東京・ウサギSATELLITES

兎についてきた人だけが迷い込む不思議な衛星

核なき世界

2016-05-27 | 日記
アメリカの現職の大統領が広島を訪問するという歴史的な日でした。長崎にも訪問して頂きたかったのですけれども...。

こういう出来事を見ると、戦争とはなんだろう?と思わずにはいられません。こんな風にお互いが友人となって行き来できる間柄になれるというのに、なぜああも悲惨な争いをしたのか...。あの戦いがあってこその現在というより、こうなれるのであればあの時...と過去を思わずにはいられません。そして、被爆された方達の大統領に対する真摯な姿勢、大統領の被爆者に対する真摯な姿勢を見て、こちらの心の奥底に眠る、原爆を落とした国に対する悲しい想いすら溶けるような気がしました。。。


“核なき世界”

について考えた時、私は正直、不可能に思えてなりません。なぜなら、この世界の(完全ではなくとも)平和が核という抑止力によって成り立っているように思えてならないから。そちらがまずその手の武器を捨てろ、いや君からだ、そうして捨てた途端に..なんて展開はドラマ等でよく見る話しで、それぞれのしがらみが絡み合った国どうしのこととなると尚更難しく思えてなりません。

こんな風に悶々と考えていると、よく造ってしまったよな..と結局人類の過ちにまで思い至ってしまいます。遅かれ早かれどこかで誰かが生み出してしまうのでしょうけれども。そして更に考えを進めて水爆にいきつくと、もう絶望しか湧きません。。

水爆......私は人類存続の某かのキーになっていると思えなてならないのですよね。原爆を起爆にして..とか、なんて恐ろしい兵器なのだろう、、、本当に恐いです。

冗談ぽく聞こえるかもですが真面目に、もういっそ宇宙人でも襲来して核を全部破壊されるなり(もしくは全て使用して対抗するなり←共倒れか)ベタでも全人類一致団結の展開にでもならない限り、真の平和は訪れないような気がします。


ただ、

こんな風に、核なき世界は訪れるか?と議論できるのは、まだそこに希望があるから....とも思います。

ジュールヴェルヌの言葉のように、人間が想像できることは現実にできる可能性も秘めているわけですから。