心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに ナンバー1706

2018-08-10 20:56:28 | Weblog
ナンバー1706 2018.08.10 古事記と旧約聖書の天地創造 
ここまで古事記のお話を見ていると、この世界を創造した順番が、旧約聖書の天地創造にとてもよく似ているようです。
最初に誕生した造化三神は、実有と陰陽、あるいは電気と磁気の力による光とも考えられます。
旧約聖書の最初の場面では、「地は形がなく、何もなかった。闇が大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた」といいます。
そして神が「光よ。あれ」と言うと光ができます。この闇のなかの水と神の霊は、造化三神を指しているように感じられます。
限りなく広がる闇の空間は高天原であり、水は神産巣日神(かみむすひのかみ)の陰であり、神の霊が高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の陽であり、これら二神を誕生させたのが天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という量子ポテンシャルであり、神が「光よ。あれ」と言ったのも天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)なのかもしれません。
こうして、地に形がない状態の時、光が現われます。
造化三神がそろうことによって、光ができたのだと思います。
また古事記の中で大宇宙を創造するとき「国わかく浮きし脂のごとくして、海月(くらげ)なす漂える」という場面があります。
これは旧約聖書の最初の場面の、「地は形がなく、何もなかった。」に対応しているように思われます。
この場面について『誰も教えてくれなかった日本神話』(講談社発行)の説明によると、「国土がまだわかくて固まっていない。水に浮いた脂のようで、水母(くらげ)が海に漂うように、国土は海に漂っていた」とあります。
この「水に浮いた脂のようで、水母(くらげ)が海に漂うように」というのは、ホログラムのフィルムのようにも感じられます。
このホログラムが現われる以前に、すでに造化三神が現れることで、光は存在しています。
この光によって、二次元の何もない平面に三次元の立体的な世界が現われるのであれば、物理学的には相転移、スピリチュアルでは次元上昇?が起こり、万物の創造が始まるのかもしれません。
この「水に浮いた脂のようで、水母(くらげ)が海に漂うように」というのは何もない無の空間に、ごくわずかにエネルギーがあるだけで、陰と陽の仮想粒子が次々と生まれては消えている状態にも似ているようです。
ナンバー1707につづく
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