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そのかへる年の十月二十五日、大嘗会の御禊とののしるに、
その翌年の十月二十五日、大嘗会の御禊と世間では大騒ぎしているとき、
初瀬の精進はじめて、その日京を出づるに、
(私は)ちょうど初瀬の精進をはじめて、その日(御禊の当日)、都を出ると、
しかるべき人々、「一代に一度の見物にて、田舎せかいの人だに見るものを、
親しい人々は、「(天皇)一代に一度しかない見物で、田舎の人たちでさえ見ようとしているのに、
月日多かり、その日しも京をふり出でていかむも、
(出発するための)日はたくさんある(が)、よりによってちょうどその当日に京都を出て行こうというのは、
いとものぐるほしく、ながれての物語ともなりぬべきことなり」など、
非常にばかげており、後の語り草になるにちがいないことだ」と言い、
はらからなる人はいひ腹立てど、児どもの親なる人は、
兄弟である人は腹立たしげに言うが、子どもたちの父親である人(夫)は、
「いかにもいかにも心にこそあらめ」とて、
「どうにもどうにも、思うようにしたらいい」と言って、
いふにしたがひて、出だしたつる心ばへもあはれなり。
私の言うままに出立させてくれた、その気持ちがとてもありがたい。
ともに行く人々も、いといみじく物ゆかしげなるは、いとほしけれど、
一緒に行く人たちは、非常に御禊を見たがっていて、気の毒ではありましたが、
「物見て何にかはせむ。かかるをりに詣でむ志を、さりともおぼしなむ。
「そうした見物をして何になろうか。こうした折にお参りする志を、仏様は殊勝なことだとお思いになるにちがいない。
かならず仏の御しるしを見む」と思ひ立ちて、その暁に京を出づるに、
必ず仏様のご利益があるにちがいない」と思ってその日の暁(のころ)に京都を出たが、
二条の大路をしも渡りて行くに、さきに御明かし持たせ、
二条大路を通っていくと、先を行く者に御明かしを持たせて、
供の人々浄衣姿なるを、そこら、桟敷どもにうつるとて、
お供の人々は浄衣姿であるのを、たくさん、桟敷に移ろうとして、
往きちがふ馬も車もかち人も、
行き違う大勢の馬も、車も、徒歩の人も、
「あれはなぞそ、 あれはなぞ」と、やすからずいひおどろき、あさみ笑ひ、あざける者どももあり。
「あれは何だ、あれは何だ」と、驚いて騒ぎ、あきれて笑い、あざける者たちもあった。
良頼の兵衛督と申しし人の家の前を過ぐれば、それ桟敷へ渡りたまふなるべし。
良頼の兵衛督と申す人の家の前を過ぎたところ、その方が桟敷へお出かになるところであろう。
門広うおしあけて、人々立てるが、
門を広く押し開けて、人々が立っていたが、
「あれは物詣人なめりな。月日しもこそ世に多かれ」と笑ふ中に、
「あれは物詣での人であるようだな。月日は他にいくらもあるのに」と笑う中に、
いかなる心ある人にか、「一時が目をこやして何にかはせむ°
どのような思慮深い人であろうか、「一時目を楽しませてなんになろうか。
いみじくおぼし立ちて、仏の御徳かならず見たまふべき人にこそあめれ。
殊勝に思い立って、仏のご利益を、必ずや王家になるに違いない人だろう。
よしなしかし。物見で、かううこそ思ひ立つべかりけれ」
つまらぬことだなあ。見物などしないで、このように物詣でを思い立つべきであったことよ」
とまめやかにいふ一人ぞある。
と、まじめに言う人が一人ありました。
道顕証ならぬさきにと、 夜深う出でしかば、
道があまり明るくならないうちにと、夜深いうちに出かけたので、
立ち遅れたる人々も待ち、いとおそろしう深き霧をも少しはるけむとて
出発が遅れた人たちをも待ち、非常に恐ろしく深い霧が少し晴れるのを待とうとして、
法性寺の大門に立ちとまりたるに、田舎より物見に上る者ども、
法性寺の正門前に立ちどまっていると、田舎から見物に上ってきた者たちが、
水の流るるやうにぞ見ゆるや。すべて道もさりあへず、
水が流れるように見えることだ。まったく道も(人を)避けることができず、
物の心知りげもなきあやしの童べまで、 ひきよきて行き過ぐるを、
分別もなさそうな身分の低い子どもまでが、(私たち一行が)避けて通り過ぎるのを、
車をおどろきあさみたることかぎりなし。
車を(見て)驚きあきれていることはこの上もなかった。
これらを見るに、 げにいかに出で立ちし道なりともおぼゆれど、
これらを見るにつけても、なるほどどうして出かけてきてしまった旅であるのかとも思われたが、
ひたぶるに仏を念じしたてまつりて、宇治の渡りに行き着きぬ。
ただひたすら仏様をお祈り申し上げて、宇治川の渡し場に行き着いた。
そこにもなほしもこなたざまに渡りする者ども立ちこみたれば、
そこにもやはり川岸のこちら側に渡ってくる者たちで混雑していたので、
舟の楫とりたるをのこども、舟を待つ人の数も知らぬに心おごりしたるけしきにて、
舟の舵を取っている男たちは、舟を待つ人が数限りなくいるのに、高飛車な様子で
袖をかいまくりて、顔にあてて、棒におしかかりて、とみに舟も寄せず、
袖をまくって、顔に当てて、さおに寄りかかって、すぐには舟も寄せず、
うそぶいて見まはし、いといみじうすみたるさまなり。
とぼけて周囲を見回し、非常にとりすましている様子である。
むごにえ渡らで、つくづくと見るに、紫の物語に宇治の宮のむすめどものことあるを、
いつまでたっても渡ることができないで、つくづくと見ていると、『源氏物語』に、宇治の宮の姫君たちのことが書かれているが、
いかなる所なれば、そこにしも住ませたるならむとゆかしく思ひし所ぞかし。
どんな所であるので、そこに住まわせたのであろうかと見てみたいと思っていた場所であったことよ。