心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに ナンバー2230 バビロン捕囚とその後

2024-07-18 20:58:08 | Weblog
ナンバー2230 2024.07.18  バビロン捕囚とその後
北イスラエル王国がアッシリアによって滅ぼされた後、南のユダ王国はアッシリア帝国から重い貢納を義務付けられます。
その後、前586年に新バビロニアにユダ王国が滅ぼされると、ヘブライ人たちは神殿を破壊されてバビロニア近郊に住まわされ、農業や灌漑工事に従事させられるバビロン捕囚となり民族的な苦難を経験します。
この捕囚として連れていかれた人々は、イスラエル統一王国(ヘブライ王国)を構成する様々な部族にそれぞれ所属していましたが、捕囚中にユダ部族を中心に統合して民族が団結するようになると、ヤハウェ信仰も深めるようになりました。
約60年後にアケメネス朝ペルシアが新バビロニアを滅ぼすと、前538年ヘブライ人はペルシア帝国のキュロス2世によって、バビロン捕囚から解放されパレスチナに戻ることを許されます。
アケメネス朝は宗教的には寛容で、ヘブライ人の宗教も認めたため、エルサレムにヤハウェ神殿(第二神殿)を再建しました。
この頃にユダヤ民族独自の一神教であるユダヤ教が完成したようです。
ユダ王国の人々による民族宗教がユダヤ教になりますから、先に滅んだ北イスラエル王国で国外へ逃げた人々は、ユダヤ教を知らないまま流浪し、迫害を受けていることになります。
このことから、ユダヤ人ではあってもユダヤ教を知らない人もいることから、ユダヤ人の定義は現在のイスラエルの法律では『ユダヤ人の母から産まれ、あるいはユダヤ教徒に改宗した者で、他の宗教の成員ではない者』なのでしょう。
この時代にペルシア帝国の公用語のアラム語が浸透して、文字もアラム文字系統のヘブライ文字を使うようになりました。
ペルシア帝国が滅亡すると、アレクサンドロスの帝国が成立して、ユダヤ人もその支配下に入りました。
アレクサンドロス3世が急逝したため後継者を巡る争い( ディアドコイの争い)が配下の将軍たちの間で起こると、この争いにユダヤ人も巻き込まれ、はじめはプトレマイオス朝エジプトの支配下におかれ、次にセレウコス朝の支配を受けます。
ユダヤ教はこのヘレニズムの時代は、ヘレニズムの理念に押され、厳しい信仰上の危機が続きました。
セレウコス朝はギリシアのゼウス信仰を人々に強要し、特に厳しくユダヤ教を弾圧したため、ユダヤ人たちは結束を強めることになりました。
ナンバー2231 2024.07.22 に続く予定です。
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