リニューアル:再掲 白狼伝説像{白狼(妙見大菩薩お使)と大久保左馬之祐像}
映像:公園浴場「菩薩の湯」の前の飲泉場に設置された、命の恩人伝説白狼の像
(過去の記録:2004.11.6)
源義朝の家臣大久保左馬之祐が源氏の再興を祈願し、三徳山三仏寺に赴いた折に
命を救った白狼が夢枕に立ち、楠の老木根本から湯が湧き出ている事を教えたと
いわれる故事を三朝温泉公園に再現したのがこの像だ。楠木の根株から湧き出た
温泉、三朝温泉の創まりとされる。名湯動物発見伝。これが後述の元湯『株湯』。
参照#① 三朝温泉 共同浴場「株湯」 ② 山陰地方 温泉地 探訪紀行
リニューアル再掲:丹後半島 伊根町 舟屋(この地方の漁民船小屋景観:京都府)
今の時期になると嘗て裏京都(日本海)を旅した記憶が甦る。もう
17年前の事。映像は小さく見ずらいので伊根観光協会HPより引用
して最新のものに差し替える。どうやら観光ポイントは健在らしい
(過去の記録:2007.1.30)
伝説の丹後半島を車で巡る。伊根といえば舟屋が有名。1階が船の格納庫という独特
の風景は、連続テレビ小説「ええにょぼ」、映画「男はつらいよ~あじさいの恋~」、
「釣りバカ日誌5」ロケ地。約230軒の舟屋があるという。映画での懐かしの場所。
参照#①畿内 温泉地 探査紀行 ②山陰 温泉地 探査紀行
映像:山口宇部空港お土産店ブース前陳列の空港マスコット。やはり🐡だ。
2018年九州・中国温泉探査も終わり。始まりと終わりは山口宇部空港。
熊本県黒川温泉から途中何か所か温泉を探査して高速道路で福岡空港到着。
レンタカーを返却、仲間と別れ下関へ。そこで宿泊後翌朝山口宇部空港発。
考察:山口県(下関)はなぜフグで有名なのか?それは漁獲量(北海道が1位)
ではなく、日本で最初に公認(料亭「春帆楼」)第一号として認めら
れたというのが山口県(下関)がフグの本場という風に定着したらしい。
参照:米子鬼太郎空港のイメージキャラクター
( 2018年 九州・中国温泉探査紀行 完 )
山口県山口市湯田温泉は中原中也一色だ。中原中也は散歩が大好きだった事もあり
この温泉地はそれに因んで散策ポイントが数カ所ある。先ずは、中原中也記念館で
中也と面会した後、中也の影を追って湯田温泉を散歩するのが何よりの中也観察だ。
中也と歩くポイント:中原中也記念館、中也のお墓、温泉舎(ゆのや:源泉観察)、西村
屋(中也の結婚式会場:現在休業中)、錦川通り(中也歌碑)、狐の足跡(観光回遊拠点)、井上
公園(長州七郷落寓居、中也歌碑)、権現山(湯田温泉街一望)、湯田温泉駅(中也も利用)。
映像:湯田温泉のど真ん中に中原中也生誕之地があり、中原中也記念館となっている。
(画面左隅の石柱には『中原中也誕生之地(明治40年4月29日生)』との刻印がある)
中原中也と謂えばやはり、学生時代同棲していた長谷川泰子が友人小林秀雄に走った
事件が思い起こされる。この男女の奇妙な関係は学生時代筆者には理解出来なかった。
いやいまでも理解できない、その後他の男と結婚した泰子の子供を可愛がった中也を。
こういう虚無を根底に持ち、既成の常識とは程遠い生活、行動が背景の思想を『ダダ
イズム』という。1920年代に勃興した芸術思想・運動であるが中原中也も影響を受け
ている。しかし中也の破天荒生活は裕福な実家の仕送りが主で賄われていたのが実状。
参照#①中也の街さんぽ(湯田温泉) ②中原中也記念館(中原中也記念館HP)
伊勢神宮、おかげ横丁ときたらやはりお土産の定番「赤福」
赤福の前は行列ができていた。混雑するおかげ横丁が余計
混雑。でもこの雑踏でお伊勢参りを実感!ここは伊勢銀座。
赤福:伊勢神宮宇治橋前に店を構えるお餅屋さん。赤福は
凡そ300年前の宝永四年(1707年)創業。お餅の上
にこし餡(あん)をのせた赤福餅がロングヒットした。
小さいながらも立派な御社。建築様式も唯一神明造。内宮社殿は撮影禁止なので
この社が内宮社殿の実際の様子を窺うことが出来る好材料なのだ。神宮神田で収
穫された稲を抜穂(ぬいぼ)にして、御稲御倉へ納め、内宮の祭祀時に取り出す。
社格:皇大神宮所管社 主祭神:御稲御倉神 神事:新嘗祭 様式:唯一神明造
宇治橋を渡り五十鈴川を越えて伊勢神宮神聖域に入った。五十鈴川をわたる
ことによりエアシャワー効果で身体表面は清められたが口や手の清めが残る。
一般的な手水場で洗うより、五十鈴川の御手洗場(みたらしば)がお勧めだ。
故事:伊勢神宮の母といわれる倭姫命もこの川で裾衣を洗い清めた伝説あり。
参照#①伊勢神宮 ②倭姫を祀る社殿(伊勢神宮内)
映像:世界的版画家棟方志功ゆかりの宿。志功の作品が出迎える奥津荘正面玄関
美作三湯のひとつ奥津温泉の老舗旅館『奥津荘』を訪問した。女将が館内を案内。
玄関を入り驚いたのが世界的版画家棟方志功の作品だ。棟方志功といえばやはり
青森県の浅虫温泉を想起する。一級の芸術家は一級の温泉地に所縁があるものだ。
奥津荘の女将が言うには奥津温泉に棟方志功が逗留してこの版画を為したそうな。
東西の一級の温泉地に足跡を為した版画家の縁で浅虫温泉椿館と奥津温泉奥津荘
が、『棟方志功の宿』つながりで連携してお互いの営業に生かして欲しいと願う。
感慨:ある日、テレビを見ていたら、映画「秋津温泉」が流れていた。なんとも
風情のある川沿いの温泉旅館を中心に男女の機微が繰り広げられる映画に
感動し、いつかこの温泉地に行きたいと思っていた。小説「秋津温泉」は
直木賞受賞作品。作家は藤原審爾、奥津温泉がモデルの温泉となっている。
参照#名泉とされる奥津荘の湯殿「名泉鍵の湯」
映像:三朝温泉三徳川かじか橋の中央部欄干に与謝野晶子の碑文が刻まれた。
温泉地での歌碑といったら圧倒的に与謝野晶子であろう。全国の温泉地で
夫与謝野鉄幹と夫婦歌会を開催し温泉地を巡った。歌会は収入にもなるし
温泉好きも由来している。全国の著名温泉地に与謝野夫妻の足跡がのこる。
碑文:川浪が雨の裾をば白くする
三朝の橋を越えてこしかな (晶子)
対句:清き瀬の岩にすがり月まつと
渓の河鹿の吹ける口笛 (鉄幹)
解説:与謝野鉄幹と与謝野晶子の夫婦は仲睦まじいものでも有名であった。
なかば駆け落ち同然というか晶子の押しかけ婚であり鉄幹は前妻と
別れた。晶子の歌は三朝の橋を越えるほどの勢いを歌っているのに
鉄幹のは月見に河鹿の囀りを聴く穏やかな歌の内容で対照的である。
夢千代の里湯村温泉にやってきた。吉永小百合が扮する芸者夢千代は白血病
と闘い、儚い夢をこの温泉場で散らして逝った。太平洋戦争末期広島原爆投下
で山陰の多くの温泉地は療養・保養のため被爆者や後遺症患者を受け入れた。
な白兎海岸や蛍鑑賞の長柄川などがある。吉岡温泉街はやや鄙びた
雰囲気で街の中心部に「やすらぎの湯」という足湯が設置されている。
吉岡温泉:鳥取市郊外の温泉地。お宿が12軒、公衆浴場が2か所の小さな温泉場。
いつの世も、どの地域でも温泉場は健康への願掛け場であった。健常な人は増々健やかに。
病める者は癒しと快復へと。温泉は健康悲願の場所であった証の一つがこの身代わり地蔵
である。大きな数珠玉一個々に治したい病名を明記して手繰り寄せて健康祈願をするのだ。