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高取城跡(奈良県高市郡高取町) その3:高取城跡から壷阪寺へ 202310

2023年11月11日 | 旅(奈良)
14時10分 高取城跡から下山を開始しました。

14時14分 八幡神社口壷阪寺方面と壺阪山駅国見櫓跡方面の分岐点

    
  
      

私は、八幡神社口壷阪寺方面へ進みました。
  
     



14時17分 壺阪口門跡  





この石段を上がり八幡神社へ向かいました。

   

14時29分 八幡神社  

    


八幡神社からの下りがこの日一番厳しい山道でした。

14時33分 史蹟高取城址の碑

   





壷阪寺へ行くには、どちらの道を選ぶべきか…

  


どちらの道を進めばよいのか、判断材料がなく、悩ましいところでした。
ここで私は「五百羅漢遊歩道を経て」ではなく、「五百羅漢を経て」の道を選んだのだと思います。
結果的に、その道はかなり荒れていて、狭く、左へ足を踏み外したら大変なことになりそうなところもありました。おそらく「五百羅漢遊歩道」の方が無難な道だったのだろうと思えました。




14時50分 五百羅漢

   

             

                   

高取城跡へ上る時はここが分岐点ですね。

      

               

     

14時57分 ここから壷阪寺へは、車道を歩きました。

    







壷阪寺が見えてきました。

   

壺阪寺もかなり高いところにあります。

        

  

   

振り返ると、天竺渡来大観音石像

   

     

15時13分 壺阪寺参道の碑  

    


    

15時15分 壷阪寺(南法華寺)到着

    

        






高取城跡から下り始めたのが14時10分でしたので、壷阪寺着までの下りは1時間3分ほどかかったようです。
パンフレットには、所要時間は60分とあります。
まずまずの速さで歩いたと思ったのですが、よく考えると、パンフレットは上りで60分です。
私は下りで63分。かなり遅いペースだったということです。

15時18分 壷阪寺バス停で、発車時刻を確認しました。  

    

16時5分発のバスがあるようです。それが最終バスです。
3月や土日祝には15時35分発というバスもあるのですけれどね。
歩いて壺阪山駅へ行くには50分ほど下らねばなりません。
歩けない距離ではありませんが、バスなら11分ほどで楽に駅まで行けます。(運賃330円)
どちらにしようかなぁとちょっと思案した私、バスを選びました。

16時5分 路線バスに乗車

    

16時16分 近鉄壺阪山駅到着



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【まとめ】

高取城跡がある高取山の標高は583mです。
壺阪山駅(奈良県高市郡高取町大字観覚寺)の地点の標高は117m。
ということは、この日私が歩いた高低差は約466mということになります。

道は迷うようなところはなかったものの、一人で初めての道を通っての山城登城はなんとなく不安がありました。

八幡神社から「史蹟高取城址」碑までの道の一部はとても険しく、八幡神社を通らずに「史蹟高取城址」の碑まで行く道を選んだ方が無難だと思いました。
でもどこにその分岐点があったのか、今もよくわかっていません。
険しい道を下りて来て「史蹟高取城址」の碑を目にした時、ちょうど二人組女性が右の方から「史蹟高取城址」の碑の方へ歩いてきたのを見ましたので、別の道があったのだとわかったのです。
下りだからゆっくりゆっくりなんとか進めましたが、これが上りだったら私の体力ではちょっとしんどかったかもしれません。

金剛山や葛城山のように多くの人が上っているわけではなく、ほとんど人とすれ違うことない山道でした。
人がほとんどいない、初めての所での一人登山は、精神力と根性が試されている感じがしました。
また、あんな高いところまで、あんなにたくさんの大きな石を運んだということに驚くとともに、先人の苦労を偲びながらの登山でした。

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高取町観光ガイド
https://sightseeing2.takatori.info/takatorijyou-d/より引用

高取城
日本三大山城と呼ばれる「高取城」の魅力

岡山の備中松山城、岐阜の美濃岩村城に並ぶ日本三大山城の一つ。
城は標高583.9mある高取山の頂に築かれ、城内周囲は約3km、郭内周囲は約30kmにも及ぶ。現在は緑に覆われ、石垣を留めるのみの姿ながら、本丸・二の丸跡の立派な石垣からは往時の栄華が感じられる。
昭和28(1953)年に国の史跡、平成18(2006)年には日本100名城に認定された。


高取城の始まりは元弘2(1332)年、南朝方に属した高取の豪族・越智氏が築いた、天守や櫓などの一切ない掻揚げ城であったとされている。
天正12(1584)年、筒井順慶によって郡山城の詰城として再建されたのち、近世的城郭へと整備・拡張が行われたのは天正13(1585)年のこと。この年、豊臣秀長の家臣であった本多利久が城主となり、山城式に平城式手法を取り入れた珍しい城が築かれた。
城内には大小の天守に27の櫓、33の門を持ち、それらが積み重なる白亜の立体的な美しさは芙蓉の花に喩えられ、「巽高取雪かとみれば 雪でござらぬ土佐の城」とも謳われた。麓から天守台までの高低差は、実に390mと日本三大山城の中でも最も高く、「日本一の山城」と呼ぶにふさわしい規模と高さを誇る。寛永14(1637)年に本多家が絶えてからも、明治4(1871)年に廃藩置県が布かれるまでは14代にわたり、植村家が城主を務めた。紅葉の見頃を迎える11月23日には、火縄銃の実演や時代行列が恒例。
高取城は 比高の高い山城

日本を代表する山城として、下記の三城が「日本三大山城」といわれている。
高取城の比高は390mでもっとも高く、ふもとから本丸までの高さを指している。その差が高ければ高いほど難攻不落と言える。また、その壮大な規模からも、山城として日本一の山城ともいわれ、日本百名城にも選ばれている。

城郭名        
所在地  
海抜    
比高    
解説
大和高取城奈良県583m390m比高が一番高い
備中松山城岡山県480m340m建物が現存する中で最も高いお城
美濃岩村城岐阜県721m150m海抜が一番高い

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機会があれば、壷阪寺参道を下から歩いてみたいと思います。


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