リニューアル再掲:義経&静御前碑(津軽半島)義経北方逃避伝説の寂しい記念碑
ヒョットしたら、源義経は生き延びたのかも知れないロマン話
史実では静御前は捉えられ、源頼朝の前で舞を舞ったとか・・・。
(過去の記録:2009.06.06)
津軽半島義経北帰行伝説で知られる義経寺 (ぎけいじ)の真下、三厩岩の前に源義経
と側室静御前の石碑がまるで墓碑のごとく建っている。義経は逃げ延びたとしても、
静御前は京で捕縛。義経伝説を信じる地元民の切ない願いがこの石碑に凝縮される。
記録:義経寺のある半島の地域は三厩と呼ばれている。源義経が北海道渡海に使用
の3頭の馬を繋いだ岩窟馬屋があったという伝説から名付られたものである。
参照#源義経(悲劇の英雄)探査紀行
リニューアル再掲:鎮守の狛犬 (小説「津軽」探訪紀行:2009.04.29)
(過去の記録:2009.05.16)
太宰治が岩木山を眺めたという金木農場(弘前大学)を探し、小説「津軽」
にある岩木山眺望ポイントの丘陵を発見。その丘外れに集落の鎮守様が
あり、境内の狛犬に手拭いが。誰が巻いたのだろうなんとも似合ってる。
この社の裏手からは津軽富士が小説に描かれた通りの景観を呈していた。
太宰の岩木山:
『・・・津軽富士と呼ばれてゐる1625メートルの岩木山が、満目の水田
の尽きるところに、ふはりと浮んでゐる。実際、軽く浮んでゐる感じな
のである。したたるほど真蒼で、富士山よりもつと女らしく、十二単衣
の裾を、銀杏(いてふ)の葉をさかさに立てたやうにぱらりとひらいて
左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでゐる。』 (小説「津軽」より)
参照#太宰治(含羞と失意の作家)探訪紀行
リニューアル再掲:川倉賽野川原地蔵堂の中の供養地蔵群 (金木町2009.04.29)
映像:川倉賽野川原地蔵堂の中には、夥しい数の供養地蔵や供物で溢れていた。
死者への思いを絶ちがたく、供養する事が寄りすがりの人々の場所だ。此処は
現世と過去が混ざり合う不思議な空間。地蔵一体々、縁者の愛情が溢れた衣装
を纏っている。真新しい物、古い物、いつしか途絶えた縁。何よりも悲しみを
誘うのは赤いランドセル、花嫁花婿衣裳人形‥‥此処も又人の世の無常が漂う。
参照#川倉賽野川原に対比される「恐山巡礼(現世・地獄・天国) 」紀行
リニューアル再掲:川倉賽野川原地蔵堂の門前に佇む地蔵様列 (金木町2009.04.29)
地蔵尊堂裏の池の岸辺沿いに地蔵が野晒しにされている。お堂に供養地蔵を納めら
れなかった人々は、野晒地蔵に思いを籠める。天日・風雪・風雨で傷んだ手縫いの
衣装が哀しみを誘う。一帯は死者を悼む、偲ぶ、想う場所。朽ちた人々の心が甦ゑ、
消える。北津軽、賽野川原には今日も想い人を求め魂が流離う。大祭時に巡り合う。
芦野公園の池の対岸にあるのが川倉賽野川原地蔵尊。南部下北の恐山に対比される
津軽の霊場である。同じく慈覚大師が開祖とされる。恐山の山岳霊場はなるほどと
思うのだが平野部の霊場は珍しい。その昔は人をも寄せ付けぬ霊気が漂う湿地帯と
推察。恐山同様例大祭時にはイタコの口寄せで賑わうあの世とこの世の交錯の地だ。
故事:天空から燈明が降り、掘ると一体の地蔵尊が出土、安置したことから始まる。
参照#川倉賽野川原に対比する「恐山巡礼(現世・地獄・天国) 」紀行
Memoir:大鰐温泉 大町桂月歌碑(平川河畔ホットパーク加賀助公園にある)
【大鰐温泉 青森県 大鰐町2005.11.13】
大鰐温泉ホットパーク加賀助公園は、「 加賀助」という温泉旅館があった場所。
大町桂月は、その加賀助旅館に投宿して、歌碑に刻まれるような秀歌を成した。
碑文:雨かとて さむれば川の 音にして 尾上にすめる 有明の月
(大町桂月:大正十一年十月十九日)
解釈:雨の音かと耳を澄ませて聞けば温泉街ど真ん中を流れる平川
せせらぎの情緒、そして明け方の月は阿闍羅山の山嶺に誘う。
記録:大町桂月は二度目の来県で大鰐温泉に立寄り宿泊。岩木山、弘前城など
を紀行し、阿闍羅山に登った記録がある。その後、蔦温泉を終焉の地に
した観光紀行の大家は大鰐温泉に立ち寄り、歌を残したのは名誉なこと
参照 # 大町桂月(酔仙人)探訪紀行
リニューアル再掲:浜明神遺跡 (津軽半島十三湊:2007.08.08撮影)
映像:海を見据えた神殿。十三湊水戸口に建てられ航海の守護神として鎮座。
十三湊は中世、安藤氏の時代に北の湊として栄えた。その証左に砂で覆われた遺跡
が彼方此方に散在。この浜明神も嘗ての栄華を象徴する構築物。小高い岡から海を
睨む様は車力高山稲荷にも似ている。沖を行き交う船を望める位置に建築したのだ。
社格:遺跡 祭神:津彦命と速秋津姫命
参照#津軽(田園いで湯)温泉紀行
リニューアル再掲:津軽半島 七つ滝(2007.08.09)
映像:七つ滝は本州北端の滝、この先は交通の難所だった。
小泊から竜白ライン越えで竜飛岬へ。吉田松陰が辿った道。当時は道なき道
が今は立派な舗装路になった。最果ての景勝地を吉田松陰は日本国を憂いて
踏破しただろうか。滝に遭遇し碧く連なる日本海を眺め一服したと想像する。
記録:青森県内を訪ね歩いた江戸時代紀行家菅江真澄も訪れ紀行録に記した。
参照:① 日本の名瀑・涼感厳選集 ② 江戸時代紀行家 菅江真澄
リニューアル再掲:津軽半島 十三湖景観(2007.08.08)
映像:十三湖に浮かぶ漁船(シジミ船)、昔は木船、今は立派なグラスファイバー船
元祖
津軽の人々は『十三湖の蜆貝』といえば知らない人はいない。早朝の蜆売りの声は
初夏の風物でもあった。蜆売りの声が聞こえるとドンブリ片手に戸口に立つ子供達、
何気ない昭和の光景。その蜆貝売りの里が此処だ。おいしい蜆汁・・・・懐かしい。
参照#十三湖名物・元祖 和歌山のしじみラーメン
リニューアル:再掲(奥津軽の風物カッチョ:2007.08.09)
映像:小泊までの集落にいまだ木切れで風雪を防ぐ囲い、これを「カッチョ」という。
歴史的な湊町を離れ小泊を目指す。嘗て太宰治が乳母タケを訪ねた切ない思いで車
を走らす。車窓からの景色もややセピア色。暫く走ると海岸沿いに集落が出現した。
なんとも古びた木の囲い。北風を防ぐ為の物、この様な家々が半島岬まで点在する。
参照#太宰治(含羞と失意の作家)探訪紀行
青函連絡船(高森山頂上眺望) 【高森山 14 トレッキング 完 2023.11.10】
高森山14回目の登頂。 頂上からの景色は陸奥湾を眺望。遥か沖には白い連絡船
この船で頻繁に北海道に渡った日々が懐かしい。温泉探査が主目的で、利尻山や
大雪山、十勝岳連峰、富良野岳、阿寒岳、摩周岳、斜里岳、羅臼岳、ニセコ連峰
羊蹄山、北海道駒ケ岳、恵山など登山口まで行ったのだが今思えば頑張って登頂
しておけばと悔やむのだった。今からでも遅くない一座一座目指すと決意新たに。
むつ湾に浮かぶ湯の島 【高森山13トレッキング 完 2023.10.25】
浅虫温泉の象徴となっている「湯之島」、この日は良く晴れて海も波静かだった。
湯の島は浅虫温泉のシンボル・ランドマーク的存在。この島の対岸は掘れば湯が
湧く温泉場でピーク時は百以上の源泉井戸があったが、今では20本ぐらいで管理。
記録:この景観を捉えて、版画家棟方志功は『 浅虫温泉 海も 山も 温泉も 』
というキャッチで絵を書き、それが今の浅虫温泉のポスターとなっている。
参照#高森山 13 トレッキング 紀行
登山道修復(マンガンコース)梵珠山 Ⅴ トレッキング 【 2023.10.01】
梵珠山マンガンの道は昨年、通行止めとなっていた。五回目トレッキング
で訪山し、利用可能であることを確認。梵珠山の楽しみは東側のマンガン
の道から登り、下山時は陽光眩しい南側サワグルミの道を辿るのが楽しい。
参照#梵珠山 Ⅴ トレッキング紀行
賞味速報:浅虫温泉地ビール 蛍火【高森山 Ⅻトレッキング 2024.06.08】
衰退しつつある浅虫温泉に、ビール党には堪らない施設ができた。元
銀行をイノベーション。なんと金庫が飲みの空間。元銀行員の筆者に
は不思議な空間。金庫の鍵番の時は飲めなかった💦ともかく一杯注文。
味感:高森山トレッキングで乾いた喉を潤すにもったいない味わいの
クラフトビール。映像のメニュー種類は「残光」。白ワインの様
な香りに大地のアロマを持つライトエール。登山&温泉に最適。
⇧ 元銀行を改造リニュアルした地ビールの店「 蛍火醸造 」
記録:この地ビールの店をオープンさせたのは地元の花火師 ( 丸山銃砲店)
浅虫温泉の活性化活動「蛍の里」の蛍、自ら花火師の縁の火をとって
「蛍火(けいか)」とお店の名前をつけた。浅虫温泉街が活気付いてる
参照#① 高森山 20 トレッキング ② 筆者感動のご当地「静岡ビール」
リニューアル再掲:メモリアルシップ八甲田丸、ベイブリッジ
を背景に右にねぶたの家ワラッセ、左にりんご工房A-FACTORY
(過去の記録:2010.12.13)
東北新幹線全線開業を機に港町青森が新たに整備された。
ウォーターフロントの景観地帯は青森ベイエリアと呼ば
れ、一帯はJR青森駅側から立体的に観察出来、周遊可。
陸奥大島灯台(夏泊半島大島) 【大島✿トレッキング 青森県夏泊半島2023.04.02】
夏泊半島の突端、干潮時には陸続きになるが普段は波に洗われている。その最先端
断崖に弁財天が祀られている。その手前の敷地に陸奥大島灯台がこじんまりと設置
されている。この周辺潮目があり、好漁場なので小型船舶などの海標に重要である。
記録:大島の東は東風により夏でも肌寒い。逆に、西側は島で東風が遮られ夏は暖
かい。地名の夏泊はアイヌ語「ノツ(岬) トマリ(泊地)」由来の当て字とされる
のだが、陸奥湾岸を青森方面から辿るとこの岬を境に肌寒く感じ、夏が留ま
ったように感じるのも事実で、よくぞこの当て字を考えたものだと感心する。
参照 #① 日本の灯台(岬)探訪紀行 ② 夏泊半島 大島 ✿トレッキング 紀行