日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

2016年、フォイヤーシュタイン勉強会。

2016-01-26 21:11:51 | フォイヤーシュタイン
 大騒ぎの雪も溶けて、今朝はざくざくな氷になった道路。

近所の家のブロック塀の上には、雪だるまか雪ウサギが溶けたあとの赤いビーズ。
ちょっと、切ない感じです。

 今日はSkypeでフォイヤーシュタインの仲間との勉強会でした。
今回は、フォイヤーシュタインのワークショップを開いてくださる、
神戸の芦塚先生にも参加していただいての勉強会でした。

 普段は、1対1でやっているフォイヤーシュタインですが、
集団でやる場合は、どういう風にやっていくか、
違う課題をまたいでやってみるなど、
経験豊富な芦塚先生のアドバイスや実践をお聞きして、
とても有意義な時間になりました。

 また、関東で大人の方にフォイヤーシュタインをしている方が、
課題のやり方をグループで話し合うことで、
自分では当たり前と思っているやり方が当たり前でなかったり、
他のやり方を知ることで目から鱗!ということがあり、
人によっては、自分の仕事のやり方やものの見方を振り返るきっかけになるようだ、という話なども
興味深いものでした。

 私自身は、物事の持つ意味を言葉でインプットすることの大切さ、
そのためには、自分の身近な物事、目の前で起こっていることに、
いかに目を持っていかせて、興味を持たせて本人の中に自分の言葉をつくっていくか、ということの
大切さを感じる時間となりました。

 言葉は、自分でない他の人との橋渡しになる大切な道具です。
自分で自在に使えるようになるように、しっかりと土台を作っていきたいものですね。

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南国の雪の日の混乱。

2016-01-25 23:06:25 | 日記
 23日にスイッチが入り、
ホームページを改良しています。

 といっても、ガラリと変わるというよりは、
やっていることの説明を加えたり、ページの先頭に戻れるようにしたり、
ちまちまちまちまとした改良です。

 リンクで飛ぶようにした方々に許可をいただいたら、公開します。
もうしばらくお待ちくださいませ。

 普段、雪には慣れないこの地では、雪が降ると色々な混乱があります。

 早朝の積込みの仕事も昨日の昼間の時点では、
「荷物は来てるから、通常出勤で!」と連絡がきたのですが、
夜になり、「自宅待機で!朝の6時にもう一度連絡します」と連絡が来て、
朝の時点で「10時30~の出勤でお願いします!」と言われたものの、
行けたのは6人中4人、しかも積込む荷物が来ていない…。

 一体、前の日に「荷物は来てる!」といったのは?幻?と思わず突っ込まずにはいられない!

 宅配で日々の食材や日用品を運ぶ、この仕事。
荷物がなければどうにもならないのですが、
「とりあえず、12時まで休憩室で待ってください」と言われて、
時間を潰すも荷物は来ず、結局、虚しく家に帰ったのでした。

 職場に来ることができなかった同僚も、
明日こそは行かねばならぬと雪かきに勤しみ、
「腰と腕が筋肉痛だわ、明日使い物になるかなぁ~」と本末転倒な嘆き。

 めったにない雪は、私の住む南の地ではあちこちで小さな混乱を起こしたのでした。

 台風なら慣れているんですけどねぇ~。

 
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寸暇を惜しんであそぶ!

2016-01-24 16:54:52 | 発達応援
 昨夜は、夜中に雪がどんどん降って来ていて、
世の中は、シーンと静まり返っていました。

 鹿児島の北海道と言われる地で育った私は、
雪の降る日の夜の独特の感じがとても好きでした。

 いつもと同じ夜なのだけど、いつもより静かで、風の音もしない夜。
布団から出している顔が冷たくて、家の木の壁の隙間から、
すーっと冷たい冷気が入ってきます。

 朝になると、まだ開けていない障子がいつもより白っぽくまぶしい感じがするので、
「あ!雪が積もったんだな!」とわくわくしながら障子を開けていました。

 やっぱり南国での雪は浮かれますね。

 昨日のannonの教室では、2ピースのパズルもしました。



 以前、この子どもさんとパズルをしたときに、
パズルをやってみたいものの自信なさげで、
「でもやってみたい!」という気持ちが勝っていたように感じました。
パズルをする楽しさを味わって欲しい。
そして、パズルをするときに何を手がかりにするか、
その子なりの基準をつかんでくれると良いのではないか、と
感じたので少ないピースのパズルで取組んでみることにしました。

 実際にやってみると、
パッと見て、たんたんたんと組み合わせていきます。

 でき上がったパズルを目の前に、
「どうしてその2枚でできるってわかったの?」と
自分のやり方を振り返ってくれるように、と質問していくと、
「うーん、足の間かな。」とか「しっぽと足の間かな。」とよくわからない答えが返ってきます。

 これは、おそらく、パズルはできるのだけど、
目から入った情報を私からの質問にふさわしい答えかどうか、
自分の中に保留する間もなく口から出てしまっているからだと思います。

 そこで、しつこく、
「これはどうして?こっちは?」と聞き続けて、
「どうして、これとこれでできるのかなぁ。」という質問を繰り返すと、
ワニのパズルのところで「色でわかった」という答えがかえってきました。

 「そうかぁ、どっちも緑色だもんね~。」というとうなずいています。
そして、さっきまで「足の間」と言っていたパズルについても
「水色の色だから」とか「シマシマだから」と、動物の色や柄に注目するようになってきました。

 今回は、そこまででおしまい。

 パズルをする中で、この子どもさんがゾウならゾウの、ワニならワニの、
全体の姿を見て、更に、色を見て、と細かく段階を踏んで見ているかはわかりませんでした。
まだまだ、直感的に色だけを見て組み合わせて、
できたものから「あ、ゾウだ!」「ワニだ!」と認識しているのかもしれません。

 それでも良いので、子どもの中にぼんやりとでも、
「ああ、こういうパズルをするときには、色を見るといいんだぁ」ということが
育っていくといいなと思います。

 何度も、同じもの、似たものを繰り返すうちに、
「色が手がかりになる」ということは、子どもの中で確信になることでしょう。
それが身についてきて、また、違うやり方、考え方を自分で発見して、
違うものに取組んだときにも、自分の中のやり方の基準として
「色」という手がかりが自在に取り出せるようになるまで、たくさん遊ぶことが必要でしょう。

 ある日、突然、「あ、乗越えたな。」という手応えが来る日まで、
これもたくさん遊ばなくてはなりません。

 本当に、遊ぶのが忙しくて、宿題なんてやってるヒマあるかな、というのが
子どもの姿かもしれないなぁ~と思うことです。

 

 

 

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ブロックの形分け。

2016-01-23 22:16:26 | 発達応援
 雪が降る、雪が積もるとニュースで言っています。
九州でもあちことで雪が積もっています。

 私が住む鹿児島の地でも、
普段買う人がいないから、申し訳程度に売っていた雪かきスコップが売り切れ、
車のタイヤチェーンも売り切れているそうです。

 それにしても、普段から品揃えの良いそのホームセンター。
よく、まぁ、雪かきスコップなんて置いてたもんだと感心しました。

 今日はフォイヤーシュタインの日でした。

 課題が少しずつ進んで、正方形や直角二等辺三角形が出てくる課題になってきました。
これらの課題をするためには、ものの形をきちんと見分ける力が必要になってきます。

 そこで今日は、箱に入っているブロックを「形ごと」に分けるという課題をしてみました。

 最初のうちは、子どもはブロックのあまりの多さに、
何から見つけようか…と戸惑った感じでした。

 そこで、長く、目立つブロックを置いて
「これと一緒のはどれ?」と聞くと、
「これ」と渡してくれて、なんとなく、やるべきことを理解した感じでした。

 この子どもさんは、なぜか、目立つ大きいブロックよりも小さいパーツに目がいくようで、
小さいブロックから集めていました。

 そして、「形ごとに分ける」という課題ですが、
どちらかというと色を頼りに分けています。
その色も、黒、白、灰色と無彩色のものばかりを選んでいます。
見やすいのかな?

 「形で分ける」と途中、途中で声かけしながら、
怪しいものは並べて、比べて、違いを見ます。

 やってもやっても終わらない、ブロック地獄のような形分けでしたが、
「あ~、もう!」とか言いながらも続けていきます。

 途中、「点検お願いしまーす!」と
私が同じ形のものを色分けせずにドバーッと渡すと、
「はいは~い」と言いながら並べて点検してくれました。

 そんなことを繰り返していると、
それまで一方の手で、同じ色の形だけを拾って、もう一方の手にためて持っていたのが、
片手で、色に関係なく、同じ形だけどんどん拾っていくようになりました。

 また、自分が思った色がなくなると、次の形に移っていたのが、
同じ形がなくなるまで、見つけ続けるように変わってきました。

 さらに、分類するプラスチックの入れ物の場所も迷わず入れることが多くなりました。

 たくさんの量をこなしているうちに、
「自分がやるべきことは、同じ形を見つけること」というのが頭にインプットされ、
形に付随している色という情報をいらないものとして処理できたのだと思います。

 また、同じ形を探しながらも、置くべき場所を記憶に留めておくという、
2つのことも処理できるようになっていました。

 全ての形分けが終わるのに1時間20分ばかり。
終わったときには、満面の笑顔とハイタッチと自ら拍手し、
充実した顔をしていたように私には感じられました。

 この形分けの後半に子どもさんが見せた、
色に関係なく、自動的にパッと見て同じ形を手に取る早さ、これが最初からできるようになると、
この子どもさんの体の中に、長さを基準にして…とか厚みを基準にとか、
自分の中にモノを見る基準ができ上がっていくのではないかなぁと思っています。

 さらに、それを「自分はいちばん長くて厚みがあるブロックから集めるね。」
と言葉にまとめていけるように…、そんなことを少し先の目標にしていきたいな、と思った
今日のフォイヤーシュタインの時間でした。

 認知を伸ばすのも、体を能力を伸ばすのも遊び、遊び、遊び。
子どもの中に何かの種を蒔くには、あきれるほどの遊びが本当に必要ですね。




 
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線を引く。

2016-01-22 21:58:25 | 発達応援
 猫はツンデレという人もいますが、
うちの猫たちはでれでれです。

 早朝の仕事から帰って来ると、
ちぃは「抱っこー」と足元でごろりんごろりと寝転がっているし、
梅ちゃんは中腰になろうものなら、即、飛び乗ってきます。
女王、桃ちゃんも誰より早く玄関へ来て、ごろんとして、きらりんとかわいい目で見つめます。

 一緒に朝起きて、旦那どんが仕事に行き、
猫だけになった我が家では、一体どのようなことが繰り広げられているのかなぁ~。

 定規で線を引くというと、実に簡単な作業と思う人が多いのでしょうか?

 私は子どもの頃に、まっすぐに線を引くということがとても苦手な子どもでした。

 自分ではまっすぐ引いているのに、
「ほら、まっすぐ線を引きなさい!」と注意をされます。
どれだけまっすぐ線を引いても、
「まっすぐ線を引きなさい」といわれて、
へそも曲げるし、悪態もつくし、泣くし、本当に大変でした。

 何でそんなに注意をされていたかというと、
私が引くまっすぐな線は、横線ならば右上がりだったり、右下がりだったり、
縦線ならば左に寄って下のスペースが狭かったり、右に寄って下のスペースが広めだっりしていて、
水平、垂直ではなかったからです。

 でも、私にとって「まっすぐな線」というのは、
定規をあてて引いた線のことで、
波打っていなければ「まっすぐな線」だと思っていたのでした。

 たしか、2桁、3桁の筆算をするときに、
定規をあてて引いた線が、数字に突き刺していたり、
数字からだんだん離れていったりで、
そのまま計算を続けると、どんどん歪んでいっていました。

 意味調べをしていると、言葉と意味を結ぶ線が斜めになっていて、
次の言葉とぶつかりそうになっています。

 どうしてぐにょぐにょなるのかなぁ、とは思うし、
「まっすぐ線を引きなさい!」と言われるしですが、
線が水平になっていない、垂直じゃないよ!とは、まったく気がついていませんでした。

 また、求められているまっすぐな線がどういうものか、
教えてくれる人も残念ながらいませんでした。

 あるとき、立方体だか、直方体の見取り図を描いているとき、
自分が描くものは、なんだか異次元空間のもののように、形が歪んでいます。

 全ての線は定規を使い、まっすぐなのに、
でき上がった図形の見取り図は歪んでいます。

 何度挑戦しても、なんだか変です。
そのとき、ふと、ノートの枠と比べると自分の描いた線が斜めになってるなぁ~と気づき、
さらに、罫線より微妙にズレているなぁ~と気がつきました。

 それをピシッと罫線に合わせて、ノートの枠とも同じになるように意識して線を引くと、
図形の見取り図の歪みがなくなりました。

 このとき、「あ!あ~あ!まっすぐな線ってこれかぁ~」と、理解ができて、
それからはノートの罫線を意識したり、ノートの枠を意識して、
求められるまっすぐな線を引けるようになったような気がします。

 わからんちんの子どもは、
きっと大人が思ってもみないところで「?」をたくさん頭の中に浮かべていたりします。

 そして、大人に言われたことを真面目に実行するために、
「これでいいかな」「こうならいいかな」と一生懸命試行錯誤しているのではないかなぁ、
そんな中で、『あ!』と思う瞬間が来るといいな、と見守っています。

 でも私は今でも、何かをまっすぐに切ったり、折ったりすることは、
意識しなくてはぺろんと歪ませてしまいます。

 まぁ、不自由なく生きております。




 
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