Remembrance 2006/09/06-2020/06/08  2020/07/01-

   ある日のできごと、心の呟き、よしなしごとetc

十津川村の旅 (その1)谷瀬の吊り橋  202310

2023年11月01日 | 旅(奈良)
十津川村の「谷瀬(たにせ? or たにぜ?)の吊り橋」


Taniseno Tsuribashiとあります。「たにせ」ですね。

車を村営駐車場に置きました。


Tanize no Tsuribashiとあります。「たにぜ」ですね。

たにせ? or たにぜ?
どっちが正しい読みなのでしょうか?

乗用車の駐車料金は800円。お高いですね!
2時間も駐車しないし…。






説明書きには「たにぜ」とルビが付いています。

  

雲一つない空、連なる山、流れる水、そして吊り橋!
最高にきれいな景色です。 


  
さぁ、上野地から谷瀬に向かって吊り橋を渡ります。

  

「スリル満天の空中散歩」と形容される「谷瀬の吊り橋」を渡りました。
上野地と谷瀬を結んでいる、鉄線の吊り橋です。
長さ297.7m、高さ54m。
もともとは生活用のための吊り橋として、昭和29年(1954年)戦後の復興期
にかけられたそうです。
それまでは、谷瀬の人々は川に丸木橋をかけて行き来をしていたのですが、洪水のたびに流されたそうな。そこで谷瀬集落の人々は大金を出し合い、大吊り橋を村の協力を得て完成させたそうです。
真剣な思いでできた吊り橋なんですね。
静かな山々に囲まれ、眼下には清らかな熊野川(十津川)が流れています。
古人の偉業に感謝しながら、トコトコトコと渡りました。
ゆらゆらふわふわと揺れる不安定感、浮遊感が空中散歩っぽく、スリルというよりも心地よさを覚えました。


途中、大きな白い犬とすれ違いました。

吊り橋を渡り切り谷瀬側に到着して、上野地側を見た写真です。

  
   
注意書き  

   

このベンチに座っておにぎりを食べました。

  



ゆっくりと歩いて渡ってくる男性たち

  
   
          

          


案内板  

       

吊り橋の谷瀬側の終点から300mほど歩くと、後醍醐天皇の第3王子大塔宮護良親王が十津川に逃げ出したとき、豪族竹原八郎が仮宮殿を建ててかくまった御所の跡「黒木御所跡」があるとのこと。南朝史跡です。
明治22(1889)年8月、奈良県吉野郡一帯はすさまじい豪雨に襲われ、十津川の被害は甚大(じんだい)で死者168人、生活の基盤を失った者約3千人。
あの時に宮跡や竹原八郎の五輪塔などもなくなったようです。

「黒木御所跡」に行ってみようかしらと、チラッと思いましたが、吊り橋が苦手で渡ることのできない人を上野地側で待たせているので、「黒木御所跡」には行かず、早々に戻ることにしました。


谷瀬側から吊り橋を渡ります。
この瞬間、私だけのためにある吊り橋です。
 
  

帰りは写真をたくさん撮る余裕があります。
河原にはテントがたくさんありました。
  
  

          

      

        

  
        

この辺りが中間地点でしょうか。
   
    


           


上野地側に到着しました。
谷瀬側の空と山が美しい!!


ゆっくりと吊り橋を渡れて、私は大満足!!
「いつか…」の思いがひとつ叶いました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする