
リニューアル再掲:原城址(長崎県島原半島 2015.05.16)
日本26聖人殉教の月2月に同じく宗教的
大逆殺が行われた原城址映像・記事更新
島原半島の中央部。海辺にせり出した様な海岸部に位置する。
そもそもは島原城の前身の要塞であった。その島原城の築城
や圧政のために島原の農民が立ち上がり、籠城、玉砕した城。
天草四郎他約3万7千名の農民や武士がこの城で命を落した。
日本最大の反乱事件とされ、江戸幕府は以後鎖国と宗教弾圧
を強める。その背景には豊臣方の残党への強い警戒心もある。
感慨:この地に立つのは数十年振り。城跡は益々寂れた気が
する。この悲劇を風化させない為にも手厚い保存が望
まれる。この悲劇を題材にした「原の城」が偲ばれる。
城郭:梯郭式平城 城主:有馬氏~天草四郎?遺構:石垣、空堀
石高:4万石(推定) 家紋: 五瓜に唐花(有馬氏)
指定:国史跡、続日本百名城(188番)、世界文化遺産
参照#① 天草四郎の墓(原城址)
② 日本のお城 探訪紀行
③ 彫刻家船越保武氏の作品『原の城』像
➃ 長崎県・佐賀県 温泉地 データ・ベース