馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

池田市「魚清」で同窓会

2010年04月20日 | 日記
 4月17日(土)、池田市の魚清本店で同窓会総会がありました。
詳しくは本サイトに写真がUPされていますので、ここでは重複を避けます。

 先生2名+学生50名、計52名。内、物故者4名、不明者6名。
参加者20名はよく集まったと思います。
ただ欲を言えば「女性陣」の参加が1名と云うのが残念です。
お世話をしてくれた太田さんは、女性陣が「大坂の北部」に多くいるので、敢えて池田市に会場を設定したのですが・・・・。
 また、15期3年4組のHPとe-mailが、大いにその威力を発揮したとも思います。
しかし、会場でも提案があったようにパソコンや.comには縁のない人も幾人かいるようで、その人たちとのコンタクトを今後どうするかも問題の様です。

 個人的には、今高時代の想い出が極めて希薄で、このブログも「今高15期3年4組応援ブログ」としていますが、今高時代の事や3年4組の同級生との交流の事が書かれていません。書かないのではなく、書くべきものが無いのです。
 今回も多くの同級生と再会しましたが、残念ながら「初対面」の感じの人の方が多かったのは事実です。
ここ1年の間に急に親しくして頂いている同級生も、それまでは没交渉であり、また学生時代にも殆ど交流がありませんので、やはり会った時は「初対面」の様で、皆さん相応に立派になられているので緊張してしまいす。

 近況紹介などでも「社会の指導的立場」で活躍している様子がよく分かりました。
語るべき人生を持っていると云う事はうらやましいものです。



 畑田先生が羽曳野市にお住まいで、またご高齢のため、会場までの送迎をしました。
予定より早めに先生宅に着きましたので、準備されるまでの間、ご自宅近辺を探検してきました。古くからの集落で「道幅」は恐らく「江戸時代」のままだと思います。
先生のお宅も立派で広い敷地に在りますが、向かいに「お寺」と見間違うような「お屋敷」があります。道が狭いので写真が撮れませんでしたが格式がある大きなお屋敷です。
そのお屋敷も「畑田姓」です。先生にお聞きしたら「畑田家」の本家だそうです。
「登録有形文化財」の「表示板」が掲げてありました。維持管理が大変なようです。
又先生のお隣も「畑田姓」で近い親戚だそうです。そのお宅の道路に面した一角に「写真」の様な「顕彰碑」が建っていました。この集落の「土地改良事業」に多大な功績に対して「大阪府知事」の揮毫があります。

 僕は昭和30~40年代のこの辺りの農村風景をよく知っていますので、失礼な話、通学通勤は大変不便だったろうと思います。畑田先生は「旧富田林中学」まで羽曳野丘陵の田舎道を自転車で通学されたとのことです。

 今高の体育の先生が畑田先生の1年先輩だったそうで、学校が終わると2人で自然と「ミナミ」の飲食街を飲み歩いたそうです。

 学生時代は、ただただ「怖い」だけの存在の畑田先生でしたが、送迎の道中で「優しい」「人間畑田先生」の逸話を聞かせて頂きました。
カラオケは遠慮しておく、と言われていましたが、いろいろ取材して、大体のお好みも聞き出しましたので、結果3曲も歌わされた、とご機嫌だったようにお見受けしました。

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