心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに №833

2012-12-16 20:21:31 | Weblog
人間の感情が動いたり考えたりすることによって生まれたエネルギーが、非常に多くの生命体(エレメンタル)を
活動させることになり、想念形態を生み出していると神智学はいいます。
しかしこの想念形態は、目で見たり、手で触ったりといった五官で確認することはできません。
私たち自身の意識の活動によって生み出されるこの想念形態は、
まさにボームの言うホログラムの映像のようなものかもしれません。
科学者たちは物質的な脳から、意識や精神といった物質でないものが現れることについては同意していますが、
精神とは何か、意識とは何かという定義についての意見はまとまっていませんし、
何が精神を作っているのかはまだわかっていないといいます。
意識は精神の属性であり、その特徴は、ある実体が自らのことに気付いていることだ、というのが一般的な考えだそうです。
私たちは自分が目覚めているとき、このことを意識していますし、何かを見たり感じたりしても、それを意識しています。
哲学者マルコム・ホリックは
『できごとは経験する者によって経験され、思考は考える者によって考えられ、痛みは感じる者によって感じられ、
想像は想像する者によって生み出され、選択は選択する者によって行われる』と、意識を表現しています。
インドの聖者サイババは、『私たちが考えている自分自身の姿』と表現していますが、
これは私たち自身の自我に基づいた知覚といえます。
できごとを作り出したのも、それを体験しているのも、他の誰かではなく私自身です。
私たちが感じたり、考えるとき、同じ条件の同じ状況にあっても、人とは違うことを感じたり思ったりします。
全く同じことを感じて、全く同じことを考えても、全く同じ人生を生きている自分と全く同じ人というのは、
この世には存在しないでしょう。
私たち一人一人が独自の感じ方、考え方、表現方法を持つ、個性的で独特な存在といえます。
すると当然、それぞれの感じ方考え方に沿った独特で個性的な人生を生きることになりますから、
一人一人がそれぞれの想念によって個性的な物質形態を生み出すこととなります。
私たちの感情や想念や言葉や行為によって生み出された物質形態は、肉眼で観測できないため認識されませんが、
私たちの脳にはすべてのできごとが記憶として、残されています。
私たちの感情や想念や言葉や行為による体験のすべてが、脳のどこにどのように蓄積されているのかを、
カール・プリブラムは研究しました。
その結果、記憶は脳の特定の場所に蓄えられているのではなく、脳全体に分散されていて
ホログラフィックな性格を持って処理していることがわかりました。
私たちが目の前の固体を見ているときでさえ、本当は自分の脳の中のホログラムの映像を見ていることになります。
№834につづく

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