えられるのがつは年金がもらえる年齢が段階的に遅くなってきて、年金がもらえるまで働かなくてはならないというのが考えられる。
それにボランティアよりも自分の老後は面白おかしく過ごしたいという人達が多くなってきている傾向があるのではと考えられる。
SAでも同じような状態になっていて高大のSAコースに参加する人が少なくなった反面老後を楽しく過ごそうというコースが増えているのが現実である。
アメリカやヨーロッパのキリスト教の考え方との違いかもしれないが、日本には寄付をする人も少なく、生活困窮者に対する見方でも冷たい傾向にある。
従って明治大正昭和の初めぐらいまでは隣組でお互いに助け合って生きて来た日本伝統の町民の文化も廃れ、隣は何をする人ぞどころじゃなく、人を見たら泥棒と思え式の生活になって来ている。
現に私が住んでいる町会の班でも昔から住んでいる人と私のように途中から入った者と完全に水と油の状態である。
班長は回り持ちだから何年かに度回ってくるが、同じ班の中には色んな人がいて特に持ち家の人は借家に住んでるお前らと違うという意識が強い様な気がする。
特に私のように男人で住んでいると色メガネで見られることになる。
男人というのはどうも世間では情けない甲斐性の無い、半端な人間と見られる傾向のようである。
こんなことがあった。
今の家に引っ越して来たのは、年ほど前だが、その頃は現役で日本各地を営業で回るために自宅は家具だけ置いている状態であったが、退職して自宅にずっといるようになって間もない年ほど前に班長の役が私に回って来て、どこの家が同じ班なのかも分からない状態だった。
回覧板一式と班の名簿だけで町会費を集める為に各家を回っている時、たまたま一軒の家を訪ねた時、いきなり「そこの人は今はルスだから夕方帰ってくる」と家の中から話しかけて来た女性が当班の放送局であるオバサンである。
大体何にでも割り込んでくる人は自分では親切心のつもりのようだが、他の人から見れば出しゃ張りなのである。
出しゃ張りだけならまだいいが、こういう人に限ってあっちへ行ってはアアじゃこうじゃ、こっちに来てもどうじゃこうじゃと放送されてはたまったものではない。
イイ放送ならイイけどイイ放送であることは先ずもってなく、他人の中傷が殆んどである。
最初はそのオバサンも親切に教えてくれたものと思っていたが、後日になってイヤなオバサンであることが分かったのである。
まずこの家の主人が家の前で何かをしている時に私が通りかかり「こんにちは」と挨拶をしたが、知らん顔である。
私も退職して自宅にいるようになってから間もない頃だったから顔を知られていないということもあったろうが、普通なら知らない人であったとしても声をかけられたら会釈ぐらいはするものだが、それをするどころか、一瞥だけして横を向いてしまう。
今は引っ越して行ったが、その隣にその人の兄家族が住んでいたが兄も同様で何のために玄関先にいるのかよく分からないが、よく家の玄関先にいることが多かった。
私が声を出して「こんにちは」と言っても、いつも会釈するだけで声を出すことはまずない。
しかも私の方から挨拶しないと自分の方からは一切挨拶しなかった。
私が住んでる近所にはこんな人物がやたら多いのである。
今日のところはこれくらいにして後日、機会があれば続きを記述したいと思うが、要は良き時代の日本の庶民文化が無くなりつつあるのと、他人を思いやる心が失われて殺伐として情けなく感じる今日この頃であるということを言いたいのである。
しかもいい風も吹いているし、絶好の洗濯日和ということなのですぐに取りかかることにした。
今日は特に予定もないから、ゆっくりとコーヒーを飲みながら洗濯を始め、いつものようにPCに向かいながらメールとカレンダーで明日からの予定もチェックする。
その後はゲームをしばらく行なった後、エクセルの入門編のソフトを行なう。
入門編については大体頭に入って来たが、それでもうっかりしているとやり方が頭の中で飛んでしまっていることもあるので気を付ける意味でも何度も同じ問題をすることによって、条件反射的に反応する位までした方がいい。
特に若いころと違って記憶力が落ちてしまっていることは、何度となく自覚させられるが、それでも脳細胞を蘇らせるにはくどいほど同じことをしておいた方がいいと思う。
カラオケでもリズムに乗って発声出来るようにしておかないと頭の中では分かっていても声がそれに合わせられないことになりがちだし、急に頭の中で飛んでしまって、真っ白になることも無きにしも非ずである。
長い間、歌わないでいると頭の中にリズムが出て来ないことがあるのと同じ現象である。
だから私と同年代の人が早いテンポの曲に中々乗れないからポップス系の曲が歌えないのである。
しかしポップスでもバラード系のゆっくりとした曲なら歌う人もある程度いるにはいるが、早い曲となると舌がもつれて上手く歌えない人も出てくるのでそこでもフルイにかけられてしまうことになる。
そういった意味では私は異色の存在であると言えよう。
やはり普段からの生活のリズムが違うと言っても過言ではないだろう。
何もかも奥さんに任せてゴロ寝してテレビを見ているような人にはとてもじゃないが早いテンポの生活のリズムに乗れるわけがないから何事もゆっくりとしたものになってしまうのでる。
別にそれがいいとか悪いとかではなく、それがその人の生き方だからアレコレ言うつもりはないが、少なくとも私の生き方とは相容れないだけのことである。
ところで、最近はボランティアをしようとする高齢者の数が減って来た様な気がする。
新年度を迎えたということもあってボラパソでも指導者養成講座に参加してくれる人を募集して申込期限を月日に締め切っていたが、去年よりもさらに少ない人数しか受講しないのが現状である。
年前迄は申込者が多かったが年ほど前から少なくなって来たということである。
この原因として考えられるのがつは年金がもらえる年齢が段階的に遅くなってきて、年金がもらえるまで働かなくてはならないというのが考えられる。
それにボランティアよりも自分の老後は面白おかしく過ごしたいという人達が多くなってきている傾向があるのではと考えられる。
SAでも同じような状態になっていて高大のSAコースに参加する人が少なくなった反面老後を楽しく過ごそうというコースが増えているのが現実である。
アメリカやヨーロッパのキリスト教の考え方との違いかもしれないが、日本には寄付をする人も少なく、生活困窮者に対する見方でも冷たい傾向にある。
従って明治大正昭和の初めぐらいまでは隣組でお互いに助け合って生きて来た日本伝統の町民の文化も廃れ、隣は何をする人ぞどころじゃなく、人を見たら泥棒と思え式の生活になって来ている。
現に私が住んでいる町会の班でも昔から住んでいる人と私のように途中から入った者と完全に水と油の状態である。
班長は回り持ちだから何年かに度回ってくるが、同じ班の中には色んな人がいて特に持ち家の人は借家に住んでるお前らと違うという意識が強い様な気がする。
特に私のように男人で住んでいると色メガネで見られることになる。
男人というのはどうも世間では情けない甲斐性の無い、半端な人間と見られる傾向のようである。
こんなことがあった。
今の家に引っ越して来たのは、年ほど前だが、その頃は現役で日本各地を営業で回るために自宅は家具だけ置いている状態であったが、退職して自宅にずっといるようになって間もない年ほど前に班長の役が私に回って来て、どこの家が同じ班なのかも分からない状態だった。
回覧板一式と班の名簿だけで町会費を集める為に各家を回っている時、たまたま一軒の家を訪ねた時、いきなり「そこの人は今はルスだから夕方帰ってくる」と家の中から話しかけて来た女性が当班の放送局であるオバサンである。
大体何にでも割り込んでくる人は自分では親切心のつもりのようだが、他の人から見れば出しゃ張りなのである。
出しゃ張りだけならまだいいが、こういう人に限ってあっちへ行ってはアアじゃこうじゃ、こっちに来てもどうじゃこうじゃと放送されてはたまったものではない。
イイ放送ならイイけどイイ放送であることは先ずもってなく、他人の中傷が殆んどである。
最初はそのオバサンも親切に教えてくれたものと思っていたが、後日になってイヤなオバサンであることが分かったのである。
まずこの家の主人が家の前で何かをしている時に私が通りかかり「こんにちは」と挨拶をしたが、知らん顔である。
私も退職して自宅にいるようになってから間もない頃だったから顔を知られていないということもあったろうが、普通なら知らない人であったとしても声をかけられたら会釈ぐらいはするものだが、それをするどころか、一瞥だけして横を向いてしまう。
今は引っ越して行ったが、その隣にその人の兄家族が住んでいたが兄も同様で何のために玄関先にいるのかよく分からないが、よく家の玄関先にいることが多かった。
私が声を出して「こんにちは」と言っても、いつも会釈するだけで声を出すことはまずない。
しかも私の方から挨拶しないと自分の方からは一切挨拶しなかった。
私が住んでる近所にはこんな人物がやたら多いのである。
今日のところはこれくらいにして後日、機会があれば続きを記述したいと思うが、要は良き時代の日本の庶民文化が無くなりつつあるのと、他人を思いやる心が失われて殺伐として情けなく感じる今日この頃であるということを言いたいのである。