【静岡県温泉探査・駿府城 2019.5.26】
駿府城内(本丸・二の丸)は石垣・堀他は何もない。勿論、時代の為政者の所業なのだが、
本丸中央部に徳川家康の立派な銅像が立っている。この銅像は徳川家康が好んだ鷹狩りの
容姿を現わしたもの。家康公の銅像は彼方此方で観察できるがやはりこの場所が相応しい。
記録:堤達男氏作。高さ6.5m(銅像3.5m)1616年、徳川家康は75歳の大往生を遂げた。
それは、大阪の豊臣滅亡の翌年だ。現代であれば100歳に迫る大往生となるだろう。
参照#①徳川家康公の墓 ②戦国武将(奥方)探訪紀行
映像:復元、駿府城二の丸巽櫓の風格ある景観 (静岡県温泉探査・駿府城編 2019.5.26)
とうとう駿府城に辿り着く。温泉探査の合間の古城巡りはなかなか思うようにいかない。
筆者が愛してやまない本州最北端の弘前城。そこから日本のど真ん中の駿府城への道程
は温泉探査の歩みだ。静岡の友人宅から歩いて約20分、ジックリと早朝の駿府城を探訪。
記録:日本百名城(41番) 輪郭式平城 築城主:徳川家康 築城:1585年 遺構:石垣 、堀
石高:駿府藩50万石(後に江戸幕府直轄、50万石は紀州藩並)再建:巽櫓、東御門、坤櫓
発見:現在、遺構の調査が進んでいる。歴史に名を刻んだ家康公の居城の歴史的な価値を
確認の結果、豊臣時代の天守台遺構の上に台座が築城された形跡、調査が更に進む。
復元:近年、巽櫓、東御門、坤櫓が忠実に復元されている。やはり、往年の六層天守閣が
復元されることが望ましい。戦いの砦ではなく、平和のシンボルとして拝観したい。
所感:徳川家康が晩年を過ごしたお城は規模こそ江戸城に適わないが主要大名が駿府通い
したほどの権力の中枢。そのお城は遺構しか現存しない。それもその筈、江戸幕府
を倒した西の勢力は遠慮なく破壊し、新政府の軍事拠点に目論んだのは疑いもない。
参照#①徳川家康公の奥津城(墓標) ②筆者が愛してやまない弘前城(津軽藩)の探訪紀行
映像:修善寺温泉の奥地にひっそりと葬られている源頼朝嫡男源頼家の墓所
(静岡県温泉探査・修善寺温泉編 2019.5.24)
伊豆修善寺温泉は温泉場として著名であるが、鎌倉幕府の光芒の地としても必見の場所。
修禅寺温泉街桂川竹林沿いを遡る先に指月殿がある。源頼朝と北条政子の待望の嫡子で、
頼朝が亡き後、第二代鎌倉殿(将軍)についたエリートが母方より幽閉・暗殺された地だ。
滅亡:源頼朝は実弟源義経を謀殺、その後継将軍頼家(嫡男)は母の政治的背景(北条氏)に
より実母北条政子の策謀?により幽閉・暗殺された。これで、弟実朝が第三代鎌倉
将軍となるが頼家の三男公暁に鎌倉八幡宮で暗殺され源氏は滅び政子北条氏の天下
となる。結果的に、北条政子という女性は源氏を喰い物にした張本人ということだ。
又、源頼朝は自らの策謀の果て武士本流の名家である源氏を滅亡させたことになる。
考証:その後の時代考証から幽閉された二代目頼家は若年から帝王学を授かり、北条の意
の儘にならない将軍で北条としては政子が溺愛し意の儘になる実朝を擁立希望した。
感慨:修禅寺で源頼家が暗殺された時、入浴中で、激しく抵抗したとのことで恐らく湯殿
は血の海だったに相違にない。修善寺温泉は文字通り、修羅場温泉の歴史を伝える。
参照# ①源頼朝が平清盛より伊豆幽閉中に、北条政子と逢引を重ねたという伊豆山神社
②源頼朝と北条政子との次男・源実朝が源頼家の子公暁に暗殺された鶴岡八幡宮
③頼家の叔父、中世の英雄:源義経の軌跡を辿った 源義経 (悲劇の英雄)探訪紀行
伊達政宗の時代の栄華を今に残す証がこの瑞巌寺本堂・境内である。お寺と言えども
内部は豪華絢爛、伊達者が作ったお寺として理解できる。間取りは小さなお城そのも
の。仙台城が破却、火災、戦災で失われた今ではこの藩主の間などが往時を忍ばせる。
(上段(藩主)の間:撮影禁止にて、瑞巌寺HPより引用)
指定:国宝{入母屋造・平屋・本瓦葺。慶長14年(1609)完成}
正面襖の奥には警護の武者詰の間があった。
奥州陸奥国の勇者。仙台藩主伊達政宗。天然痘で片目を失い隻眼となったもののその武勇
は戦国時代を豊臣、徳川と行き抜き、明治まで続く名家仙台藩の基礎を築く。独眼竜政宗
と恐れられた戦国時代は何かと奇抜であったとされる。「伊達者」というのもその結果だ。
参照#伊達政宗も着座したであろう瑞巌寺「仙台藩主の間」
御宝塔は徳川家康公の奥都城である。御宝塔下に徳川家康公が埋葬されている。
古代エジプトから近代まで封建時代の権力者が作るのがこのような死後の御陵。
最高権力者は最高の埋葬を望むのである。結果最高の技術が伝承する効果有り。
Power:男体山から男子エネルギー、女峰山からは女神エネルギーが交錯して
あらたな超絶エネルギーを生み出すのがこの日光東照宮御宝塔の地で、
御宝塔に日本最強の神が宿るこの地は日本最強のパワーゾーンと認定。
参照#① 徳川家康公 像(駿府城公園)
② 徳川家康遺訓(日光東照宮)
③ 日光東照宮(世界文化遺産)
日本で12しかない現存天守閣。その中で、大天守、小天守を備える松山城。
姫路城に次ぐ規模を誇る。しかも、城郭は迷路のような構造で実戦を感じ
させる城構え。ロープウェイで登城する文字通り瀬戸内海四国一のお城だ。
城郭:連郭式平山城 城主:加藤氏~久松氏 現存天守:連立式層塔型三重三階
地下一階 遺構:現存天守、門、櫓、石垣、堀、井戸、塀、土塁など
石高:伊予松山藩20万~15万石 家紋:星梅鉢(久松氏) 築城年:1602年
指定:重要文化財(大天守、野原櫓・乾櫓・隠門続櫓など櫓6棟、戸無門・隠門・
紫竹門・一ノ門など門7棟、筋鉄門東塀など塀7棟)、国史跡、日本百名城
参照:世界文化遺産 姫路城
松山城は関ケ原の合戦直後に普請したお城。そのせいか山城という防御全体像で
本丸に一番近い太鼓門は最後の難関ともいえる備えである。門の両側上から太鼓
櫓と巽櫓が下を睨む。この城は熊本城に次いで難攻不落・臨戦用の建物といえる。
高知県~徳島県~香川県と巡り、愛媛県にやって来た。目的は調査研究は勿論
他に前回訪問時に果たせなかった松山城の登城。そして、天下の名湯道後温泉。
先ずは松山城へと登城。その道の途中『加藤嘉明公』の銅像が勇ましく迎える。
加藤嘉明公:豊臣秀吉、徳川家康に仕え石田三成と対決した戦国の武将。松山
藩の初代藩主となる。その武勲、施政が今日の松山市の元となり、今で
も松山市民に慕われていることから松山城下に立派な銅像が建てられた。
当初石高は20万石、更に精進して所得倍増の会津若松藩42万石を拝領。
参照:加藤嘉明公が城主となった会津若松鶴ケ城
映像:艮櫓(丑寅櫓/旧太鼓櫓跡・重要文化財指定)2017.07.08
四国での2泊目は讃岐うどんの本場、香川県高松市。夜食
に讃岐うどんを賞味し、早朝、この街の繁華街隣接のお城
を探査。四国全般に言えることだが、城郭はこじんまりだ。
城郭:輪郭式平城 城主:松平氏 築城年1590年(天正18年)
遺構:櫓、門、渡櫓、石垣 石高:高松藩12万石
家紋:水戸藩支藩(水戸光圀の長兄が藩祖) 丸に三葉葵(高松葵)
指定:重要文化財(北の丸月見櫓・水手御門・渡櫓、旧東の丸艮櫓、披雲閣)
国史跡、日本百名城(指定77番)
入湯:香川県の入湯体験は金毘羅様の麓のこんぴら温泉に入湯
当地には夜に着いたので、残念ながら施設の映像がない。
とうとう憧れの丸亀城に登城。丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66m)
を利用して、石垣を積み上げた日本一石垣が高いお城。天守の最上階からは、
瀬戸内海、瀬戸大橋などを眺望する事ができる。瀬戸内海を代表する城郭だ。
城郭:渦郭式平山城 城主:京極氏 天守構造:御三階櫓(現存天守)
遺構:現存天守、門、長屋、番所、石垣、堀など 家紋:平四つ目結土佐柏
石高:丸亀藩5万1000石 築城年:室町時代
指定:重要文化財(天守閣、天守・大手一の門・大手二の門)、国史跡、日本百名城(指定78番)
参照:丸亀城大手門からの全貌景観
ほぼ四国を一周する形で、香川県丸亀城に立ち寄る。ここは筆者念願の城郭。
日本で12城しかない現存天守閣と、日本一の石垣の積み上げは遠めにも風格
がある。讃岐富士を背景に小さいながらビッグな城は、文字通りPowerSpot。
城郭:渦郭式平山城 城主:京極氏 天守構造:現存天守(御三階櫓)
遺構:現存天守、門、長屋、番所、石垣、堀等 石高:丸亀藩5万1000石
築年:室町時代 家紋:平四つ目結土佐柏 指定:重要文化財(天守閣、
天守・大手一の門・大手二の門)、国史跡、日本百名城(指定78番)
参照#① 讃岐富士(飯野山 香川県丸亀市) ② 丸亀城天守閣(讃岐国 丸亀藩)
③ 四国 温泉地 データ・ベース
高知県で取材後二日目は徳島県だ。暑い日差しを避けながら先ずは徳島市内の
徳島市役所を表敬訪問(ただの情報収集)。ついでに向かいの徳島城址に立ち寄る。
小さな城址だが、石垣は城址の面影が残る。もう少し、歴史を整備して欲しい。
城郭:梯郭式平山城 城主:蜂須賀氏 築城年:1585年(天正13年)
遺構:石垣、堀、庭園 石高:徳島藩25万7000石 家紋:蜂須賀万字
指定:国史跡、国名勝(表御殿庭園)、日本百名城(指定76番)
考察:徳島と言えば『阿波おどり』。日本三大盆踊。四百年の歴史を持つ奇舞。
四百年言えば藩祖:蜂須賀小六の嫡男が入城した年数と重なる。蜂須賀
は岐阜の出、岐阜と言えば念仏踊りの流れを組む『郡上おどり』がある。
阿波おどりも又念仏踊りの一種。ここで点と点が繋がる。歴史は彩なす。
参照#①徳島県Powerspot 小便小僧(祖谷渓) ②徳島県秘湯 秘湯祖谷温泉
山内一豊(やまのうちかずとよ)の妻。浪人から一国一城の主にまで出世させた逸話の
馬の手綱を引く千代像である。織田信長に引き立てられる要因となった馬揃えの
為にへそくりを渡し一豊に駿馬を購入させ出世を果たしたとの事。良妻賢母の鏡
文学:司馬遼太郎著『功名が辻』の主人公として描かれた。大河ドラマ化された。
参照#①千代の内助の功で手にした高知城追手門 ②馬上の夫山内一豊公 像
高知城は本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られている。今回漸く
登城を果たした。山内一豊が築城(1601年)以来、416年目の訪問である。
この天守閣を仰ぎながら、坂本龍馬が走り回ったと思えば感慨もひとしおだ。
城郭:連郭式平山城 城主:山内氏 天守構造:連立式層塔型三重三階地下一階
遺構:現存天守、門、櫓、石垣、堀、井戸、塀、土塁など 石高:土佐藩20万2600石
家紋:土佐柏(三ツ柏後に三菱マークの起源となる)、山内一文字、土佐桐 築城年:南北朝時代
指定:重要文化財(天守閣、懐徳館、黒門など15点)、国史跡、日本百名城(指定8番目)