馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

「枯野」「軽野」「狩野」・・・地名の話(17)

2010年08月02日 | 地名・地誌

伊豆修善寺温泉の近くに「軽野神社」があります。下田街道沿い、狩野川の右岸に鎮座する「式内社」です。
この「軽野」や「狩野」、また「枯野」「苅野」の語源は「カヌー」であるとする学者がいます。
 東京大学水産学科や東京商船大学の教授だった「茂在寅男=もざいとらお」氏です。工学博士号の肩書を持つ自然科学者ですが、古代史などの著作も多く、独自の視点から記紀や邪馬台国論争にも多くの提言をしています。

 「古事記」仁徳天皇の段、「この御世に、兔寸河=(とのきがは)の西に一つの高樹有りき。その樹の影、旦日=(あさひ)に当たれば淡路島に逮(およ)び、夕日に当たれば高安山を越えき。故、是の樹を切りて船を作りしに、甚捷(いとはや)く行く船なりき。時に其の船を号(なづ)けて枯野(からの)と謂ふ。
枯野は日本書紀応神天皇所で「軽野」と表記されています。
同じ日本書紀応神天皇紀に「伊豆国に科(ふれおほ)せて、船を造らしむ」とあり、その場所が冒頭の「軽野神社」付近で造船用材を切りだし、狩野川を利用して運び出したとされています。

 「軽野」「狩野」「枯野」「苅野」のどの地名は、全国に分布しており「常陸風土記」「相模風土記」にも散見されます。そしてその関連記事は「造船」に関わるものです。
所で「是の樹を切りて船を作りしに、甚捷(いとはや)く行く船なりき。時に其の船を号(なづ)けて枯野(からの)と謂ふ。」とありますが、何故、甚捷く行く船を「枯野」と号けたか? 従来の一般的な解釈は「はやく走る船なので枯れた野原と名付けた」と字面通りで、特に注釈などは有りません。しかし、速く走る船が何故枯れた野原なのか?考えると不思議なことです。

 茂在寅男さんは「枯」と「軽」とは同種で「カラヌ」「カヌー」「カノー」「カルノ」から「枯野」「軽野」を当てた、と解釈しています。
そして、当時「カノー」と云う言葉が、その船とともに存在していたと論じています。

つづく


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