人生最大の夕陽感動!夕陽に暫し時を忘れあたりは、すっかり暮れ。北の大地の特徴
は漆黒の闇。最終目的地豊富温泉を目指す。ナビ便りに走るが闇だけが続く。途中に
サロベツが原野あったが通過する。心細くなった頃突然光の集落が出現。豊富温泉だ!
普通の夜景だが北の闇大地では眩しく見えた。
所感:凍てついた大地で、闇に浮かんだ日本最北の温泉郷をこの目で観、肌で感じた。
参照#豊富温泉ふれあいセンター浴室景観
人生最大の夕陽感動!夕陽に暫し時を忘れあたりは、すっかり暮れ。北の大地の特徴
は漆黒の闇。最終目的地豊富温泉を目指す。ナビ便りに走るが闇だけが続く。途中に
サロベツが原野あったが通過する。心細くなった頃突然光の集落が出現。豊富温泉だ!
普通の夜景だが北の闇大地では眩しく見えた。
所感:凍てついた大地で、闇に浮かんだ日本最北の温泉郷をこの目で観、肌で感じた。
参照#豊富温泉ふれあいセンター浴室景観
9月28日の浅虫温泉地域活性化フォーラムに引き続き、泉研が関わる黒石温泉郷で
『津軽温泉大学』が9月29日に黒石温泉郷『津軽伝承工芸館』で開催された。講師
は浅虫に引き続き温泉評論家石川理夫氏。浅虫とは違った、黒石ならではの『共同
浴場を生かした温泉地づくり』というテーマでの講義に参加した20名余の方々は
熱心に聞き入っていた。
出席:丹羽旅館、花禅の庄、平賀アップルランド、かね定旅館、三浦旅館、青森県、
黒石市、津軽伝承工芸館、泉研代表
参照#講演/講師/研究発表 一覧
映像:東京在住温泉評論家石川理夫氏:演題は『浅虫温泉の活性化に役に立つ温泉知識』
浅虫温泉「道の駅ゆ~さ浅虫」4階会議室で『浅虫温泉地域活性化フォーラム』が開催
温泉評論家石川理夫氏、鹿内青森市長、武田青森東青県民局長、蛯名浅虫虫温泉旅館組
合長など浅虫温泉で開催された温泉フォーラムでは行政・事業者・民間(泉研・地域民
など)が参加した本格的なものとなった。
ただ、対象となる温泉事業者の参加が5~6名と少ないのが残念。温泉事業者のための
フォーラムなのに他地域、行政関係者、ボランティアの方々が多いという現象となった。
泉研関係では代表は勿論、東京支部会員、事務局長と公式・非公式にこのフォーラム
の開催に関わった。
浅虫温泉の魅力、役に立つ温泉知識など普段聞けない貴重な講演、特別講和の青森市長
の浅虫への熱い思い・期待におよそ50名の参加者は熱心に聞き入っていた。会場に立会、
改めて浅虫温泉郷の方々の踏ん張りを思うのだった。浅虫温泉の皆さん、頑張って!!
稚内に再上陸。駐車場の愛車の無事を確認。夕刻、海上に浮かぶ利尻島を見ようと、
「利尻・礼文・サロベツ国立公園」海岸沿南下、浜勇知展望休憩施設に至る。利尻島
に対峙する石碑を発見。森繁久弥の刻印を視認、左海上に微かに利尻富士が見える。
森繁久弥といえば「知床旅情の歌碑」を思い浮かべるが最北の地にも足跡があった。
『浜茄子の 咲きみだれたる
サロベツの 砂丘の涯の 海に立つ富士』 森繁久弥
解説:北辺の地にテレビドラマロケで訪れた森繁久弥が成した歌を刻んだ。此処は
道内から利尻島・利尻富士を眺める絶景の地。初夏の景観を詠んだのだろう。
映像:利尻島からの帰路、稚内西部沿岸、ノシャップ岬に起立する稚内灯台を望む
稚内灯台は、稚内の西はずれにあるノシャップ岬突端に建つ日本国のランドマーク。
白地に赤横帯6本の縞模様の大型灯台、日本第2位の灯塔高、「日本の灯台50選」。
記録:32万カンデラ、光達距離 18.0海里(約33km)、 灯塔高 42.7m、標高 42.1m
参考:日本一高い灯台:出雲日御碕灯台(島根県)、地上から構造物の頂部まで43.65ⅿ
参照#日本一北にある公衆浴場(公営)「稚内温泉童夢」
津軽氏の私邸?という位置づけの内北の郭。藩主のプライベートゾーン。ここで藩主は
寛いだと思われる。その場所へは本丸から石段をおりて内堀を鷹丘橋を越えて行くのだ。
鷹丘とは弘前城の別称。四代藩主信政公が母の屋敷がある内北の郭へ行く為に設置した。
参照#筆者が好きな弘前城の景観は内北の郭から眺めた景観「城壁直線視(弘前城)」。
映像:利尻島鴛から離れ、稚内フェリーターミナルで見かけたフィルイーズ宗谷号
利尻島の一日は夢の様に終わった。生憎の天候で礼文島への上陸を断念。定期観光
バスに乗りたかった、レンタカーで島を一周したかった、利尻ふれあい温泉にも入
りたかった・・・見聞したかった事の何分の一出来たのだろう?今度何時来れるか分ら
ない、『キット又来るぜ!』と決意し稚内に戻る。サヨナラ北辺の島・秀峰利尻山!
参照:北辺の絶景・海上に浮かぶ「利尻島」
映像:頭上にポン山その上に利尻富士が聳える。源泉掛け流しに北の温もりを感ず。
さすがに火山島の薫陶が窺える。自然湧出に負けない温泉力に五感がウットリ反応。
景観湯趣言うことなし。この温泉もまた、名山名湯の湯、利尻山登山鴛泊コース登
山口にある。島内ではこの温泉が配湯、掛け流しの湯はこの利尻富士温泉露天風呂。
【Data】 含重曹ー食塩泉 41.3℃ pH7.8 源泉:利尻富士温泉
動力揚湯 171ℓ/分 褐色澄明 僅少塩味(平成8年の掘削)
調査:他に利尻町営利尻ふれあい温泉があるが港から徒歩では無理、入浴時間13時。
参照#日本海に浮かぶ利尻富士
映像:利尻岳(富士)の露払いポン山の麓に沸く北の名水:甘露泉水
利尻島の最終目的地、利尻富士温泉を目指し、内陸部を歩く。稚内港
に駐車した車に免許証を置いてきたので、レンタカーを借りる事が出
来ず歩くこととなる。軽い汗をかいた頃、利尻富士温泉に辿り着いた。
敷地近くには甘露泉水が引かれていた。北海道には多くの名水がある
が北辺の島の名水は格別の味わいであった。
映像:ペシ岬の突端にチョコンと建っている可愛い灯台
利尻島には東西南北に鴛(おし)泊灯台、千法志灯台、石崎灯台、沓
形灯台等が設置されている。その中でも、稚内方面を望む光の道標だ。
鴛泊灯台:北緯45度14分47秒 、東経141度13分53秒 白色 塔形(四角形)
コンクリート造 単閃白光 毎15秒に1閃光 24万カンデラ 光達
距離21.5海里(約40km) 灯塔高 9.4m 標高 76m 初点灯 1892年11月
繋温泉に入る。温泉街は嘗ての盛岡の奥座敷の賑わいは無い
漸くお目当ての温泉施設に至る。源泉掛け流しは変わらぬ湯
。開湯900年の繋温泉、源義家ゆかりの湯の永続性を願う。
【Data】単純硫黄泉 65.3℃ PH9.1
源泉:繋温泉混合泉の湯(新瑞光の湯、至光の湯)
映像:ペシ岬中腹にある防人武士、会津藩士の墓
利尻島に温泉と美観を求めて渡った。そして、偶然に見つけたのが会津藩士の
墓地であった。1806~7年(文化4~5年)にロシアが当時の日魯雑居地の樺太
の日本人居留地を襲ったことで会津藩士が北の守りで利尻島で病死埋葬された。
戦闘で亡くなったのではなく脚気(ビタミンB1欠乏症)で亡くなったのだ。記録
によると、北方警備で弘前藩士らが斜里で72名、宗谷で30名以上、会津藩士は
樺太を中心に60名程度病死したとされ、この墓はそのうちの利尻島での墓標だ。
防人として会津藩士の250名が着任、この地で亡くなった人を祀る。当時会津兵
は最も幕府に信頼された。会津藩自ら北辺の守りを志願したという。末期の京都
守護職といい、会津戦争の白虎隊といい日本の歴史に足跡を残した会津は愚直だ。
映像:利尻島鴛泊港桟橋(2009.8.24 8:15)
利尻島上陸!いよいよ船が桟橋接岸。此処が利尻島の玄関。利尻島の
一日の始まり。稚内への一番フェリーを乗船客は列をなして待っていた。
駐車場には島巡り定期観光の一番バス、送迎バスなどが待機していた。
映像:利尻島に寄り添うように北側に北辺の花の浮島:礼文島が見える。
上空の雲は益々濃くなり、島に雨影が観測される。利尻島が男なら、礼文島は女だ。
海上からはそのような佇まいだ。今日は利尻島から礼文島に回り、稚内に戻る予定。
礼文島:日本最北の島。地名語源はアイヌ語レプン・シリ(沖の島)、日本秘境百選