≪ Mémoire(メモワール):神社仏閣 服部神社(山代温泉)2004.6.5 ≫
山代温泉街の中心部にある社。文字通り、山代温泉の守り神である。氏子も
山代1区~24区までの広範囲にわたる。服部(はとり)の名称の通り、この
地方は絹織物の産地でもあったことから機織や裁縫の技を伝える神を祀った。
社格:県社 祭神:天羽槌雄神(あめのはづちをのかみ)、菊理姫神(くくりひめのかみ)
≪ Mémoire(メモワール):渚ハイウェイ(石川県能登半島) 2004.6.4≫
温泉を訪ねて能登半島を旅した時である。有料道路からそれ海岸沿いに
降りるとなんとも綺麗な渚が展開。この光景に見とれていると。ナント
果てなく続く砂浜を乗用車・バスが疾走する驚きの光景。サンドパワー。
参照:能登半島の探査目的温泉地 らんぷの宿(よしが浦温泉)
石川県白山峰の麓、中宮温泉のにしやま旅館にお世話になり、山頭火と出会った。
ここでも山頭火らしい句が掲げられていた。千人風呂とは石川県には見られない
が屹度温泉の表現が面白いので湯船に掲げたのだろう。混浴文化も影響している。
句文:千人風呂 ちんぽこも おそそも 湧いて溢れる湯 (山頭火)
解説:なんておおらかな表現だろう その通りだ。健康的な混浴を詠んだこの句
は数多い山頭火句の中でも傑作の部類。この句で青森県酸ヶ湯温泉が思い
浮かぶ今では男女に仕切りが設けられているが嘗てはこの歌の通りだった。
参照#①青森県酸ヶ湯温泉の混浴大浴場「千人風呂」 ②中宮温泉にしやま旅館
Mémoire:歌碑句碑 村上元三句碑(須々神社)
NHK大河ドラマ「源義経」(昭和41年放送)の原作作家村上元三氏句碑が
珠洲市三崎海辺にある須々神社境内に建っている。村上氏は何度も珠洲市
を取材に訪れその記念として本人直筆の歌碑が建てられたとのことである。
碑文:『 義経は 雪に消えたり 須々の笛 』
参考:須々神社宝物 蝉折れの笛と守刀(義経の笛と弁慶の守刀)
文治3年(1187年)源義経が兄頼朝に追われ奥州平泉へ下向の際須々神
社沖合いで時化に会い無事難を逃れた御礼として、平家の名宝とも伝
えられる義経愛用の笛と、弁慶が寄進した「左」銘入りの守刀とされる。
義経・弁慶の献詠
「 都より 波の夜昼 うかれきて 道遠くして 憂目みる哉 」
義経返歌「憂目をば 藻塩と共に かき流し 悦びとなる 鈴の御岬は」
前田利家公献詠 (加賀藩藩祖)
「ほうくわん(判官)殿この笛をこのすずのやしろにささげ給へるとなん
ありしよのそのあらましをきくからに袖さへぬれてねにそなかるる」
感想:ここにも悲劇の源義経の足跡が、地元民に語り継がれ歴史を構成してる。
現代程の情報がない時代に大切に語り継がれる源義経の器に心打たれる。
解説:村上元三・・・直木賞作家、大衆文芸作家、小説家
代表作に『水戸黄門』『勝海舟』『次郎長三国志』などがある。1966年
NHK大河ドラマ『源義経』は自身の作で、自ら脚本も手掛け、その折に
能登半島を取材などで歴訪して、この句碑に刻印された句をなしている。
参照#① 須々神社(石川県能登半島)
② 悲劇の英雄源義経の伝説最終地(最北地)義経神社(北海道平取町)
Mémoire(メモワール) : 特急寝台日本海(大阪駅) 2004.06.03
懐かしの夜行特急寝台「日本海」。20系ブルートレインを使用した寝台特急「日本海」を
利用して大阪まで旅行した日が懐かしい。個室でゆったり休んでいると朝方に大阪へ到着
するという、宿泊兼移動で青森からは便利な乗物であったが平成24年3月17日改正で廃止。